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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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歩いて巡る甲州道中四十四宿(第7回);第3日目(3);韮崎から北杜へ

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                               <武川町の馬頭観音>

 歩いて巡る甲州道中四十四宿(第7回);第3日目(3);韮崎から北杜へ
             (五十三次洛遊会)
       2013年11月16日(土)〜18日(月)

第2日目;2013年11月18日(月) 晴  (つづき)

<ルート地図>



<韮崎市上円井を行く>

■火の見ヤグラと内藤酒店
 妙浄寺の参拝を終えた私たちは,10時38分に妙浄寺を出発する.
 10時44分,聚落の中に立つ円野分団第一部火の見ヤグラの前を通過する.さらに5分ほど聚落の中の道を歩いて,10時48分,目印にしていた内藤酒店に到着する.内藤酒店の道路向かいに明治天皇円野御小休憩所碑があるはずである.
 
<円野分団の火の見ヤグラ>                        <内藤酒店>

■長屋門のある立派なお屋敷
 内藤酒店と道路を挟んで反対側には,白壁の塀と長屋門のある立派で大きなお屋敷がある.
 “すげえお屋敷だな〜ぁ…”
とビックリ感心しながら白壁沿いに歩く.

<立派なお屋敷>

■明治天皇御小休所碑
 お屋敷の門から,屋敷の中を覗く.広い庭の片隅に,明治天皇御小休所という刻字のある大きな石碑が立っている.
 お屋敷の中に入って,この石碑を見学しようかとも思ったが,ここが個人宅だったら不法侵入になるし,何よりもここから見えている石碑をわざわざ見に行くのも面倒なので,ここは写真を撮るだけで通過することにする.
 庭の突き当たりで,作業衣を着た男性が立ち小便をしている.
 「あれ…この家にはトイレがないのかしら…」
と同行の誰かが独り言を言っている.
 私は,終戦直後,焼け野原の銀座で立ち小便をしたことを,なんの脈絡もなくフト思い出す.そういえば,何方か忘れたが,当時の都知事が東京の街中で立ち小便をしたことが新聞種になったっけ…
 “戦後から較べると日本も随分と変わったナ…”
 私は,たまたまの立ち小便から,独り色々なことを回想する. 

<明治天皇御小休所碑>

■立派な灯籠
 10時50分,信号上円井で国道20号線に突き当たる.
 近くに石造りの灯籠が立っている.この辺りに秋葉山供養塔があるはずだが,どこにあるのか分からないまま,国道20号線を渡る.

<立派な灯籠>

<旧道の痕跡と児童公園>

■鹿嶋大神
 国道20号線を渡ると,その先に甲州道中の旧道が痕跡のように残っている.資料1の地図を頼りに痕跡を見つけるが,草むした道路跡のようなところが少しばかり残っているだけである.
 “これが,多分,旧道の痕跡でしょうね”
と近くに居られる方と話し合いながら,痕跡らしき場所を通過する.
 10時53分,旧道の痕跡の先にある児童公園に到着する.
 児童公園に隣接してコンビニがある.少々疲れ気味の皆さんは児童公園などには目もくれずにコンビニに向けてまっしぐらである.
 私一人だけ,児童公園に入ってみる.児童公園の広さは300〜400坪ほどだろうか.いや,もっと広いかな…
 公園入口から少し入った左手に鹿嶋大神と刻字された石塔が立っている.石塔を眺めながら,何時頃,どんな人たちが,どんな思いを込めて,この石塔を建てたんだろうかと想像する.
 “私には,厚い信仰心はないな…所詮,私は俗物に過ぎないな…”
と心の中で懺悔する.

<鹿嶋大神>

■沢山の石仏
 鹿嶋大神の直ぐ奥に沢山の石仏が並んでいる.多分,道祖神や馬頭観音が並んでいるんだろうと思うが,私以外の方々は,もうコンビニに入っているので,これらの石仏をユックリ見ている時間がない.
 私は,ちょっぴり残念な気分もするが,下の写真を一枚だけ撮って,皆が休憩を取っているコンビニに向かう.

<児童公園に立ち並ぶ石仏>

■セブンイレブンで一休み
 私は同行者より少し遅れて,10時56分,国道20号線沿いのコンビニ,セブンイレブンに到着する.
 コンビニで休憩を終えた私たちは,11時06分,コンビニから歩き出す.

<セブンイレブンで一休み>

<北杜市に入る>

■小武川橋を渡る
 11時08分,小武川に架かる小武川橋を渡る.小武川は釜無川の支流である.
  橋を渡ると韮崎市と北杜市の市境である.市境を示す案内板の写真を撮りながら,いよいよ北杜市に入る.橋の袂の十字路を右折する.
 
<小武川橋を渡る>                              <ここから北杜市だ>

■またもや火の見ヤグラ
 川沿いの道をほんの少し歩いて,11時10分,火の見ヤグラが角に立っている三叉路に到着する.火の見ヤグラを左手に眺めながら三叉路を左折して,北杜市武川町(旧武川村)の集落に入る.
 人の気配は殆どなく,閑静な集落の中を歩く.

<武川の火の見ヤグラ>

  
■沢山の消火栓
 閑静な集落の中をそぞろ歩きする.
 集落の中を歩いていて,目に付くのが沢山の消火栓である.わずか5分ほど歩く間に消火栓が3箇所もあるのに気が付く.見落としている消火栓もあるかもしれないので,この集落に何カ所消火栓があるのか分からないが…
 
<集落の中にある沢山の消火栓>

■黒沢橋を渡る
 11時17分,黒沢川に架かる黒沢橋を渡る.黒沢川も釜無川の支流である.橋の周辺には田園地帯が広がっている.

<黒沢橋を渡る>

■4基の馬頭観音
 11時19分,馬頭観音が4基並んでいるところに到着する.
 前方には,田んぼが広がっている.その先には聚落が,さらにその先には,何処の山か良く分からないが高い山脈が連なっている.素晴らしい風景である.
 馬頭観音のすぐ先で,国道20号線に合流する.

<4基の馬頭観音>

■一里塚跡
 馬頭観音と道路を挟んで反対側に一里塚跡がある.一里塚跡を示す比較的新しい感じの杭が立っている.
 ここは甲府から6里の位置にある一里塚なので,別名6里塚とも言われたようである.

<一里塚跡>

■武川町農産物センター
 国道20号線に沿って歩く.
 11時25分,武川町農産物センターに到着する.一同,特に買いたいものもないようなので,ここには立ち寄らずにそのまま通過する.
 農産物センター前のY字型三叉路を右折して,国道20号線の脇道に入る.

<武川町農産物センター>

■大きな庚申塔
 閑静な聚落の中を歩き続ける.
 右手から来た道路と合流する地点に大きな石の庚申塔が立っている.この庚申塔は文政5年(1822年)に建立されたもののようである.

<大きな庚申塔>

■題目碑
 11時30分,個人宅内にある題目碑を道路から拝見する.
 この題目碑が何か,また何が書いてあるのか,浅学の私には全く分からない.とにかく写真だけは写しておく.

<題目碑>

■長坂勘三郎先生碑
 11時32分,長坂勘三郎先生碑の前を通過する.立派な石碑である.
 私は長坂勘三郎先生については何も知らないので,とにかく写真だけを撮って通過する.
 インターネットで長坂勘三郎を検索したが,どうも明確な人物像を把握することができない.ただ資料3によると,明治36年(1903年),境川尋常高等小学校の初代校長に就任した人物のようである.

<長坂勘三郎先生碑>

■大武橋に到着
 信号牧原歩道橋の少し手前,望月石材のところで斜め右の路地に入る.道路を横断すると直ぐに突き当たりになる.道なりに左折する.そして,牧原八幡神社付近で,また,国道20号線に合流する.
 なお,牧原八幡宮は牧原の総鎮守である.
 11時44分,大武川(おむかわ)に架かる大武橋に到着する.大武川は釜無川の支流で,甲斐駒ヶ岳に源流がある川である.

<大武橋に到着>

[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://skies.fuefuki.ed.jp/enkaku.htm
                                         (つづく)

「甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ef7a3f2fc11d9a7b335ce0ae7c8de2e5
「甲州道中」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2f2710535035728ecce907b01ad89ebd
「甲州道中」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a622a87fbc7f4454e3e837fc990ece58

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