<大神宮前の旅情豊かな街並み>
善光寺街道;第3回;第1日目(1);上田駅から大神宮へ
(五十三次洛遊会)
2016年4月20日(水)~2016年4月22日(金)
第1日目;2016年4月20日(水) 晴
予稿集
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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/97302090619fb26f9f742fb2501b5063
<第3回の概要>
■第3回の全体地図
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■第1日目全体図
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■上田宿
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■上田宿詳細図
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<上田駅集合>
■いよいよ当日の朝だ
昨年から歩き始めた「歩いて巡る善光寺街道」の旅も,いよいよ今回を以て目出度くフィナーレを迎える.この街道の下調べから資料作りまで苦労して続けてきたが,いよいよ根幹を以て終わりかと思うと,喜びも一入ながら,同時に寂しくもある.つまり富士雑な気持ちである.
どなたか有名な方のお言葉ではないが「人生は旅人」である.
”善光寺街道の旅が終わったら,どうしよう…今度は何処を歩こうか”
などと,半ば真剣に考えながら,旅の初日を迎える.
すでに当該ブログでも記載済みの通り,私は胆石症治療のために11日間にわたって病院にカンズメになっていた.こんなに長い間,娑婆から離れている間に失ってしまった体力,特に歩行能力の減退は正に目を覆うばかりである.退院してからまだ10日程度しか経過していない.こんな状態で,果たして2泊3日の今回の旅を,果たしてきちんと歩けるかどうか,いささかか不安である.
”まあ,いいか…なるようになるさ”
と覚悟を決めて,5時10分,自宅を出発する.
■北陸新幹線上田駅へ
湘南モノレールの某駅から上り電車に乗車,5時30分に大船駅に到着する.
駅前のコンビニで,今日の朝食および昼食用としてオニギリ3個,パン,ペットボトル入りのお茶などを購入してから,大船5時37分発上野東京ラインの電車に乗車する.
こんなに早い時間なのに,もう電車は通勤客で混雑している.大船駅から乗車したのでは,当然のことながら立ちんぼである…が,浜で運良く座れる.
私は東京駅新幹線乗車口付近のレストランで朝食を摂るつもりだったが,予定していた場所付近が運悪く工事中である.いろいろ探すのも面倒なので,握り飯2個とペットボトル入りのお茶を1本購入してから,北陸新幹線ホームに向かう.
今回の集合は上田駅改札9時30分.東京発7時24分あさま603号に乗車すれば十分間に合うが,1本早い6時52分発あさま601号に間に合ってしまう.
”どうせ待つなら,東京駅で時間を潰すのも,上田駅で潰すのも同じだな…”
ということで,あさま601号に乗車してしまう.東京駅でたまたま一緒になったUDさんも私と同じように1本早い電車に乗車したようである.
朝食は,車内で済ませる.
<乗車券と自由席席特急券> <車内で朝食>
■上田駅でコーヒーブレーク
8時27分,上田駅に到着する.
上田駅に降りて,すぐに目に付くのが,六文銭のポスターや幟旗である.もちろん,NHKの大河ドラマ「真田丸」の影響も大きいと思われる.
集合時間まで,まだ30分ほど時間がある.
”では…”
ということで,早速,駅ビル内にあるコーヒー専門店に入り,ホットコーヒーを所望する.このコーヒーだが,何時も大船駅界隈で賞味しているコーヒーよりもお値段がかなり高い…といってもコーヒーの値段である.多寡が100円程度の違いだが,それでも気になるのは私がケチな性分なのだろうか.
私がコーヒーを飲みながら,今日歩く予定の地図を出して,ルートを確認していると,喫煙席から出てきた男性が私の前の席に座る.
”あれっ…誰だろう”
と一寸驚く,私と同じ電車に乗ったUDさんである.
暫くの間,雑談.
集合時間にはまだ間があるが,あさま603号が到着する時間に合わせて,改札口へ言ってみる.案の定,今回参加予定の方々全員が集合時間前に揃う.今回の参加者は,私を含めて5名(男性3人,女性2人).旅には丁度良い人数である.
第1日目の行程は,脇道に逸れてある区分を除いて,12.0キロメートル.私達の旅行の初日にしては少々長いといえよう.
<六文銭の上田駅> <家田駅構内のコーヒーショップにて>
<松尾町駅から大神宮へ>
■第1日目の出発点と原町水神社
集合時間より15分以上早く9時13分に上田駅前から歩き出す.
まずは駅前の商店街,松尾町の坂道を登る.この辺りは,私が旧制中学から新制高校までの6年間,通い続けた懐かしい所である.ただ,当時の面影は全く居残っていないのが残念だが,それだけ上田が発展してきた証しでもある.当時とは比較にならないほど近代化したおしゃれな街並みを眺めながら,9時29分,第2回3日目の終点柳沢本陣跡の交差点に到着する.今回の第3回善光寺街道歩きの出発点はこの交差点である.
資料によれば,この辺りが柳沢本陣跡の筈だが,それらしい痕跡も案内板も見当たらない.
今回は,善光寺街道の続きを歩く前に,まだ見学していない上田宿内の名刹,史跡などを一回りすることにする.
善光寺街道に沿って北へ進む.ほどなく進行方向右側の原町水神社の前を通過する.傍らに立っている案内板の記事によると,ここは明治時代に作られた共同水場の跡である.
<柳沢本陣跡の交差点> <原町水神社>
■池上庄大郎真田太平記館と成沢家の蔵
9時35分,池上庄大郎真田太平記館に到着する.今回は時間的な余裕がないので,見学は省略.そのまま通過する.
9時36分,成沢家の蔵に到着する.白壁のどっしりとした蔵が何棟か建ち並んでいる.案内板の記事によると,成沢家は江戸から昭和にかけて上田紬の問屋を営んでいたようである.
<池上庄大郎真田太平記館> <成沢家の蔵>
■原町郵便局の裏通り
9時38分,原町郵便局に到着する.郵便局を通過したところの交差点を左折する.
善光寺街道は,さらに次の交差点を右折して,大神宮前に通じる裏道に通じている.道路の両側には古風な家が建ち並んでいる,情緒豊かな街並みがである(冒頭の写真).
「すばらしい通りですね…」
と話し合いながらユックリと歩き続ける.瓦屋根の軒が美しいお店に魅せられる.
<原町郵便局> <趣のあるお店>
■兵馬俑と保命水
9時48分,店の軒下に大きな兵馬俑のコピーが置いてある.傍らの案内文によると,現物を忠実に再現したものだという.
9時39分,保命水と刻字された石柱が立っている.傍らの案内文には,この地を掘って清水を得たと書いてある.
<兵馬俑のコピー> <保命水の石柱>
■神宮橋と名残の松
9時50分,神宮橋に到着する.善光寺街道はこの橋の手前で左折するが,私達は少し寄り道をするために神宮橋を渡る.
橋を渡ってすぐの所に名残の松がある.傍らの案内文によると,この辺りに松並木のようなものがあったようである.
<神宮橋> <名残の松>
<上田大神宮>
■大神宮のお社
9時52分,上田大神宮の前に到着する.
鳥居の前の道路の交通量が多い上に,近くに歩道がないので,道を渡るのに苦労するが,無事,大神宮に到着する.
境内に設置された案内板によると,この神社は明治19年(1886年),伊勢大神宮の末社として建立されたという.この年には長野(上田)の他に,新潟,群馬にも同時に建立されたようである.
1886年と言えば,鎌倉では巨福呂坂切通が開通し,片瀬の龍口寺の輪番寺制が終わって,住職が定められた年でもある.これらの出来事を通じて,この時代の世相や時代背景がどんなだったかに興味がそそられる.
<上田大神宮>
■上田大神宮の由来
では,長野県の場合,なぜ長野や松本ではなく,わざわざ上田に建立されたのかが不思議になる.旅を終えて,インターネットで調べると資料4に,次のような説明がある.これを見て,なるほどと思う(コピペ).
「明治三年(一八七〇)明治天皇は、日本古来の神道を大いに宣揚すべしと、大教宣布の詔を発布しました。その御旨を体して伊勢皇大神宮においては、神宮を設置して全国を三一教区に分け、内務省神奉局が神宮信仰と大麻頒布の本拠地として、上田丸堀の地に、第一九区神宮教院長野本部を設けたのが大神宮の起源です。
明治一九年(一八八六) 伊勢神宮と同じ神明造りで、規模が三分の一の大きさの社殿の建立が計画されました。上田の地が選ばれたのは、かつて国府が置かれ国分寺が建てられた土地柄からだと言われています。神宮へは柳町一戸三銭当て六五戸分一円九五銭出したそうです。
現在の上田大神宮は、残念ながら鎮守の森は無くなっています。境内には、伊勢神宮の太陽を象徴する天照大御神を祭る本殿・拝殿・社務所(上田大神宮)が正面に鎮座しています。
この西側には、商売繁盛の恵比寿神・国を創造した大国主神を祭る西宮恵比寿神社が鎮座しています。この恵比寿神社には学問の神・天満宮と柳町にあった雨乞いの守護神・阿夫利神社と琴平神社を合祀しています。
上田地方は降雨が少なく(年間八〇〇mm未満)、五穀豊穣を願い祭ったものだと推察されます。柳町では今も三神社祭として、八月十七日に恵比寿神社前でお祭りをしています。」
■西宮恵比須神社と三峯神社
境内には,前項のコピペ記事に記載されている西宮恵比寿神社と三峯神社が祀られている.
それぞれの神社の前には案内板がある.この案内板の記事から説明を補足すると,三峯神社の祭神は伊邪那岐命と伊邪那美命のようである.
<西宮恵比寿神社> <三峯神社>
■芭蕉の句碑
境内の片隅に立派な道祖神が祀られている.
道祖神の脇に,立派な歌碑が立っている.歌は変体仮名で書かれているので,浅学の私にはほとんど読めない.
資料1によると,これは芭蕉の句碑である.変体仮名の句は,
”何の木の
花ともしらずに
にほひかな”
と書いてあるようである.
<芭蕉の句碑>
■道祖神とネコ
9時58分,大神宮を出て海善寺方面に向かう.大神宮を出たところで,ネコに出会う.ネコと電車の写真は必ず撮ることにしている私は,すかさずネコの写真を撮る.このネコどうやら飼いネコらしく,オットリとしている.
すぐ先に海善寺の本堂が見えているので,あまり地図を見ずに歩けるのが有り難い.
<道祖神> <出会ったネコ>
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料3;黒田茂夫(発行人),2014,『県別マップル20長野県道路地図』昭文社
資料4;http://hk-yanagimachi.jp/about/etc/jingu.html
(つづく)
次の記事
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「善光寺街道」の目次
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「善光寺街道」の索引
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【参考資料】
「善光寺西街道」の目次
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「善光寺西街道」の索引
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