<妙本寺境内>
初冬の鎌倉;大町・材木座の社寺巡り(前編);大町の社寺(妙本寺から由比若宮へ)
(神奈美;鎌倉散策会)
2019年12月11日(水) 晴
<ルート地図>
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※詳細図は後編で表示
<鎌倉駅から本覚寺へ>
■鎌倉駅から歩き出す
このグループは美術関係の仲間が集まっている,私が最も大切にしているグループのひとつである.私が鎌倉に住んでいることから,鎌倉案内を仰せつかって,第1回目を今年(2019年)2月に実施した.幸いなことに好評だったため,その後も各季節に1回ずつ実施し,今回は今年4回目の散策である.
私はだいぶ前から各メンバーの顔を思い浮かべながら,もっとも効率よく鎌倉の良いところを歩くルートの作成に試案を続けてきた.その結果,今回は鎌倉市東部にある社寺を巡ることにした.町名でいえば主として大町と材木座にある古刹,神社巡りである.
集合は鎌倉駅表口10時.
もちろん私は十二分に時間の余裕をもって,9時25分頃,鎌倉駅に到着する.そして駅前のマックで,1杯100円也のコーヒーを正味しながら待機する.待機の間も現在受講中の通信教育部で提出予定の卒論で何をどのように書くかについて思案し続ける.
思案に熱中すると,時間が経過するのもアッという間である.気がつくと集合時間の15分前である.
”おや,おや,…ちょうどいい時間だな…”
私は集合場所へ移動する.もう全員が揃っている.
”おや,おや,…これまたパンクチュアルだな”
集合時間前に,参加予定者全員が揃う.
10時前に鎌倉駅に到着する上下の横須賀線電車が鎌倉駅に到着するのを待って,予定時間より2分早い9時58分に,鎌倉駅表口から歩き出す.
■まずは本覚寺
鎌倉駅から東急前の細い道を抜け,若宮大路を横断する.そして,最初の拝観場所である本覚寺へ.
境内は正月に向けて,いろいろな作り付け工事の真っ最中である.本堂,正宗の墓,恵比寿堂の順に拝観して,小町大路の戎橋側の出口から外へ.
鎌倉にはたくさんの社寺があるが,私が最も好感を持っているのがこの本覚寺である.理由はこれだけの大寺院なのの拝観料も取らずに境内に入れることである.
”一般市民に溶け込むということは,こういうことだな…”
と私は勝手に思っている.
もし,この寺に足腰を丈夫にするお守があれば真っ先に買うのに…残念.私の知る限りでは足腰のお守りは宝戒寺にしかない.
<本覚寺本堂>
<妙本寺>
■妙本寺に到着
戎橋を渡って直進する.
深い木立の間の参道を抜けて妙本寺に到着する.
本当は,途中で左折して蛇苦止堂へ立ち寄りたかったが,今回は高齢者の集まりなので残念ながら割愛した.
深い木立と,幽玄な境内の雰囲気に,参加者一同,感激をしている.
浅学の私が説明するのも烏滸がましいが,『かまくら子ども風土記』の内容を引用して,皆さんにおよそのことをお話しする.
<妙本寺境内>
■日蓮聖人立像
境内左手の一角に日蓮聖人立像が安置されている.こんなことを言っては罰が当たるかもしれないが,妙本寺の日蓮さんはなかなかの美男子である.
鎌倉には日蓮宗の寺が沢山ある.くわしく観察したわけではないが,これらの寺に安置されていう日蓮立像は,皆,少しずつ違っている.ある寺の像はもっとデップリと太った日蓮さんだし,また別の寺の日蓮さんはもう少しお年を召しているように見える.
私には,実は鎌倉にある日蓮宗の寺に祀られている日蓮立像の全部を写真に撮りたいなという願望がある.ただそれがだいぶ大変な作業になりそうだし,寺によっては撮影が許可されないかもしれないので,重いこををあげられないまま何年も経ってしまった.でも,どのような意図で何という作家が立像を作ったのかを調べてみたいなという願望は今でも持ち続けている.
<日蓮立像>
<常榮寺と八雲神社>
■常榮寺(ぼたもち寺)
妙本寺山門脇から住宅地内の路地に入る.
閑静な道である.参加者一同に道一杯に広がらないようにお願いして(なかなか聞いてもらえないが),ごくゆっくりペースで歩く.
ほんの数分で,常榮寺に到着する.ここは通称「ぼたもち寺」と呼ばれている寺である.
ここで「ぼたもち寺」のことなど記述するのは冗長なのでやめるが,龍口寺付近にも別の「ぼたもち寺」あることだけ記しておこう.
<常榮寺>
■八雲神社
10時48分,八雲神社に到着する.後三年の役のとき,新羅三郎家光が兄八幡太郎義家の加勢に赴く際に京都祇園社を勘定したのが始まりの神社である(『鎌倉検定公式テキストブック』p.115).
この神社の脇に祇園山ハイキングコースの登山口がある,
<八雲神社>
<逆川橋と辻の薬師堂>
■逆川橋
八雲神社の先で逗子へ向かう自動車道に突き当たる.ここで,ちょっと寄り道すれば別願寺,安養院,上行寺を簡単に一巡りできる…が,できるだけ最短距離で効率良く,しかも沢山んの社寺を眺めながら光明寺まで辿り着きたい.それには歩行距離4キロメートル前後に押さえ込むのが必須である.
私は寄り道したい願望を押し切って,信号のない十字路を,車の来ないときに,”イチ,ニ,サン…ソレ渡れ”で一気に渡る.
渡った先は住宅地の寂しい路地である.その路地を道なりに歩くと,坂川橋がある.気をつけて歩かないと何気なく通過してしまいそうな小さなな橋である.
「ここは鎌倉で唯一,山に向かって流れている川なんですよ…不思議でしょう!」
と説明する.
一同,
「あれっ! 変ですね! 確かに山の方に向かって流れている!」
この秘密は,ここでは伏せておこう.
万一,当ブログを読んで,不思議に思った方は,是非,現場へどうぞ.
なお,この小さな橋も,鎌倉十橋の一つになっている.
<逆川橋>
■辻の薬師堂
逆川橋のすぐ先で,舗装道路に突き当たる.そこを左折する.
少し離れた先に横須賀線の踏切が見えている.結構,自動車の往来が多い通りである.自動車に気を遣いながら,踏切に向かって歩き続ける.そして踏切のすぐ手前にある辻の薬師堂に到着する.
狭い境内だが,立派なお堂が建っている.
このお堂はもともと横須賀線名越トンネル付近にあったものを移築したものだという.『かまくら子ども風土記,p.78』によると,由比の長者染谷太郎時忠が建立したもので,十二神将が祀られていた(現在は鎌倉国宝館).
<辻の薬師堂>
<由比若宮>
■石清水の井
横須賀線踏切を渡る.
踏切からほんの20~30メートル(もう一寸あるかな?)歩いたところから右折して狭い路地に入る.ずっと以前は入口の角に目印の小さな石柱が立っていた(ような気がする)が,初めて訪れる人には,ちょっと分かりずらいところかもしれない.
住宅地内のくねくね小道を進むと,右側に石清水の井がある.石清水の名称からもこの辺りが石清水八幡宮と関係がありそうな雰囲気である.
ここは立派な井戸だが,どういう訳か鎌倉十井には入っていない.
<石清水の井>
■由比若宮
石清水の井の少し先で,この路地は由比若宮に突き当たる.
由比若宮の入り口には「元鶴岡八幡宮」と刻字された石塔が立っている.その先に立派な赤い鳥居が建っている.
前掲書(pp.90-91)によれば,源頼義が京都の石清水八幡宮に先勝を祈願し,前九年の役で勝利を治め,京都に帰る途中で,康平6年(1063年)に鎌倉に立ち寄って,由比郷鶴岡に勧請したという.また,後三年の役のときに賴義の息子義家が先勝を祈願して,社殿を改修したらしい.そして,治承4年(1180年),源頼朝が現在地に社殿を移動した.
…という訳で,本当は鎌倉を訪れる人にとって,由比若宮は念頭に置くべき重要箇所ということになる.でも,閑静な住宅地の奥にある狭いところに多数の観光客が訪れるのは非現実的である.今の状態でそっとしておくのが一番なんだろうなと思う.
そんなこと言いながら,当ブログに由比若宮のことを記述するのは明らかに矛盾している.でも,当ブログは弱小ブログ.私の知人以外に訪れる人はごく僅か,宣伝もしていない.…ということでご容赦願うことにする.
<由比若宮>
(後編に続く)
後編の記事
↓
https://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ef8d6ef47fa07dc1ea64756574fe954e
お断り;
これらの記事は,私のボケ防止と趣味仲間を読者対象としたものであり,一般の読者を対象としていません,したがって,まったく個人的なものです.また十分に時間を掛けて編集していませんので,記事は正確とは言えないし,誤字脱字転換ミスも多々あると思います.このことを前提にしてご覧下さい.
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なお,古い記事には顔写真が掲載されていますが,すべてご本人の了承を得た上で掲載したものです.