<日田駅「天領お弁当」>
閑話休題;駅弁回顧録(17):昭和59年日田駅「天領おべんとう」
2013年4月25日(木)
昨日の憂鬱な天気とは大違い,今日は朝から初夏を思わせる爽やかな日光が我が家にも射し込んでくる.こんな素敵な天気のときに,家に籠もってノタノタしているのは実に勿体ない,私は,なるべく早く雑務を終えて,鎌倉の山でも散策してこようかと思っている…が,その前に,ブログへの1日1投稿の目途を果たしておこう.
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さて,今回はやっとこのブログで軌道に乗り始めた駅弁回顧録を続けることにしよう.
今回は久大本線日田駅の「天領おべんとう」の包装紙を話題にしよう.
資料1によると,「日田は,文禄3年(1594年)豊臣秀吉の蔵入地(直轄地)を支配する代官が置かれ,以来大名支配も行われたが,それ以外は徳川幕府の天領(直轄地)となった.その天領も大名預けとなった時期もあるが,貞亨3年(1686年)以来は引続き日田の陣屋(御役所)にあって代官,郡代の天領支配が行われた.豆田,隈の両町を持つ日田は,政治,経済の中心地として栄え,裕福な商人が台頭し,掛屋や大名の御用達として活躍して,九州金融の中心となり,日田金は諸大名に貸し出された.当時,江戸,上方,長崎との経済や文化の交流も多く,日田には文人墨客が訪れ,賑わっていた.」という.
この資料からも推測されるように,日田は元天領として,誇り高い土地柄のようである.
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冒頭で紹介した「天領おべんとう」の名前は,資料1の経緯でも分かるように,日田が天領として縁の地であったことから命名されたことは自明だろう.
この御弁当の値段は800円.昭和59年(1984年)の弁当である.今から約30年近くも前のことである.800円という値段は決して安価とは言えないだろう.
毎度同じようなことを記述しているので,またかと憚られるが,当時,私は,仕事柄,年の内,3分の1は旅の空というキツイ仕事をしていた.このときも,九州の取引先を数カ所グルグルと回っていた.
福岡での仕事を終えた翌日,私は博多駅から久大本線の日田駅に向かった.当時,列車マニアだった私は,食事は出来るだけ駅弁で済ませるようにしていた.
この駅弁を選んだのは,実は駅弁の中身ではなく,包装紙の絵が気に入ったからである.
あれから幾星霜,もうこの駅弁の中身が何だったかは,ほとんど覚えていない.ただ,特別なことでもない限り,私は大抵幕の内弁当を購入することにしているので,この弁当も,多分,幕の内弁当だっただろうと思う.
今になっては,日田の街の様子は殆ど記憶に残っていないが,閑静な心地よいところだったように思う.仕事を終えてから,次の目的地である大分に廻ったが,列車の合間を見て,この包装紙に出てくる川(川の名前は忘れた)の畔まで行って,暫くの間,滔々と流れる水面を眺めていたことを鮮明に思い出す.
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たった1枚の古びた駅弁の包装紙だが,包装紙を眺めていると,その頃のことが沸々と脳裏に蘇ってくる.不思議なものである.
ただ,当時の私は,今こうして包装紙を眺めながら,いたずらに過去のことを懐かしんでいる哀れな自分になりはてるとは夢想だにしなかった.
しわくちゃに古びた駅弁包装紙,多寡が包装紙,でも,やっぱり魅力たっぷりなのが包装紙だな…
大きな紙袋の中に,ただ乱雑に放り込まれている何百枚かの駅弁包装紙.自分の目が黒いうちに整理しておかなければ,代替わりしたときに,ゴミとして簡単に棄てられてしまうだろうな.
(つづく)
[参考資料]
資料1:http://www3.ocn.ne.jp/~md.eakon/tenryouhita.html
「駅弁回顧録」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9448487516498a67c59ba483719e143f
「駅弁回顧録」の次回の記事
(編集中)
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閑話休題;駅弁回顧録(17):昭和59年日田駅「天領おべんとう」
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