お盆休み特集 昭和を振り返る;第7話;ハニホヘトイロハ
(2017年8月21日記)
今の私が一番悔しい思いをしているのは,音楽の素養が全くないことである.常日頃,どんな楽器でも良いから,まともに
奏でられるものが,一つでもあったら,さぞかし楽しい人生が送れただろと想像すると,時単打を踏むほど口惜しい.
私が小学生(正確には途中から国民学校生)の頃は,音楽という言葉すら聞いたことがなかったような気がしている.ただ「唱歌」という授業があって,もっぱらも歌ばかり歌っていたように記憶している.それでも,戦争が始まって間もない頃は,音楽ではなく「唱歌」だったかもしれないが,国語,算術,国史,物象などの授業と同様に.結構,まともにに授業が行われていた.ただし授業内容はがちがちの軍国主義だった.
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オルガンに合わせてもっぱら歌を歌う.
でも時々和音なども教わった…が,敵性外国語である英語の使用は御法度である.「ドレミファソラシド」の音階は「ハニホヘトイロハ」 に変えられていた.だから,終戦になるまでドレミファソラシドなんて全く知らなかった.
和音の「ドミソ」は「ハホト」と表現した.他の和音も同じ要領である.
もっとも,当時は,野球の世界でも「ストライク」が「良し」と言い換えられたそうだが,当時の少国民である私たちは野球そのものの存在すら知らなかった.
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そんな世相でも,私は何となくハモニカを吹いてみたくなった.その切っ掛けは両親の本の中で,音符が数字で表記されているハモに通うの楽譜を見つけたことである.
「欲しがりません勝つまでは」の時代である.
ハモニカを買うには,まず担任の先生のところへ行って,ハモニカ購入許可書を貰わなければならない.
職員室に入るときには,入口で起立,敬礼して,
「○○先生に,カクカクシカジカのことで入ります」
と大きな声で宣言して,許可を貰わなければならない.
「この非常時にハモニカなんて贅沢だぞ…」
と先生にしかられる.
私はすごすごと引き上げようとすると,
「まあ,待て…」
と呼び止められて,許可証を発行してくれる.
後になって考えると,建前では「この非常時に…」と叱ってはいるものの,内心では殺伐としはじめた時代に,少しでも楽器に関心を持つ生徒が居るのが嬉しかったに違いないと思うようになった.
こうして,私は生まれて初めてハモニカを手にした.
ハモニカで真っ先に吹きたかったのは軍艦マーチである.見よう見まねで,軍艦マーチらしい曲をなんとか吹奏できるようになるのに,そうは時間が掛からなかった.
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あれから幾星霜.
パチンコ屋のBGMに,軍艦マーチが高らかに鳴り響く時代が来た.
戦時中,憧れの大将であった帝国海軍の軍艦マーチが,パチンコ屋で流されるとは…戦争中に育った私はとても憤慨した.今は,町中で軍艦マーチを聴くこともほとんどなくなった.
私も,小学生時代から数十年の間に何本かのハモニカを買ったが,いつの間にかハモニカには興味がなくなった.
でも,つい先日,稲のどこかに古いハモニカがあるはずだと思って,家捜ししたがどこかに紛れていて出てこない.
今になって,おもちゃで良いからハモニカを買おうかとふと思う.
(第7話おわり)
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