<御柱>
[改訂版]歩いて巡る中山道中六十九宿巡り(第9回);第2日目(6);御柱の道
(五十三次洛遊会)
2010年9月11日(土)〜13日(月)
※本稿の初出は2011年1月8日である.
初稿の地図を更新し,本文の加除修正を行った.
第2日目:2010年9月12日(土) (つづき)
<ルート地図>
<砥川沿いに南へ下る>
■ドライブインで休憩
14時21分,深沢橋を渡る.ここで国道142号線から右折して枝道に入る.温室,農機具,植木のある庭などが民家の間に散らばっている人の気配のない道が続く.
すぐにまた国道に合流する.砥川左岸の高いところを通るトラバース路をほぼ南へ下り続ける.
資料によると,そろそろ焼却センター沿いの枝道に左折するところに来ているが,どこで左折するのか良く分からない.暫くの間,キョロキョロと辺りを見回しながら歩くが,どうしても入口が分からないまま,通過してしまったことが分かる.
途中に,江戸から54番目の一里塚があるようだが,私有地の中にあるために見ることができないと解説書には書いてある.
14時33分,進行方向右側にあるドライブインに到着する.余りに暑いので,ここの自動販売機で.冷たいものを購入する.建物の日陰に入って暫くの間休憩を取る.
このとき,ドヤドヤと10数名の団体客がドライブインに到着する.クラツリ主宰の団体客である.中年の男性が先導役をしている.東京から専用バスで真っ直ぐ現地まで来たとのことである.私達に比較すると随分と楽な旅をしている.
<ドライブインで休憩>
■道祖神
5分ほど休憩を取った後,再び歩き出す.クラツリのグループと後先になりながら,ほぼ同じペースで歩き続ける.途中,町屋敷バス停で左折して,聚落の中の細い路地に入る.道路の両側には民家が軒を連ねている.進行方向右側の民家の間に道祖神が祀られている.
所々に,お馴染みの青い案内板が中山道であることを示している.
<道祖神>
<諏訪大社御柱木落し坂>
■道祖神三御柱
道祖神を過ぎるとすぐに路は突き当たる.突き当たりで四つの路が交わっている.
進行方向左手のやや急な登り坂に入る.疲れ切っている身体には,かなり厳しい登り坂である.
14時51分,道路脇に長さ5〜6メートル,末口直径50〜60センチメートルの大きな御柱1本が置かれている.柱の根元には「道祖神三御柱」と墨で書かれた木札が立ててある.この御柱を見て,いよいよ下諏訪に到着だなと実感する.
<御柱>
■木落し坂の広場
14時53分,道路は400〜500平方メートルもあろうかと思われる広場に突き当たる.沢山の観光客が集まっている.先ほどドライブインで出会ったクラツリのグループと,ここでまた再会する.
<木落とし坂広場>
■木落し坂の案内板
広場入口近くに案内板がある.この案内板には次のようなことが書かれている.
「諏訪大社の御柱祭りは,7年目毎申・寅年に行います.規模の大きさは比類なく,天下の大祭として知られています.樅の木を奥山から切り出し,社の四角に立てるものですが,山から引き出す「山出し祭り」が御柱祭の4月,町内を曳行し建立する「里引き祭」を5月に行います.
曳行途中,木落し坂と呼ぶこの急坂で,御柱を引き落とすのが下社山出し祭最高の見せ場「木落し」です.男意気に駆られる若者たちが,群がりうつまたがった御柱を,100メートル余り,傾斜度45度近い崖のようなこの木落し坂上から一気に引き落とします.落下の反動で,若者たちの大半は放り出され御柱とともに転がり落ちる,一帯を埋め尽くす大観衆は一瞬息を飲み,驚声と大歓声が湧き上がり,その豪壮さは筆舌に尽くせません.
「男見るなら七年に一度
諏訪に木落し坂落とし」
と唄われてきました.この木落し坂での木落は,下社春宮・秋宮の御柱八本を三日にわたって行います.下諏訪観光協会」
木落し坂から下を覗いてみる.もの凄い崖である.こんなところを木に跨がって落ちていくなど,私には考えられない恐ろしいことである.まるで崖から飛び降りるようなものだ.
■大きな御柱と石塔
広場に,大きな御柱が置かれている.口径が60〜70センチメートルほどもある凄い木である.若い観光客が面白がって木の上に登っている.
広場の奥に天下の木落し坂と刻字した大きな石塔が立っている.石塔の前で,観光客が入れ替わり立ち替わり記念写真を撮っている.
<御柱> <石塔>
<いよいよ下諏訪へ>
■木落し坂を出発
14時58分,木落し坂を出発する.広場の脇から狭くて急な下り坂を進む.すぐに舗装道路に出る.坂の両側に緑陰が続く.クラツリのグループも私達と前後しながら歩いている.
<木落とし坂を出発する>
■道祖神と馬頭観音
15時03分,道祖神と馬頭観音の前を通過する.少し高い草むした空き地に何基かの石塔が並んでいる.
<道祖神と馬頭観音>
■芭蕉の句碑
15時03分,進行方向左手に芭蕉の句碑が立っている.何と書いてあるのか変体仮名が読めない私には分からない.
<芭蕉の句碑>
■注連掛橋から山の神神社へ
15時06分,注連掛(シメカケ)橋の脇を通過する.そのままなだらかな下り坂を進む.
15時26分,山の神神社を通過する.草深い神社である.
<注連掛橋> <山の神神社>
■慈雲寺
15時34分,慈雲寺を左手に眺めながら,三叉路を右折する.
資料4によれば,慈雲寺は,「創建1300年(正安2年)正安2年(1300年)に臨済宗妙心寺の寺院として創建された.山号は白華山.本尊は十一面観音.一山一寧の開山した
この寺に一寸立ち寄りたい気もしたが,先を急ぐのでそのまま素通りする.地図を確かめると,この辺りから左折して坂道を下れば,万治の石仏へ行けるようだが,時間が押していることと,一部の仲間の疲労が極限に近いことから,万治の石仏見学は割愛する.余談だが,並行して歩いている甲州道中の旅も,今年中に終点の下諏訪に到着する予定である.このときまで,万治の石仏はお預けである.
<恵雲寺>
(つづく)
[参考資料]
資料1:今井金吾,1994,『新装版今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:『完全調査街道マップシリーズちゃんとあるける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料3:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料4:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%88%E9%9B%B2%E5%AF%BA_(%E4%B8%8B%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E7%94%BA)#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
[加除修正]
2013/8/17 地図の差し替えと本文の加除修正を行った.
「中山道中六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1b89131ee4237d4f2ebefb3b19427044
「中山道中六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/88e4d94bc513a33253fd3d804870291e
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
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