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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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歩いて巡る甲州道中四十四宿(第7回);第1日目(4);円光院から武田神社へ

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 歩いて巡る甲州道中四十四宿(第7回);第1日目(4);円光院から武田神社へ
             (五十三次洛遊会)
       2013年11月16日(土)〜18日(月)

<ルート地図>


※再掲

<河尻塚>

■複雑なルート
 私たちは武田三代公御廟の見学を終えて,15時25分に大泉寺を出発する.
 私の作った不確かな地図だけが頼りなので,はなはだ頼りないが,まあこの地図しかないので仕方がない.疑心暗鬼ながら地図を頼りに西へ進む.道路の両側には閑静な住宅街が続く.
 やがて,先ほど三叉路で枝分かれした道に再び突き当たる.右折してこの道に入る.相変わらず緩やかな登り坂である.夕暮れが次第に迫っている.ガイド役の私は内心で少しばかり焦りだしている.
 地図を見ながら,ここと思われる十字路で右折して,東に向かう.途中で古の道を示す案内標識を見て内心でホッとする.
 案内標識のところで,左折して北に向かう,そして,再びここだと思われる場所で右折する.この十字路の直ぐ近くに川尻塚があるはずである.ところが,ここと思われる場所にはどうしても見当たらない.
 私たちは川尻塚の見学を,半ば諦めて先へ行こうとしたときに,進行方向右手の金網腰に川尻塚の案内板があるのに気がつく.
 
<金網越しの案内板>

■川尻塚に到着
 実際に川尻塚がある場所よりも少し先へ進んで,右手にあるセキュリティ防災センターの敷地らしいところに入る.公園風の広場になっている.広場から見事に紅葉した樹木が見えている.防災センターの建物を廻り込むようにして,広場の片隅にある川治里塚に到着する.
 何を意味しているか良く分からない小さな塚石が置かれている.私にはリスかウサギが上を向いているようにも見えるが,一体何だろう.
 甲府市発行の観光案内によると,川尻塚は,「武田氏滅亡後,織田信長の家臣川尻秀隆が甲斐一国を賜ったが,本能寺の変以降地位が暗転し,一揆が起こり,この地で逆さまにされて埋められた」ところだという.

<川尻塚>

<武田信玄の墓>

■ツアー客と鉢合わせ
 15時39分,川尻塚から歩き出して,15時44分に武田信玄の墓に到着する.偶然,大きな団体と鉢合わせになる.某大手旅行会社のツアー客である.私たちと違って,バスに乗ってのツアーである.参加者の年令は私たちとほぼ同じくらいだが,このツアーの皆さんと私たちの歩き方立ち居振る舞いが自ずから違うことに気がつく.やっぱり歩くことが苦にならない私たちの方が何となく若々しい感じがする.
 バスツアーの方々で信玄公墓の前が混雑しているので,墓前が好くまで,私たちは暫くの間待ち続ける.

<混雑する信玄公墓前>

■武田信玄の墓
 ツアー客の後について武田信玄の墓を詣でる.立派な墓石が立っている.周囲の紅葉が実に美しい.墓の写真を撮りたいと思うが,墓の正面は観光客で混雑しているので,ちょっと横にずれて写真を撮る.そのために,何だか商店が定かでない写真になってしまった.
 甲府市の観光案内によると,ここは武田信玄を荼毘に付したところだという.なお武田信玄の墓は,諏訪湖,長岳寺(長野県),竜雲寺(長野県),高野山,福田寺(愛知県),妙心寺など全国にあるといわれている.
 15時42分,武田信玄の墓を後にする.

<武田信玄の墓>

<円光院>

■坂の上の円光院
 15時47分,武田信玄墓から円光院へ向けて歩き出す.
 途中までは,先ほど鉢合わせしたツアー客と一緒である.ただ,歩くことを趣味にしている私たちに比較して,バス旅行の皆さんの歩行速度が余りにも遅いので,申し訳ないが先に行かせてもらう.
 ゆるやかな登り坂を先へ進むと三叉路に突き当たる.この三叉路を右に進むと円光院のようである.
 先ほどのツアー客は,この三叉路で専用バスを待つことになっているようである.
 私たちは,そのまま右手の道を登り続ける.少し急な坂道である.ほんの数分登り続けて,15時52分,円光院に到着する.

<円光院に到着>

■武田信玄正室三条夫人の墓所
 円光院は,武田信玄正室三条夫人の菩提寺である.
 甲府市の観光案内によると,説三和尚を住持として開山された寺である.甲府五山の一つである.三条夫人は元亀元年(1370年)に殁.円光院は三条夫人の法名である.この寺には武田信玄の寄進状,遺宝が保存されているという.

<三条夫人墓所>

■夕暮れ迫る境内
 本堂裏手にある三条夫人の墓を詣でたいが,夕暮れが迫っている.先を急ぐ必要があるので,残念ながら三条夫人の墓詣では省略する.
 もう,長い陰を落としながら,夕日が境内に射し込んでいる.先を急がなければ…

<夕暮れ迫る円光院の境内>

<円光院から武田神社へ>

■護国神社
 15時55分,円光院から武田神社に向けて歩き出す.兼行院前の下り坂を下りているときに,また,先ほどのツアー客とすれ違う.
 もうすぐ日没である.何とか明るい内に武田神社まで辿り着きたいので,同行の皆さんには少々申し訳ないなと思いながら,歩行速度を一割ほど速める.
 進行方向右手に4〜5メートルの土手が続く.地図で確かめると,どうやらこの土手の上が信玄池のようである.土手を這い上がって池があるかどうか確かめたかったが,良い年をしてみっともないので止めておく.
 16時05分,護国神社の大鳥居前に到着する.奥の方にある社殿が見えているが,先を急ぐので,参拝は省略する.そして足早に通過する.

<護国寺>

■真田弾正忠幸?屋敷跡
 16時16分,真田弾正忠幸屋敷跡に到着する.
 何の変哲もない駐車場の片隅に,真田弾正忠幸?の案内板が立っている.
 この案内文によると,「真田氏は信濃国小県郡を中心に発展した滋野一族の支援で,幸隆は滋野氏の末裔,天文10年(1541年)に,信玄の父信虎に攻められ,上総国に亡命,同15年(1546年)までに信玄に従う.川中島の戦いなどで活躍した人物」である.
 私が中学高校時代に,小諸から上田まで信越本線の汽車通学をしていた.今は信越本線はしなの鉄道になったが,小諸の次の駅が滋野である.この「滋野」が,遠く離れた甲府と縁があったとは…歴史の綾のおもしろさを,今更のように感じる.

<真田弾正中幸隆屋敷跡>


<武田神社>

■観光客で賑わう武田神社
 16時15分,漸く武田神社に到着する.太陽が随分と西に傾いて,間もなく日没である.でも,何とか明るい内に,武田神社胃到着できたので,内心では実にホッとしている.
 “オレの責任は無事終わった…!”
というのが偽りのない感想である.
 何はともあれ,とにかく武田神社の参拝を済ませる.
 甲府市の観光案内によると,武田神社の祭神は武田信玄.大正元年(1919年)に創建.この神社の境内は武田氏三代の躑躅ヶ崎館跡である.戦国大名の館としては最大規模だったという.国史跡指定.
 ここは,観光の重要地点らしく,境内は沢山の観光客で賑わっている.
 丁度,七五三の時期でもある.着飾った親子の姿も目立つ.平和そうで実に微笑ましい風景である.
 参拝を終えて,参加者全員の集合写真をとる(冒頭の写真).

<武田神社>

■武田神社前バス停
 16時45分頃参拝を終える.
 一同が希望すれば,多少暗くなっても,甲府駅を目指して歩いて帰ろうかと思ったが,
 「もうシンドイです…バスで帰りましょう」
というリーダーの意向で,第1日目の街道歩きは,ここで終了となる.神社前のバス停でバスが来るまでひたすら待つことにする.
 私たちが宿泊する甲府ワシントンホテルの前を通るバスの発車時刻は17路00分である.まだ時間があるので,道を挟んで反対側にある売店を一回りしながら時間を過ごすことにする.

<バス待ち>

[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
                                         (つづく)

「甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/af59416a3c46c903ff33137ae7f8a402
「甲州道中」の次回の記事
(編集中)
「甲州道中」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a622a87fbc7f4454e3e837fc990ece58

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