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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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閑話休題;胆石症闘病記(16);第11日目;やっと退院

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    閑話休題;胆石症闘病記(16);第11日目;やっと退院

2016年4月7日(水)  雨

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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c5e66d72eced4d6b079e01e57e5a617f

<11日目の朝>

■妙な夢
 昨夜もとても寝付きが悪かった.
 0時30分頃,ようやく眠ることができた.やっぱり運動不足がてきめんに響いているような気がする.
 またもや奇妙な夢を見続ける.
 大学時代の親友,MZさんが夢枕に立っている.MZさんは学生時代,私と同じ寮,同じ下宿で過ごした友人である.私は工学部,MZさんは法学部の学生.専門は違うが,実写蟹に出てからも,長いこと助け合いながら過ごしてきた.ただ,残念なことにMZさんは数年前に他界した.
 夢の中で,MZさんが,
 「…ご無沙汰しております.お元気ですか…最後にお目に掛かってから,随分,時間が経ちましたので,どうされて居るか,様子を見に来ました.どうです.これからわが家へ遊びに来ませんか…」
と私を誘う.
 懐かしいMZさんにお会いできて,私も嬉しいが,ちょっとやり残している用事が沢山あるので,片付けてから,必ず参上しますと返事をしたところで,目が覚める.
 ”今の夢,一体,何なんだろう…?”
 時計を見る.
 2時50分である.私は気休めにトイレに立つ.もう「小」の量を量る必要はないが,多分,500立方センチメートルぐらいは出たと思う.

■お世話になった看護師と雑談
 トイレから戻って,またベッドに横になって,眠ろうとする.
 その甲斐があってか,暫くの間はまどろむが,3時30分頃,どうしても目が覚めてしまう.もっとも,私が塔ノ岳に出掛けるときは,春夏秋冬を問わず,3時に起床.登山の準備と夜中に着信しているPCメールに目を通して,4時10分に自宅を出発することにしている.したがって,3時30分起床は,私にとっては,ごく当たり前のことである.
 とはいえ,こんな早朝から,ゴソゴソしていては,他の入院患者に迷惑が掛かるので,テレビを見ながら,ジッと我慢の子である.
 そのとき,当直の看護師KBさんが,見回りに来る.
 「…おや,もうお目覚めですか…早いですね」
 私は自分の趣味が登山で,週に1度は丹沢の塔ノ岳に登るように心掛けている.丹沢に行くときは3時に起床して,4時10分に自宅を出発する.丹沢には沢山の常連が居て,その中には看護師も何人か居られる…そんな話を紹介する.
 私が雑記帳にいろいろ書き込んでいるのは,これをネタにしてボケ防止のためにブログに記事を掲載していることをお話しする.
 「もし,宜しかったら私のブログを覗いてみて下さい…」

■自由になった両手を使って髭剃り
 5時10分,今日2度目のトイレ.ついでに給湯室に立ち寄って,お茶くみをする.院内を少し歩いてみる.そして今日の体調はまずますなことを確認する.
 ベッドに戻って,お茶を飲みながら,テレビを見る.たまたま中国の医師のことが話題になっている.その内容は凄惨である.医師が手術台に居る患者に,追加の手術を強要するという話である.もし患者が拒否すると,医師が患者に対して暴力を振るうとのこと.このテレビを見て,私は日本に生まれて良かったなとつくづく思う.
 6時12分,熱々のタオルが配られる.顔を拭いた序でに,タオルを顔に当てて髭を柔らかくする.そして,そのまま洗面所に行って,入念に髭剃りをする.手に点滴用の針はもうなくなっている.何の藤生もなく,ユックリ髭が剃れる.こんな些細なことでも,つくづく良かったなと思う.
 7時05分,看護師が来る.最後の検温.35.9℃.ちょっと低めである.ついで,腹部の採集チェック.異常なし.

■朝食;最後の病院食
 7時10分,配膳係が熱いお茶を配る.
 8時10分,朝食.私にとって最後の病院食である.万感の思いをこめて,ユックリと頂戴する.
 8時20分に朝食を終える.続いて,
 ユニシア,ハルナール,セループをそれぞれ1錠服用する.

<4月7日の朝食>

<退院前に…>

■ギャラリーを見て回る
 病院の診察が始まるまで,まだ時間がある.
 私は退院する前に,もう一度,院内に飾ってある絵を見ておこうと思う.絵の写真を撮って良いか,さらにブログに掲載しても良いか,事前に許可を得ているわけではないが,雰囲気をブログに掲載する程度なら良かろう判断する.
 以下の写真が,A棟とB棟の渡り廊下である.まるでギャラリーのような雰囲気である.
 私は時間の許す限り,なるべく多くの絵を見て回る.これらの絵のお陰で,入院中の私は,随分と気分転換をさせて貰ったし,絵の勉強もさせて貰った.感謝,感謝である.
 結局,院内に飾られている大半の絵の写真を撮る.これらの写真は私の観賞用なので,公表は差し控える.

<まるでギャラリーのような渡り廊下>

■主治医DT先生の回診
 9時丁度に主治医のDT先生の回診がある.
 私は心底からDT先生にお礼を言う.
 「…来週,水曜日にでも,(鎌倉の)クリニックへ来て下さい」

■娘からメール
 9時40分に1階の入退院窓口へ行く.窓口は混雑している.
 今,計算しているので,少し待ってくれとのことなので,一旦,自分のベッドに引き上げる.
 その後.かなり長い間,中途半端な時間を,ベッドに座ったまま過ごす.
 丁度そのとき,娘からメールが入る.
 「…今日は雨なので,予定の仕事がキャンセルになった…ついてはこれから出迎えに行く…」
という内容である.
 娘に付き添って貰うのは嬉しいが,娘の到着を待っていたら,退院が午後になってしまう.
 「もうすぐ退院だから,独りで帰る」
と返信する.
 折り返し,娘から,
 「大丈夫? 自分の年を考えなさい…」
ときつい返信がある.
 「大丈夫,主治医からも一人で帰って良いよと言われているし,昨日も病院の階段を2時間ほど上り下りしてリハビリしているから…」
と返信する.

<退院>

■入院費支払
 10時丁度に,会計を済ませる.幸いなことに,後期高齢者医療制度のお陰で,手持ち現金だけで何とか支払いを済ませる・
 看護師に,支払いなど全ての退院手続きを終えたことを報告する.そして,左手首につけていた識別用の腕輪を鋏で切って外して貰う.
 「…長い間,お世話になりました.では,自分の着物に着替えてから退院します」
と看護師に謝意を表す.
 私は久々に自分に衣服に着替える,そして,私物をリュックに収納する.
 「飛ぶ鳥跡を濁さず」の諺通りに,私は病院の衣裳を脱いでから,出来るだけ丁寧にたたんで,ベッドの上に重ね置きをする.借用したタオル類もきちんと畳んでテーブルの上に置く.
 看護師が見に来る.
 「忘れ物はありませんか…」

■ナースステーションに挨拶
 身支度を調えて,世話になった病室から外へ出る.
 ナースステーションに立ち寄って,お世話になった看護師さん達に,挨拶をする.居合わせた看護師さん達が笑顔で見送ってくれる.
 私は,A棟1階の売店のオバサンにも挨拶するために,売店に立ち寄るが,あのオバサンではなく,別の人が店番をしている.残念ながら,あのオバサンには挨拶しないままお別れである.

<八王子駅>

■緊張する外歩き
 10時25分,ST会記念病院を出発する.
 いくらリハビリ運動をやったとはいえ,11日ぶりの娑婆である.私は八王子駅に向かって,慎重に歩く.ちょっと緊張する.
 今,雨は止んでいるが,つい先ほどまで降っていたらしく,路面は濡れている.
 ユックリ,ユックリ歩いて,10時32分頃,八王子駅隣接のサザンスカイタワーに到着する.そう急ぐ旅でもないので,このビルの1階にある「クマザワ書店」に立ち寄る.ここで,暫くの間,本を立ち読みする.そして,八王子駅ビル内のBecker'sに立ち寄って,230円也のコーヒーを賞味する.
 久々の娑婆のコーヒーである.
 娑婆の皆さんに混じって賞味するコーヒーは,実に良いものである.
 私は,コーヒーの香りにウットリしながら,忙しそうに行き交う人達の姿をボンヤリと眺めつづける.
 ”娑婆は良いなあ…!”

<久々のコーヒー>

■家内と娘に退院のメール
 コーヒーを飲みながら,家内と娘にメールする.
 「今,退院した.これから浜線の電車に乗る.大船駅からは路線バスで帰宅する予定」
 折り返し娘からメールが来る.
 「路線バスではなくタクシーで帰りなさい…!」
 「お金が勿体ないから,路線バスにするよ…」
 「こう言うときだからこそタクシーでしょう.自分の年を考えなさい」
 またもや,娘が私を叱る.
 実は,私も心の中で,
 ”はい,はい,…分かったよ.もし大船で疲れてしまったらタクシーを利用するよ…”
と思っている.
 そう思いながら,
 ”オレも素直じゃないな…”
と苦笑する.

<浜線と根岸線で大船へ>

■運良く根岸線直通電車だ
 八王子駅で浜線のホームへ.
 丁度良い具合に11時09分発快速桜木町行の電車に間に合う.発車時間ギリギリに乗車したが運良く座れる.これで乗換なしで桜木町まで行ける.
 私は,早速,居眠りをし続けることにする…が,なかなか眠れない.それでも,その内に居眠りを始める.隣に座っている方に迷惑が掛からないように,窓枠に寄りかかった姿勢で居眠りする.
 11時49分,新横浜に到着する.新横浜では沢山の乗客が降り乗りするので目が覚める.大船へ行くには,浜駅で東海道本線か横須賀線の電車に乗り換えるのが普通だが,面倒なのでこのまま桜木町まで行って,後続の大船駅の電車に乗り換えることにする.
 12時05分,桜木町に到着する.降りたホームで,後続の12時07分発大船行電車に乗り換える.12時35分,電車は大船駅に到着する.

<大船駅到着>
 
<やっぱり自宅が一番だ>

■自宅で昼食
 自宅近くを通る路線バスの発車時刻は12時50分.雨模様なのでタクシー待ちの行列ができている.それに疲労感もないので,ちょっと待って路線バスを利用して帰宅することにする.
 13時02分に帰宅する.久々のわが家である.家内は在宅.
 「…お昼食べたの…」
と家内が言う.
 「まだ…」
 家内は私の帰宅時間を予想して,自分も昼食を食べずに待っていたようである.
 昼食は,温かい卵とじうどんである.そう言えば病院食では卵は一回も出なかった.多分卵アレルギーの患者が居るからだろうと勝手に想像する.
 とにかく,適当に塩気がある「うどん」は最高.久々にまともな食事を摂った感じがする.
 ここで急いで釈明.病院食は栄養のバランスが取れていて,塩分も控えめで素晴らしい.ただ,病院食を食べ慣れない私には物足りなく感じただけである.

■ユックリとシャワー
 やっと普通の食事を終えると,今度は一刻も早くシャワーを浴びたくなる.残念ながら手術の傷口が完治していない可能性があるので,次回,DTクリニックでチェックを受けるまではバスタブにユッタリと浸かることが出来ないのは残念である.
 風呂場で裸になって,改めて4ヶ所の手術跡を鏡に映してチェックする.
 臍の近傍に一番大きな傷がある.その他に3ヶ所の小さな傷がある.
 傷跡から判断して,あの大きな胆石は臍の所にある傷から取り出されたことがハッキリ分かる.
 これで,手術前に臍のゴマを綺麗に洗い流した理由がハッキリ分かった.
 臍の穴と言えば,私はすぐにエクトプラズマを連想する.
 昔,電気通信大学教授関英男氏が,著書『超能力』の中で,エクトプラズムという霊気のようなものが臍から霧のように流出しているという記事があったような気がする.ポインティングベクトルである.
 私の場合は,エクトプラズムの代わりに,奇妙な固体が臍から飛び出したことになる.
 ”オレはユリ下ラーのような超能力者からは,全く遠い存在に過ぎないな…"
 私は,こんな下らないことを連想しながら,独りで苦笑する.
 下腹部を見る.
 見事に刈り取られたブッシュ跡にエトバスが寂しそうにしている.私は12月に開催予定の塔ノ岳常連会の1泊温泉旅行までに,ブッシュが元通りになるかなと心配し始める.
    

■どうしようもないほど沢山の着信メール
 一休みしてから,自室に入る.
 久々に,PCの電源をONにする.
 留守中の着信メールは,数百通.大半がジャンクメールだろうが,それでもウンザリ.
 ”これでは,どうしようもない…”
ということで,当面は放置する.
 自分のブログを開いてみる.10日間も新規投稿をしなかったにも拘わらず,沢山の皆様からアクセス頂いている.感謝,感謝である.
 ”…ま,ともかく一休みだ…”
ということで,PCの電源を一旦OFFにする.

■ホームスイートホーム
 16時頃から,ちょっと昼寝.
 やっぱり疲れていたのだろうか,19時頃まで眠ってしまう.
 ”ありゃりゃ…もう19時か…”
 19時から夕食.
 ネーベンは納豆,シチュー,酢漬けの生キャベツなど.やっと歯応えのある夕食にありつけた.そういえば入院中に納豆は一回も出なかった.
 食後にオレンジ.
 生野菜や果物が実に美味しい.
 20時頃,久々にシャワーを浴びる.まだ傷口が完全には治っていないので,風呂に入れないのが残念.
 浴室の鏡に自分の上半身を映す,鏡を通じて,始めて自分の手術跡を確かめる.
 臍の近くに一番大きな手術跡がある.腹の右上,右下,それに左の背中に1ヶ所,合計4ヶ所に手術根がある.まだ,かさぶたが残っている.
 臍の近くに,一番大きな手術根があることから,臍の掃除をしたわけが分かった.
 話は脱線するが…
 昔,電気通信大学電磁気学の教授で関ナントカ(名前忘れた;英男だったかな)という先生が居られた.その先生が,人間の臍からエクトプラズマという霊魂が雲のように噴き出しているという説を唱えていた.当時,私はこの説を面白いなと思っていた.
 私は鏡に映る自分の臍を見て,思わすエクトプラズムのことを連想する.自分の臍の手術根から,雲のように霊気が噴出するのをユーモラスに想像する.
 21時頃,就寝.
 こうして,11日間に及ぶ入院生活は無事終わった.

[後日譚]

 帰宅した日の翌日,家内や長女と3人で雑談.話題は取り留めもないことばかりである.四方山話に花が咲く頃,家内から,
 「…貴方が帰宅して,家に入った途端に凄い悪臭がしましたよ…長い間,路上生活でもしていたような…」
と私が帰宅したときの印象を聞かされる.
 そういえば,入院中,毎日,熱々の蒸しタオル2枚で,顔を拭いていたが,シャワーを浴びたり頭を洗うことはできなかった.
 自分でも,長い間,風呂はおろか,シャワーすら浴びていないので,随分と身体が汚れているだろうなという自覚はあった…が,まさか鼻が曲がるほどの悪臭を放っているとは思わなかった.
 退院後,悪臭を放ったまま,本屋を彷徨いたり,コーヒーショップへ入ったり,さらには混雑する電車を乗り継いで帰宅した.その間,私は悪臭を放ち続けて,周囲の方々に大変な迷惑を掛けていたことになる.そう思っただけで,赤面するほど恥ずかしくなる.
 今更,迷惑をお掛けした方々に謝るわけにもいかないが,まったくもってハズカシイことであった.
                                 (つづく)
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(執筆中)

胆石症闘病記の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8dca4e221d0d78329dc3044965c5a92c
 
「閑話休題」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e13b5813653ca233117e79f3a4128786
「閑話休題」の次回の記事
(なし)

お断り;
 これらの記事は,私の趣味仲間を読者対象としたものであり,一般の読者を対象としていません,したがって,まったく個人的なものです.また十分に時間を掛けて編集していませんので,記事は正確とは言えないし,誤字脱字転換ミスも多々あると思います.このことを前提にしてご覧下さい.
 また,当ブログ記事を読んで,不快になられた方は,以後,当ブログへアクセスされないようにお願い致します.







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