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鵜沢先生の訃報に接し愕然;MIS草分けの偉人

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                                     <鵜沢先生関連資料の一部>

                 鵜沢先生の訃報に接し愕然;MIS草分けの偉人

2019年2月13日(水)

 先週,知人の先生のフェースブックで,鵜沢先生か旅立たれたという訃報に接しました.驚愕!,100歳の天寿を全うされたとのこと.まずは謹んで先生のご冥福を祈ります.
 私は青山学院大学出身者ではありませんが,サラリーマンの現役時代から生涯を通じて鵜沢先生には大変お世話になっています.私には人生の変節点で大きな関わりがあった大恩人が2人居られますが,そのお一人が鵜沢先生でした.
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 2人の恩人の内,1人目の恩人はMZさんです.
 私は仙台の某大学工学部出身ですが,MZさんは,学生寮で一緒だった法学部の学生でした.残念ながら,MZさんはもう10年ほど前に旅立ってしまいました.
 昭和40年中頃,世の中は大変なMISブーム(Management Information Systemの略)でした.そこ頃ろMZ氏さんは某大手企業の人事課長をしていましたが,一念発起して,起業し,時々,セミナーを企画実施していました.
 その頃,私は某総合電機メーカーでコンピュータの仕事をしていました.いわゆる事務用コンピュータのシステムエンジニア(SE)です.どういう訳かその頃は理系出身者がSEになっていました.私は当時SE部門のペーペー管理者,社内およびユーザーのSE教育に腐心していました.
 そんなあるとき,MZさんはMISビームに目を付けて,SE養成セミナーを企画,実施しました.このセミナーは1日コースで,理論と事例を2~3人の講師が担当するという内容でした.セミナーは大盛況でした.そのセミナーの講師に鵜沢先生が居られました.セミナーではそれぞれの講師が纏めたレジュメを印刷して受講生に配布していました.
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 鵜沢先生は,私のレジュメを見て,MZ氏を通じて私に会いたいとのことでした.
 早速私は青山学院大学へ参上し,鵜沢先生に始めてお会いしました.それが縁で,青山学院大の学生でもない私が,一時期,先生の研究室にお邪魔して一緒に勉強させて貰いました.その傍ら,現場におけるSE教育の問題点や生々しい話題題を披露しました.その頃,この大学で知己を得た方々が,今でも第一線でご活躍されています.
 さて,その頃から先生のお誘いがあって,日本OA協会,日本能率協会,電子協,JIPDECなどの委員会,研究会,調査,各種セミナー講師などで,頻繁にご一緒させていただきました.私は定年退職直前に,横浜の某大学の教員にトラバーユしましたが,トラバーユできたのも先生の指導の下で応分の研究実績が積めたからです.トラバーユと同時に先生のご配慮で,同大学非常勤講師を2年間お引き受けしました.
 以上のような次第で,お二方の大恩人のお陰で,私の現在があるという次第です.
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 話が30年前に戻りますが,先生の肝入りで日本セキュリティマネジメント学会が発足しました.発足時,鵜沢先生が某タイヤ会社に居られた頃からの部下であったNTさんがこの学会の立ち上げに尽力されておられました.そんな関係で,私も黎明期の同学会でNTさんの下働きをしていました.これが縁で,後々,NTさんには私の勤務先だった大学の教授となられました.もちろん私同様にもうすでに定年退職され,今は悠々自適,趣味三昧で過ごされております.
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 鵜沢先生が先導役となって活躍されていた時代は昭和30年代中頃からです.あの頃はまだPCS(Punch(ed) Card System)から,初期のコンピュータ(電子計算機と呼んだ方が雰囲気が出ますね)への移行時期でした.日本では通産省の指導の下で日立,東芝,三菱電,日電,富士通,松下,沖の7社体制でコンピュータの国産が始まりました.国産と言っても大方のメーカは欧米のコンピュータメーカと技術提携しノックダウン方式で始めました.
 その頃,アプリケーションの分野では鵜沢先生の他に,南条優氏,前川良博氏(後に横浜商大教授),稲葉秀雄氏などの諸先輩が大活躍でした.これらの諸先輩は日本のEDP幕開け時代の先駆者でした.そうなろと私達の世代は日本EDPの第2世代ということになるのでしょうか.でも第2世代ももうとっくに幻影から退き,旅立たれた方々も多くなりました.
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 冒頭の写真は,現在私の手許にある資料の中ですぐに見つかった鵜沢先生関連の資料です.この写真の下の方に写っているセミナー資料は鵜沢先生に声を掛けて頂く切っ掛けになったもの.中段のテキストは鵜沢先生が監修されて作ったもの,左上は,
  鵜沢昌和(著),1975『要説電子計算機』自由書房,326ページ
です.黎明期のコンピュータ利用を知るために貴重な資料になります.
 次に紹介するのが,日本能率協会・日本オフィスオートメーション協会が,1984年に発刊した『ホワイトカラー生産性研究総合報告書』(558ページ)です.
 この報告書は高宮普氏(産業能率大学長)委員長,鵜沢先生が副委員長で,
   ①ホワイトカラー生産性総合指標研究専門委員会,
   ②組織・管理生産性研究委員会
   ③管理者生産性研究委員会
   ④技術者生産性研究委員会
   ⑤事務・OA生産性研究委員会
の5部門に分かれて,3年間にわたって研究した結果を纏めた大作です.今になってはもう入手は極めて困難な本になっていると思います.

←クリック拡大
 鵜沢先生は,⑤事務・OA生産性研究委員会を担当されました.本書で提示された問題点や課題は,今でもそのまま通用すると思っています.
 この研究書が私の人生に大きな影響を与えることになりました.
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 今回は,ブログ記事としては,ちょっとそぐわない内容になってしまいましたが,ご覧下さった方々,どうぞご容赦下さい.
                           (おわり)
「閑話休題・日々雑感」の前回の記事
https://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/43a3b9d48a44b8bfc179cea2458088af
「閑話休題・日々雑感」の次回の記事
https://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/07e9eed37f490737f1bd86cecf9f5693

お断り;
 これらの記事は,私の趣味仲間を読者対象としたものであり,一般の読者を対象としていません,したがって,まったく個人的なものです.また十分に時間を掛けて編集していませんので,記事は正確とは言えないし,誤字脱字転換ミスも多々あると思います.このことを前提にしてご覧下さい.
 また,当ブログ記事を読んで,不快になられた方は,以後,当ブログへアクセスされないようにお願い致します.

 


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