<驟雨を押してひたすら歩き>
奥州街道(白河の道);第3回;2日目(2);雨の中ひたすら歩く
(クラブツーリズム)
2017年5月17日(水)~18日(木)
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2日目;2017年5月18日(木)
<ルート地図>
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<雨の中,ただ,ただ,黙々と歩く>
■名前が分からない郵便局
阿眼が一層激しくなる.もうノートにメモすることもできないほどである.また,今使っているデジカメは防水機能はない.ずっと以前のことになるが,中央アルプスの山に出かけたときに,このカメラを持参した.あのとき,雨の中で,このカメラを使った.雨で濡れないように充分注意したつもりだったが,それでもカメラの中に水が入って動かなくなった.その後,ビニール袋に乾燥剤と一緒にこのカメラを入れて,カメラの中の水が乾くのを根気よく待ち続けた.その結果,半年ほどで何とか機能が回復した.
そんな経験があるから,平素,私は,このカメラのことをバカカメラと呼んではいるものの,実は大変な愛着を持っている.このカメラと一緒に海外の山にも何回も出掛けた.だから,このカメラにはできるだけ長く働いて貰いたいと思っている.
私は傘を差しながら,このカメラをポケットから取り出して,すぐにシャッターを押して,ポケットに仕舞い込む…こんなことをときどき繰り返しながら写真を撮る・ところが慌ててシャッターを押すので,帰宅してから撮った写真を見ると,使える写真はせいぜい5枚に1枚程度敷かない.後は画像が流れたりとんでもないところが写っていたりで全く使い物にならない.
…で,10時21分,郵便局の前を通過する.
このときも,サッとカメラを出してすぐシャッターを押してすぐにポケットに収めた.ノートに郵便局の名称をメモする暇もないので,写真だけが便りである.ところがこの写真,郵便局を撮っていることは分かるが,いくら拡大してもボケていて郵便局の名称は分からない・
”雨じゃあ,仕方がないなあ”
もう,諦めるしかない.
<郵便局前を通過する>
■筋違橋を渡りコンビニで雨宿り
10時22分,百村川(もむらがわ)に架かる筋違橋を渡る.周囲は広々とした水田が広がっている.水田の所々に民家が点在している.
カッパを羽織っているが,カッパの中もビショビショになっている.何だか惨めな気持ちで歩き続ける.
雨足がますます激しくなる.もう見物もヘッタクリもない.ただ,ただ,前を歩く人の足許を見ながら歩き続ける.もちろん,気分的にも周囲を見物する余裕など全くない.
10時47分,みちすがらたまたまあったコンビニ「Mini Stop」の軒を借りて,暫くの間,雨宿りをする.
10時52分,幾分雨足が弱まったようなような感じになる.
講師が,
「…なかなか止まないので,覚悟して歩きましょう.早く昼食を摂る予定の店に行きましょう…」
と一同を促す.
また,チョッピリ雨足が弱まった雨の中を歩き出す.
もうどこを見学するわけでもなく,ただただ黙々と歩き続ける.
11時09分,神社の脇を通過する.私は例によってデジカメをサッと出してシャッターを押してサッとポケットに収める.でも,この神社の名前は無論のこと,何もかもサッパリ分からない.また雨で地図も開けないので場所も特定できない.
”でも,まあ,いいか…折角写真を撮ったんだからブログに載せておこう”
<路傍の神社>
■目印になる案内標識
11時14分,「竃盧碑・町初碑 3.6km 大田原城跡1.4km」の案内標識の前を通過する.
この標識を見ると,私たちは,雨の中,無我夢中で,3.6キロメートルほど歩いてきたことになる.
”本日の終点まで,あと1.4キロメートルだ…”
<案内標識>
<薬師堂>
■薬師堂に到着
11時45分,薬師堂に到着する.
例によって,ポケットから一瞬デジカメを出して参道の写真を撮ってすぐにポケットに収める.
あとでこの写真を見ると…
”なんだ! こりゃ~ぁ…”
写っていたのは,なんと下の写真である.私がシャッターボタンを押してから,実際にシャッターが降りるまでにコンマ何秒かのタイムラグがあったようである.でも,ビシャビシャに濡れている道が写っているので,ブログに採択することにしよう.
<薬師堂に到着>
■巨大な石碑と双体道祖神など
参道に面して巨大な石碑が2基立っている.その間に双体道祖神らしい石像と地蔵が祀られている.
この巨大な石塔は一体何か?
何時もの私だったら,石塔に近付いて読める漢字はないかなと探し回るが,今日は雨の中そんな気には到底なれない.
”せめて写真だけでも撮っておくか…”
<巨大な石塔>
■本堂
立派な本堂のようである.雨が一向に収まらないので写真を撮るのもままならない.本堂でも何枚か写真を撮ったけれども,後で見ると何を撮ったのか全く分からないものばかりである.その中で,ナントカ,薄らボンヤリ写っていたのがこの写真である.
講師の資料によると,薬師堂は寛永年間(1624~1644年).時の城主大田原政清によって建立されたが.その後宝暦7年(1757年)の大火で焼失した.寛政5年(1793年)再建されたのが現在の建物だという.
境内には貞享元年(1684年)に建立された七重塔や,元禄7年(1694年)建立の舎利唐などがあるとのこと.
<本堂>
<本陣跡と金灯籠>
■本陣跡
11時23分,講師が,
「この辺りが本陣があったばしょです…」
という.
雨合羽を着ているので,カッパが邪魔になって,講師が指さした方向を正確に確認することができなかったが,
”まあ,いいや…この辺りだろう”
と勝手に解釈して撮ったのが下の写真である.
この写真が本陣跡かどうか定かではないが,まあ,大体,この辺りにあったということにしておこう.
<本陣跡と思われる場所>
■金灯籠
11時33分,鐘灯籠の前に到着する.金属製の灯籠である.
講師の説明によると,「文政2年(1819年),町内安全を祈願して建立された.第2次世界大戦末期に供出され,昭和30年(1955年),旧会津中街道三斗小屋宿から略同型同時代の金灯籠を譲り受けて設置したが,昭和33年(1958年)返還,改めて地元有志の尽力により再建されたもの」だという.
<金灯籠>
■早々の食事処に到着
雨は一向に止む気配がない.雨の中,歩き続けていると,とても惨めな気分になる.私の履いている靴は防水されているはずだが,足首の辺りから雨水が容赦なく入り込んでしまい靴の中もビシャビシャである.
11時38分,街道から急に左へ曲がる.さらに数十メートル歩いたところで,さらに左折して具右側にある食事処「荒喜家」に到着する.
日本風の建屋のお店である.お店の中に入るのも濡れた雨具や靴の処理に手間取るが,とにかく屋根の下に入れたので,ホッとする.
ここで,ユックリと昼食を摂る予定である.
<食事処「荒喜屋」に到着>
(つづく)
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(執筆中)
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