<建中寺参道>
奥州街道(白河の道);第5回;1日目(1);芦野宿探訪;建中寺と遊行柳
(クラブツーリズム)
2017年5月17日(水)~18日(木)
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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/600ba1da860873c4f6a1e0de03060765
<ルート地図>
■第5回の概念図
第5回で訪れる宿場は芦野宿,白坂宿,および白河宿である.今回を以て奥州街道約80キロメートルの旅は無事完歩ということになる.
今回の旅を終わると,五街道全部踏破したことになる.
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■第5回全体図
第5回の旅は,芦野宿から始まる.1泊2日の旅である.
1日目は芦野町営駐車場から歩き出して,栃木県と福島県の県境にある境の明神まで歩く.
2日目は境の明神から白河宿まで歩く.
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■第1日目の全体図
1日目の行程は水平歩行距離10.3キロメートル,累積登攀高度224メートル,累積下降高度72メートルの行程である.
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■芦野宿詳細図
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<上野駅集合>
■朝から蒸し暑い
年を取るとどうしても早起きになってしまう.
早朝から自宅で何か仕事をしたり,あるいは4時10分に自宅を出発して塔ノ岳に出掛けるときは,朝の時間丁度良いが,この旅のように,上野8時集合となると,朝の始動が何時もより,2時間も遅くなってしまうので時間を持て余す.その間,何か仕事をすれば良いじゃないかと言われても,そうなると出掛ける時間がきになってしまい仕事どころではなくなる.
前回も,集合時間より1時間半も早く上野駅についてしまったので,時間つぶしに上野公園をぐるぐると散歩して過ごした.でも,今回,また上野公園をウロウロするのもいやなので,できるだけ自宅で時間を潰すように心掛ける.
でもついに居たたまれず,未だ早すぎるなと思いながらも,5時30分頃,自宅を出てしまう.
今日は朝からずいぶんとムシムシしている.気温も湿度もずいぶんと高そうである.
最寄りの駅から湘南モノレールに乗車する.早出のサラリーマンに混じって…
ほんの数分,湘南モノレールに乗車しただけで大船駅に到着する.
大船駅は急ぎ足で歩くサラリーマンで一杯である.
”何年か前のオレも,あんな具合に颯爽と歩いて電車通勤をしていたなあ…”
私は若かりし頃の自分の姿を回想する.
皆背広を着て張り切っているな…それに較べて今のオレは一体何なんだ! よれよれのズボンと禿びてバッチイ運動靴を履いている.それにセンスのないよれよれリュックを背負っている.廻りのサラリーマンの諸君に比較して,なんとまあ見窄らしくて,哀れっぽいことよ.”少年老いやすく学成り難し”って,まさに今のオレのことを言っている.
■上野駅で490円也の朝食
私は颯爽としたサラリーマン諸氏と混雑する通勤電車に乗るのは,正直,シンドイ.それに,まだ,十分に時間があるので,根岸線の始発電車で腰掛けて居眠りしながら上野駅まで行くことにする.
大船6時50分発大宮行電車に乗車する.ユックリともたれかかることができる隅っこの座席に座る.
”よし,これでOK! 上野駅まで,居眠りをして行くことにしよう…”
眼を覚ましたまま根岸線に乗っていたら,各駅停車が焦れったいので,白河夜船を決め込むのが一番である.
半分眠っているような起きているような曖昧な時間が過ぎる.何時,橫浜や川崎を通ったのか分かっていたような,分からなかったような…とにかく品川を過ぎる辺りで,ハッキリと覚醒する.
7時06分に上野に到着する.
”うん,まあ,丁度良い時間だな…”
実は,今の私は上野駅フアンである.上野駅の公園口に繋がる高いところの「ロ」の字型のコンコースを歩くと,500円前後で結構な朝食が摂れる店が何軒もあるからである.なにせワンコインでちゃんとした朝食が摂れるから凄い.私が知る限り,東京駅構内のお店でワンコインでちゃんとした朝食が摂れるところは見当たらない.私ごとき貧乏人には上野駅が一番良い.
私はお気に入りの某食堂に入って,和食の朝食を楽しむ.ここは何種類もある主菜の中から1品,副菜の中から2品選んでご飯と味噌汁付きで490円である.
”よし! 今日はハムエッグにしょう!”
<お気に入りの490円朝食>
<専用バスで芦田へ>
■受付を済ませて専用バスへ
ユックリと朝食を済ませてから,公園口から駅の外に出る.
余談になるが…
私は,幼少の頃,上野の池之端七間町というところに住んでいた.昭和10年代の頃の話だが…
私は上野駅を発着する電車を見ているのが好きだった.ちょうど今,観光バスの発着所になっている辺りから駅を見下ろしていた.あの頃の情景を今でも覚えているから不思議である.
閑話休題.
クラツリの係員の誘導にしたがって,7時40分,受付を済ませる.
今日の添乗員はKNさん.講師のHD先生もすでにお見えである.奥州街道の旅も回を重ねるにつれて,顔見知りの方も少しずつ増えてくるのが嬉しい.
7時53分,バス停に私たちの専用バスが到着する.大型のバスである.すぐに乗車する.私の席は後ろの方である.2人分の席を一人で使えるようなのでありがたい.
<私たちが乗車する専用バス>
■専用バスの車内
定刻8時00分,私たちを乗せた専用バスは,上野駅前から発車する.
今回の参加者は27名とのこと,大集団である.男女比は聞かなかったが,概ね3対7ぐらいだろうか.ご多分に漏れずここも女性優位である.
年令層は…?
余り良く分からないが,60歳代と思われる方が多い様に見受けられる.お見受けしたところ,多分(多分ですよ!),私が最年長だろうと思う.
走り出してすぐに添乗員のKNさんの挨拶がある.
続いて,講師から今回のコースの説明がある.
私たちが利用する専用バスは大型で,車内もユッタリしていて,なかなか綺麗である.足許もユッタリしている.飛行機のエコノミークラスの席など,比較の対象にもならない.
<バス車内>
<町営駐車場に到着>
■大谷SAで休憩
ときどき居眠りをしながら,退屈な時間を過ごす.
9時33分,大谷SAに到着する.ここでトイレ休憩.
9時47分,休憩を終えて大谷SAから発車する.
<大谷SA>
■芦野町町営駐車場に到着
10時20分,那須ICで高速道路から一般道に降りる.
その後,何処を走っているのか土地勘のない私には全く分からないが,丘陵ち通ったかと思うと,水田の広がる平地を通るというパターンを何回か繰り返した後,10時48分,第4回の旅の終点,芦野町町営駐車場に到着する.
駐車場の片隅に大きな火の見ヤグラが建っているのが印象的である.
まずは,講師の音頭で,ストレッチを行うが,このストレッチが,山岳ガイドから教わったストレッチとかなり違うので,奥州街道では,毎回,違和感を持ちながら,指図通りのストレッチを行う.
<芦野町町営駐車場>
<町営駐車場から歩き出す>
■懐かしい油屋
ストレッチを終えて,10時58分,町営駐車場から歩き出す.歩き出してすぐに,前回の奥州街道歩きのときに,美味しい昼食を摂った油屋の前を通過する.
”ここのメシは豪華だったな…”
と食べ物に卑しい私は,さっそく生唾をゴクリ.
”さて,今日の昼食は何だろう…?”
まだ歩き出したばかりなのに,私はもう昼食のことを連想する.
<懐かしい油屋の前を通過する>
■芦野郵便局
続いてすぐに芦野郵便局前を通過する.
”前回は,この脇の道を登ったな…”
と前回の旅の様子を回想する.
郵便局のはす向かいにある本陣跡の立派な建物を眺めながら,柳町を直進する.
<芦野郵便局>
■曲輪跡
11時00分,道路が右に少し曲がる.その先,すぐに今度は左に曲がる.講師の説明によると,ここは曲輪の跡とのことである(芦野町詳細地図参照).
講師の説明がなければ,何となく通り過ぎてしまうところである.
今日も私は何となく一番後ろから歩くことになる.
”どうも,スタートダッシュがダメなんだな…”
<曲輪跡;まずは右折> <曲輪跡;次いで左折>
<建中寺>
■建中寺の山門
11時05分,建中寺参道入口に到着する.
入口から100メートルほど石畳の参道が続く.その先には大木が鬱蒼と茂る小高い丘が見えている.丘尼突き当たって十数段の石段を登ると,立派な山門がある.曹洞宗.山号は保寧山.
資料1によると,「芦野家の菩提寺は元々米澤山金光峯寺最勝院でしたが19代当主芦野資俊が元禄5年(1692)6月26日に死去すると保寧山建中寺境内に葬られ、以後、建中寺が芦野家歴代の菩提寺となりました。ただし、20代資親以後の27代資原までの当主は江戸で没している為、江戸の菩提寺である惣禅寺に葬られ建中寺には供養塔の他、当地で没している夫人や、子女等の22基の碑塔が建立されています。「芦野氏の新墳墓」は領主歴代の墓域として貴重な事から昭和37年(1962)に那須町指定史跡に指定されています。寺宝も芦野氏縁の品々を数多く所有し芦野盛泰の書と伝えられ「風月」の掛け軸などを所有しています。本堂は入母屋、銅瓦棒葺、平入、桁行6間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ。山門は切妻、銅瓦棒葺、一間一戸、四脚門。宗派:曹洞宗。」(以上資料1からコピペ)
三門を潜る.
鬱蒼とした木立の中に本堂が建っている.
<建中寺の山門>
■建中寺本堂
ノートにメモをしたり,写真を撮ったりで,私はどうしても遅れがちになる.大半の方々が参拝を済ませた後,私はノコノコと本堂へ向かう.
本堂に向かって右手の方に廻り込んで,墓地の方に向かう.
<建中寺本堂>
■芦野氏の新墳墓
本堂裏手にある芦野氏の新墳墓を拝観する.
鬱蒼と樹木が茂る小高い丘の上に澤山の墓石が立ち並んでいる.
資料2によると「蘆野氏は下野国の那須氏庶流で那須七騎の一つ。蘆野氏16代当主蘆野盛泰(知行800石)の長男として生まれる。慶長4年(1599年)、父・盛泰の急逝によりわずか8歳で家督を相続し、この年に上洛して豊臣秀頼に謁見した。慶長5年(1600年)には江戸へ行き、初めて徳川家康に拝謁。同年の関ヶ原の戦いでは周辺の那須衆ともども徳川家康率いる東軍に付き、政泰は老母を江戸に人質として送って二心無き事の証明を立て、上杉景勝の南下に備えて蘆野の防備を固めた。これらの功で戦後に300石を追加される。慶長7年(1602年)に先の合戦で西軍についた常陸国の佐竹義宣が所領を移される際には、伊王野資信と共に義宣の所領である山能に赴き、同地の守備にあたった。この年に更に1,600石の加増を受け、政泰の知行は合わせて2,700石となっている。」(資料2からコピペ)
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<芦野氏墓地>
<新町の地蔵尊と遊行柳>
■新町の地蔵尊
建中寺の裏手を時計回りに一廻りして,11時17分,元の場所,参道入口に戻り,また街道歩きを続ける.
11時22分,森町の地蔵尊や二十三夜塔などが並んでいる石塔群の前に到着する.
資料3によると,この地蔵尊は享保2年(1717年)に建立された.芦野宿に疫病が入るのを防ぐために現在の遊行庵(後で立ち寄る予定)の場所に祀られたが,大正年間に行われた道路拡張工事のために現在地に移されたとのことである.
<森町の地蔵尊と石塔宮>
■奈良川を渡る
11時22分,奈良川に架かる髙橋を渡る.国道294号線を渡って,狭い道幅の道に入る.
いちいちメモを取っている私は,下の写真のように,どうしても一行より遅れてしまう.メモを取っては,追っかけることを絶えず繰り返す.
<奈良川を渡る> <自動車道路を横断して狭い路地に入る>
■見渡す限りの水田
水田が広がる真っ直中の道を歩き続ける.
平素,廻りが山ばかりの鎌倉に住んでいる私は,この広々とした風景に感激する.広々とした風景にある種の憧れを感じてしまう.私は一行から遅れがちになるのを承知の上で,沢山の写真を撮る.
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■遊行柳遠望
先頭の方の人達が田んぼの中の路を右折しているのが見える.その先,右手に大きな柳の木が見えている.
”ははあ~…あれが遊行柳だな”
<遊行柳遠望>
■遊行柳に到着
11時25分,遊行柳に到着する.
資料3の記事によると,「時宗十九世尊酷聖人がこの地を訪れたとき,柳の精が老翁となって現れた.聖人が念仏を唱えると老翁は成仏し,忽然と姿を消したという.謡曲「遊行柳」に出てくる一節である.西行の歌碑,芭蕉,武尊の句碑ある(町指定)」.
蒸し暑いので柳の木の下で,暫くの間,涼を取る.
資料3によると,このすぐ先に離山という景勝地があるらしい.
<遊行柳>
■上ノ宮湯泉神社
遊行柳のすぐ先で加賀見山山麓に上ノ宮湯泉神社がある.少し朽ち始めている木製の鳥居の先に古い社殿が建っている.
資料3によると,この神社は芦野氏の信仰があったところだという.
<上ノ宮湯泉神社>
■上ノ宮のイチョウ
境内に,那須の銘木,上ノ宮のイチョウが生えている.
木の側に立っている案内板によると,推定樹齢400年.幹周り6.1メートル,樹高35メートルの巨木である.
<上ノ宮のイチョウ>
■往路を戻る
11時33分,遊行柳の見物を終えて,往路を戻り始める.相変わらず私は一分後ろから写真を撮りながらノコノコと付いていく.
”今に見テイロョ…! 追い越すぞ…”
私は遅くなっている腹いせに,ロクデモナイことをフト思う.
<往路を戻る>
<遊行庵で一休み>
■遊行庵付近の地図
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※遊行庵脇に掲示されている地図から引用
■遊行庵に到着
11時38分,遊行庵に到着する.ここでトイレ休憩である.
蒸し暑いので,冷房の利いた庵の中に早く入りたいが,ここへの到着時刻や,庵の概観をメモするのに手間取ってしまい,中に入るのが一行より1分弱遅くなってしまう.
建物の横に案内地図があるので,念のため,この地図で現在地を確かめておく.
<遊行庵に到着>
■遊行庵で一休み
建物の中に入る.冷房が利いていて心地よい.建物の中は売店兼案内書兼休憩所のようなところである.
資料3の説明書きによると,ここは地元産品の直売所である.特に有名なのが「黄金餅」は芦野産の有名な餅米とのこと.
私は特に買いたいものはないが,係員の方が入れてくれたお茶を美味しく頂戴する.
<遊行庵の売店> 大分ピンぼけの写真だが…
[参考資料]
資料1;http://kaidou.mitsu-nari.com/totigi/asino/bohi.html
資料2;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%86%E9%87%8E%E6%94%BF%E6%B3%B0
資料3;「奥州街道・芦野宿早わかりMAP」那須歴史探訪館
(つづく)
つづきの記事
↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/558597f7912ecd8ca50794f95f126c5f
「奥州街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/55f1b2dce2470adc0fd0bd872352e0d7
「奥州街道」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4c195cfa3f795ede28aa0764b57a5db3
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