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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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歩いて巡る甲州道中四十四宿(第7回);第2日目(3);甲斐市を行く

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                                                              <称念寺>

   歩いて巡る甲州道中四十四宿(第7回);第2日目(3);甲斐市を行く
             (五十三次洛遊会)
       2013年11月16日(土)〜18日(月)

第2日目;2013年11月17日(日) 晴

<ルート地図>


※再掲


※この地図には1箇所誤りがあるので後日差し替える予定

<甲斐市に入る>

■美術館から歩き出す
 駆け足で山梨県立美術館の見学を終えた私たちは,10時51分に美術館から歩き出す.美術館前の並木が見事に紅葉している.
 歩き出して間もなく,進行方向左手の路地を入ったところに竜源寺があることは分かっているが,時間が押しているので参拝は諦めて先を急ぐ.資料1によると竜源寺には筆塚,石塔群,六地蔵などがあるようだ.

<県立美術館から歩き出す>

■竜王高架橋を潜る
 11時00分,竜王高架橋の下を潜る.高架橋の手前に「甲斐市」の案内板が立っている.私たちはいよいよ甲斐市に入るようである.
 平成16年(2004年),竜王町,敷島町,双葉町が合併して甲斐市が誕生した.
 私たちは自動車を気にしながら,道幅の狭い歩道を,縦一列になって,黙々と歩き続ける.

<竜王高架橋>

■日蓮大菩薩遠忌碑
 11時02分,竜王高架橋を潜って直ぐの左手に日蓮大菩薩遠忌碑がある.
 資料1によると,この碑は文化10年(1813年)に建立されたらしい.
 同じく資料1によると,縁起(えんき)とは50年ごとに行う宗祖の回忌法要のことらしい.向かって右は天明元年(1781年)建立の500年遠忌,左は天保2年(1831年)建立の550年遠忌のものだとのこと.

<日蓮大菩薩遠忌碑>

■山県神社社標と某寺
 11時08分,山県神社社標と思われる石柱の前を通過する.この石柱が本当に山梨県神社社標かどうか,私には判断がつかないが,多分そうだろうということにしておこう.地図を見ると山県神社は,ここから南へ約800メートルほど行ったところにある.資料1によると,山県神社は明治10年(1921年)建立された.祭神は江戸時代中期の儒学者,山県大弐(やまがただいに)である.
 また,彼は,資料1によると,尊皇攘夷を唱え,幕府に捕らえられ処刑されたが,100年後倒幕の大義名分になった尊皇攘夷は大弐の遺徳と言われている.そして維新後正四位に叙せられたという.
 11時13分,進行方向右手,甲州街道から少し離れたところにお寺の建物が見えているが,少々離れているので参拝は省略する.従ってこの寺の名称すら,今のところ,分からない.
 
<梨県神社社標>                    <某寺の本堂らしい建物が見えている>

■梵字殿堂窪田成円サロン
 11時20分,立派な門構えにお屋敷の前を通過する.門の前に「梵字殿堂窪田成円サロン」という看板が置かれてる.
 余談になるが,鎌倉のヤグラなどで良く見掛ける梵字が読めたらいいなと何時も思っている.一生懸命に梵字を学習しようという気はない…が,何となく梵字が気になる.どうやら入場料なしで見学できそうである.私の一人旅ならば,フラフラと立ち寄って,梵字の匂いぐらいは嗅いでみたいなと思うが,今回は大勢の皆様とご一緒している,わがままは許されないので,ちょっと残念に思いながら通過する.

<梵字殿堂窪田成円サロン>

■厄除不動尊
 地図頼りに歩き続ける.
 「多分,この辺りから右折した直ぐの所に厄除け不動尊があるはずですよ…」
と言いながら甲州街道から右折して路地に入る.
 「う〜ん…変ですね,厄除不動尊があるとすればこの辺りだが…」
 私は,多分,自分が作った地図が間違っているんだろうと,探すのを諦めかける.丁度そのとき近くにお住まいの女性が通りかかる.仲間の誰かが,厄除不動尊が何処にあるのかこの醸成に聞く.女性は,
 「ここですよ…」
と,私たちの直ぐ横にある建物を指さしながら教えてくれる.
 「あれ!…ここですか!」
 私たちは厄除不動尊のすぐ前に居ながら,普通の民家だと思い込んでいたのだ.
 …というわけで,11時25分,厄除不動尊を参拝する.
 
<厄除け不動尊の建物>                         <厄除不動尊>

■丸石道祖神
 厄除不動尊の参拝を終えて,元の道に戻る.
 「この辺りに丸石道祖神があるはずだが…」
と十字路付近を探す.
 すると四つ角の直ぐ近くに,文字通り大きな丸い石の道祖神が安置されている. 

<丸石道祖神>

<称念寺>

■称念寺で休憩
 11時30分,進行方向左手にある称念寺に到着する.参拝を兼ねて,境内で休憩を取る.
 称念寺の由来などは,手許の資料では,今のところ良く分からない.インターネットでも調べたが,ここが浄土宗の寺だということ以外にこれといった情報は得られない.

<称念寺の本堂>

■くり抜き井戸
 称念寺の境内の一角に,くり抜き井戸がある.甲斐市指定有形文化財.
 井戸の傍らに立っている説明文によると,一枚岩で加工された石枠がこの井戸の特徴のようである,高さ61センチメートル,一辺の長さ92センチメートルの正方形で,四隅の面を削り隅丸になっている.内径は65センチメートル.
 この井戸は上水道ができるまで,付近の聚落の生活用水として使われていたという.
 称念寺が信州往還(甲州街道)に面していたことから,ここを往来する旅人が休憩を取っていた.そのために古くから「お休み井戸」と呼ばれていたらしい.また,この井戸が何時頃作られたか正確には分からないが,称念寺が慶弔11年(1606年)に建立されていることから,その頃に作られたと推定されるという.

<くり抜き井戸>

■石造六地蔵尊
 境内の一角に石造六地蔵尊がある.これも甲斐市指定有形文化財である.
 傍らに立っている説明文によると.これらの地蔵尊は江戸時代初期の作とされている.下部が土の中に埋没しているので総高は把握できないが,地上部分の高さは73〜84センチメートルである.印相(手で結ぶ印の形や仏の顔つき)はそれぞれ異なる,もとは,寛永年間(1624〜1644年)に赤坂諏訪神社付近に創建された地蔵院の本尊であったと伝えられる,
 地蔵院が明治初期に廃寺になった後,この六地蔵は里中の石橋に転用されていたが,大正年間に掘り出され,称念寺に祀られたという.

<石造六地蔵尊>

■第一信州往還踏切を渡る
 11時37分,中央本線第一信州往還踏切に到着する.丁度そのとき,中央本線下り普通電車が通りかかる.
 電車とネコは出会ったときに写真を撮るのが癖の私は,すかさずデジカメを構えて,近付く電車の写真を撮る.

<第一信州往還踏切>

[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
                                         (つづく)

「甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c7cff3573a33e507c24bc0edcb8f034b
「甲州道中」の次回の記事
(編集中)
「甲州道中」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a622a87fbc7f4454e3e837fc990ece58

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