新年最初の日曜日;鎌倉中央公園散策で日常が始まった
2018年1月7日(日) 晴れ
<鎌倉中央公園を抜けて大船駅へ>
■大きな鳥
午前中は予期していないことがあって,瞬く間に過ぎてしまった.
夕方,鎌倉通追う公園を抜けて大船駅まで,ぶらぶら散策を楽しむ.
今日は上々の天気で,気温もそこそこあったので,お散歩には最高の日和である.公園は何時もより大分賑わっている.特に幼児を連れた家族や老人が多いようである.
下池に人集りがある.
立派なカメラを持った老人が何人かカメラを構えている.
何事かなと思いながら,私も人集りの中へ…
大きな鳥が池の中で突っ立っている.ジッとしたままなので,剥製の鳥と間違えそうになる.鳥に特に興味があるわけではないが,私も釣られて鳥の写真を撮ってしまう.
”あいつ,昨日もこの池に居たな…サギだろうか?”
■水温む(?)
池の対岸に太陽の光が当たっている.池に反射している.なんとなく春の到来を連想させる雰囲気だ.池の水が温んでいるかなと錯覚する.
ここでも何人かのカメラマンが盛んに写真を撮っている.
<今年も”あくせくの毎日”かな?>
公園の散策を終えてから年賀状の整理をする.
今年は例年に較べると交換した年賀状の枚数が幾分少なくなった.年を重ねるとともに年賀状を交換していた知人や友人が旅立ったり,いわゆるギリネンが少しずつ減るのが少なくなる理由である.
ここ数年,毎年のように年賀状の交換はとてもシンドイので,もう今年限りでお終いにしようかなと思うが,
”待て,待て,…まあ,そう言わずに,とにかく今年だけは年賀状のやりとりを続けよう…”
そんなことを考えながら,今年も約200人の方々と年賀状のやりとりをした.
頂戴した年賀状の約90パーセントは元旦に受け取った.残りの大半は2日から3日の間に頂戴したが,その後も,今日(7日)まで,1枚,2枚…と受信する.
私が投函した年賀状のごく数枚が「宛先不明」で戻ってくる.原因は全部転居.転居の連絡がないので旧住所に出してしまう.転居した方は,新しい住所で送ってくる.すると,結果的に私の方が後出しになり,しかももう一度新しい住所宛ての年賀状を出し直すことになる.そんなとこは何となく割り切れない気分になる.
また年賀状を頂戴してから,あわてて投函した年賀状もかなりの枚数になっている.
そんなこんなは,どなたにも共通する話だとは思うが,いずれにしても今日辺りで年賀状のやりとりは一段落する.
こんな愚痴を言いながらも,私は,多分,,来年も年賀状のやりとりは続けているだろう.もちろん元気で来年を迎えれば…の話だが.
…というのも,「年賀状のやりとりは今年限りにします」という連絡をしてきた方々の消息は,翌年から全く分からなくなってしまうのが現実である.
フェースブックやPCメールを使っての新年の挨拶ももちろん可能だが,やっぱり年賀はがきが嬉しい.
”生きている間は,1年にたった1回だけの情報交換ぐらいは続けよう…”
と改めて思う
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今朝,突然の訃報が舞い込む.
鎌倉在住で病気療養中だった遠い親族の訃報である.私より8歳年下.毎度のことだが,年下の人の訃報を聞くと悲しくなる.
あわてて家内共々,タクシーで親戚の家へ向かう.そして,お別れしてかあr自宅へトンボ帰り.
これで午前中は終わり.
予定していた1月15日頃までにすっかり仕上げ書き物はそのまま手つかずだ.夕食後に持ち越す.悪戦苦闘.アッというまに22時を過ぎる.いつも20時30分から21時頃就寝の私は夜なべは苦手.
頭後が”ボーッ”としてきたので作業を打ち切る.”締め切りまでに間に合うんだろうか.
4月に描き上げるのを目標にしている水彩画だが,ここ一両日,放置したままになっている.さてどうしよう?
新年早々から,何もかも中途半端.これでは,息が詰まりそうな毎日を繰り返すことになりそうだ..
まあ,それでもいいかな.ドンマイドンマイ.
(おわり)
「閑話休題;日々雑感」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/cfdd55065c2d85683d4a7d4ec694a634
「閑話休題;日々雑感」の次回の記事
(なし)
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