閑話休題;胆石症闘病記(15);第10日目;リハビリを始める
2016年4月6日(水) 晴
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<10日目の朝>
■早朝のセンベイ1枚
昨夜は寝付けないまま,0時過ぎまで起きていた.入院が長引くと,運動不足もあって,なかなか良い睡眠が取れないようである.
でも,一旦寝付くと,割合と良く眠れて,4時頃自然と目が覚めてしまう.
4時は普通の人には早い時間かもしれないが,山登りをしている私にとっては,決して早い時間ではない.
昨日,主治医のDT先生から,手術が完全に終わったと聞いてから,長年の胸の閊えが消えて,気分が良い.気分が良いと,早朝からちょっと空腹を覚える.そこで,私は,先日売店で購入したセンベイ袋から,センベイを1枚取り出して,ボリボリと食べる.
”このボリボリ感,何とも言えないなぁ~…”
とにかく,センベイの固い歯応えや塩気に,何とも言えない満足感を覚える.
■手術後初めて階段を登る
入院以来,殆どずっと点滴が続いていた私は,どこへいくにも,点滴棒を引っ張っていかなければならなかった.点滴棒を持ちながら階段を上り下りするのはまず不可能である.
ところが,食事が摂れるようになった昨日から,点滴も終わりになった…とはいえ,まだ左手には点滴用の針が2本刺さったままだが…
点滴棒を持たなくて済むようになった私は,4時45分に階段を使って3階へ登る.階段を登るのがこんなに嬉しいこととは…点滴棒から解放された喜びをしみじみと味わう.なにはともあれ,両手自由な状態で階段を登れるのが嬉しくて仕方がない.
階段を登って,3階の自販機で,「ミルクアンドコーヒー」130円也を購入する.
折角,階段を使ったんだから…ということで,序でに,缶コーヒーを持ったまま,階段の登り下りを数回繰り返してから,自分のベッドに戻る.
階段を登り下りしながら.
”ウン,この調子だと,普通に歩けるな,フラフラすることもなさそうだ.”
と一安心する.
<まずは130円也の缶コーヒー>
■朝食前に軽くリハビリ
4時40分,トイレに行く.
「大」の硬さは普通だが量は少なめ.「小」は平常通りだが,もう計測しなくてもいいので,わざわざコップに採取する必要はない.いきなり便器へ直行する「小」を見送りながら,心の心底から,小便袋が要らない幸せを感じる.それに,点滴棒を引きずらないで,手ぶらのままトイレに行くことの軽快さを改めて実感する.
トイレを出てから,もう少し階段の登り下りの練習をしたいなと思う.そこで,また,2回から3階の間の階段を登ったり降りたりを20分ほど繰り替えず.ただ,いきなり長時間のリハビリも良くないと思って自粛,6時頃,自分のベッドへ戻る.
あとはすることもないので,ベッドで寝たり起きたりを繰り返しながらテレビを見る.
テレビでは,パナマのタックスヘイブンが大きな話題になっている.そういえば,ここ数日,新聞を全く見ていない.
”病院の外では,一体何が起きているんだろう…?”
と気にしながら,カーテンの隙間から外を眺める.
外は上天気のようである.上野のサクラが見頃だとのことである.私は自宅近くにある鎌倉中央公園のサクラはどんな状態かが気になる.
”オレが退院する頃には,公園のサクラは散ってしまうだろうな…”
6時20分,またトイレ.「大」「小」ともに上々の出来である.
■朝食
8時丁度に朝食.相変わらず主食はおかゆである.ネーベンは学校給食のようなお皿に盛りつけられている.
食事をしながら,毎食,必ずヨーグルトが付いているのに,ようやく気が付く.
8時25分,朝食が終わる.
<朝食>
■階段を利用してリハビリ開始
8時30分から8時45分までの15分間,2階から3階までの階段を使って,登り下りを繰り返す.ちょっと歩調を早めにして,登り下りを繰り返す内に,だんだんと身体が温まってくる.
ちょうど医師や看護師さん達の出勤時間とかち合ったらしく,階段で何人もの看護師さんとすれ違う.
私が,階段を上り下りしているのを見て,
「オッ…やってるな」
と言うような顔つきで,会釈する.
”こりゃ~,ちょっと邪魔になるかな…”
と思いながらも,まずは15分間だけ階段の登り下りを続ける.
■2日ぶりの着替え
9時10分,熱々の蒸しタオル2枚の差し入れがある.
「どうぞ,(着衣を)着替えて下さい」
とのこと.
私は蒸しタオルを使って,全身を拭いてから,新しい寝間着に着替える.勿論,もう点滴の針もないので,着替えは自由自在である.
9時30分,看護師のTNさんが,
「おはようございます.今日担当するTNです…」
と挨拶に来る.
TNさんには,もう何回もお世話になっているので,TNさんが姿を見せると,何となくホッとするし,TNさんの優しさに接すると,何とも言えない安堵感を覚える.
10時10分,血圧,脈拍,体温,血中酸素濃度の測定.何れも標準値以内で問題なし.
■売店で新聞と雑誌を購入
10時20分頃,A棟1階の売店に行く.そして,今日の朝刊と週刊誌を購入する.
売店の店員が私の顔を覚えていて,
「…手術,無事終わったんですか…?」
と聞く.
私が一連の手術のお陰で,胆嚢の胆石や胆管に貯まっていた石を全部取り除き,明日退院の予定だと報告する.
「それは良かったですね…」
と喜んでくれる.
2~3分立ち話をしてから,自分のベッドに戻る.
■副院長の回診
10時35分,副院長の回診がある.
「明日退院ですね…」
と念を押す.そして手術の跡をチェックする.
私は,副院長に,お世話になった礼をいう.
そろそろ明日の退院のときの支払いが気になり始める.
11時05分,1階の入退院窓口へ行って,
「…明日の支払いですが,およそいくらぐらいになるでしょうか?」
と伺うが,まだ計算できていないとのこと.
どうせ手持ちの現金では足りないので,近くのコンビニで貯金から下ろさなければならないのだが…それにしても気になる.
■渡り廊下はまるでギャラリーだ
私は,合間を見て,A棟,B棟,渡り廊下に飾られている絵を見て回る.
随分と沢山の絵が飾り付けてある.どれもこれも素晴らしい絵である.私は,院内を何回も歩き回って,大半の絵をデジカメに収める.
退院後も,これらの絵の写真をジックリ鑑賞するつもりである.
それにしても,入院中,これらの絵で,随分と,楽しい時間が過ごせた.
ここで,これらの絵について,あれこれと批評し始めると,冗長になるし,作者に対して失礼になるので控えるが,とにかく見ているだけで随分と癒される.
<B棟からA棟への渡り廊下はまるで美術館>
<自主トレーニング>
■昼食
11時12分,配膳係から熱いお茶を頂戴する.
「…もうすぐ昼食です」
と配膳係が言う.
11時58分から昼食.ネーベンはマグロの煮付け.薄味ながら結構いける.
12時20分,昼食を終える.
昼食後の薬は,セルフール1錠だけ服用する.
<昼食>
■階段を登ったり降りたり
12時30分から2階と3階の間の階段を登ったり降りたりを繰り返す.何段登ったかは携帯電話に附属している万歩計機能で正確に測定できる.
まずは12時20分までの50分間,ちょっと速いテンポで登り下りを繰り返す.
13時20分から13時25分まで小休止.その間に給水とトイレ「小」.
13時25分から,13時55分まで,もう少しピッチを上げて登り下りを繰り返す.13時55分から14時まで小休止.
14時05分からは,空身で登り下りしていても仕方がないので,入院時に背負っていたリュックに荷物を入れて,5~6キログラム程度の重さにして背負う.そしてまた階段の登り下りを繰り返す.
私が階段を使って登り下りしていると,何人かの病院関係者とすれ違う.
リハビリ担当の男性(医師が技師か分からないが),
「…ホホウ,随分シッカリした足取りですね…」
と誉められる.
…ま,それはそうだろう.私の場合,胆石だけが問題で,心肺機能や,足腰には全く問題がないんだから…
それにしても,誉められて恐縮する.
<この階段を登ったり降りたり>
■体力は,まあ,まあのレベル
階段を上り下りしている間に,少々汗をかく.心地よい汗である.
たまたま通りかかった看護師のTNさんが,私が汗をかいているのを見て,とても心配する.
私はTNさんに心配を掛けるのは不本意なので,もう少し歩きたいなと言う気持ちを抑えて,14時20分に階段リハビリを中断して,自分のベッドに戻る.
12時30分から14時20分まで,休憩時間を含めて1時間50分,階段リハビリを実施したことになる.その間登った歩数の累積と階段の高さから計算すると,休憩時間込みの平均登攀速度は約470メートル/時になる.
正直なところ,病院で篭の鳥になっていたにしては.まあ,まあ,の結果のような気がする.
14時35分,私が汗をかいているのを心配した看護師TNさんが,上着,下着など一式と蒸しタオルを持ってくる.
私としては予期していないことで,大いに恐縮する.
「…大丈夫ですよ…」
と遠慮するが,汗で濡れているので着替えて下さいとのこと.
私はTNさんのご厚意に感謝しながら,身体の汗を拭ってから,新しい着衣に着替える.そして,もう看護師に心配を掛けるようなことは自粛しようと思う.
■点滴の針から解放される
15時53分,看護師が現れる.
看護師から,ハルナールを10日分ほど渡される.
「退院後も,暫くの間,飲み続けて下さい…」
とのこと.なお,ハルナールは利尿剤である.
続いて看護師が,
「もう点滴の指示がありませんので点滴の針を抜きましょう…ちょっと痛いですよ…」
と言う.
看護師は,点滴の針の上に貼ってある大きな絆創膏を,バリバリと剥がす.
剥がされた絆創膏の下から,痛々しい針が見える.2本刺さっていた針を抜く.針にはベッタリ血が付いている.どろどろな血が付いた針が抜かれる.針の跡を分厚い脱脂綿で抑えて絆創膏で固定する.
私は点滴の針がなくなったか細い左手を,
「…よかったなあ! お前さんも,これでやっと自由になったぞ」
と祝福する.
これで,左手も完全に針から解放される.でも,自由になっても,なお,点滴の針が刺さっているような錯覚が残る.
…ということで,ようやく,治療もフィナーレを迎えられぞという実感が湧く.そして,酷使した左手をジッと眺める.
”左手さんよ…よく頑張ったな.ご苦労様でした.”
針を抜いても,腕には点滴用の管の跡がクッキリと残っている.見るからに哀れである.
<点滴の針2本を抜いた左手が痛々しい>
■治療費の概算
夕方,会計係から入院費の概算金額を教えて貰う.
ビックリするほどの金額になっているが,手術を含めての諸々を考えれば,決して高いわけではないなと納得する.
幸いなことに,後期高齢者の私は,一月当たりの支払い上限金額はウン万円まで.残りに金額は保険から支払われる.これには大助かりである.
蛇足ながら…本人が負担する金額は,何割負担かによって異なる.私の場合はウン割負担なので,個人で支払う金額の上限はウン万円/月である・
ここで手術の金額を縷々説明するのは憚られるのでしないが,後期高齢者医療制度様々である.本当に大助かりである.
私が知っている限り普通の生命保険では,満80才を超えると,入院保障は1銭も出ない.でも,本当は80才を過ぎるとますます入院保障が欲しくなる.とはいえ,そんな高齢者の入院保障をしていたら,生命保険会社にしては堪ったものではないだろう.
その意味でも,後期高齢者医療制度は,是非とも維持して貰いたい有り難い制度である.
若い人達は,後期高齢者医療制度なんて,まだまだ先のこと,自分には関係ないと思って居られる方も多いと思.
でも,昔から言うでしょう.「光陰矢の如し」って.
若い若いと思っていてもすぐ年を取りますよ.私もそうだったから…
私には政治のことや,国の経済のことはさっぱり分からないけど,是非この制度は存続して貰いたいなと感じている.
<10日目の夜>
■夕食
18時04分から夕食.
ネーベンは魚の切り身.私の好物.でも塩気が足りない.このネーベンに2~3滴の醤油を垂らせば素晴らしく美味しくなるのに…残念.
毎食必ず牛乳かヨーグルトが付いている.なるほどと思う.退院後もヨーグルトや牛乳を欠かさず飲む習慣をつけたいなと思う.
夕食後,セループとランブラソールを1錠ずつ服用する.
<6日目の夕食>
■最後の夜
18時37分,B棟3階の自販機で「ミルクとココア」130円也を購入.
18時50分,トイレ.「大」少々,「小」普通.
ベッドでココアを賞味しながら,入院最後の夜を過ごす…が,退院後,山積している懸案事項が,もう気になり始める.
”要するに,お前はどうしようもない凡人なんだよ…”
と私の心の中に巣喰っているもう一人の私が,私を揶揄する.
”凡人で悪かったね…引っ込んでいろ”
ともう一人の私に悪態をつく.
(第10日目終わり)
(第11日目に続く)
つづき(11日目)の記事
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(執筆中)
胆石症闘病記の目次
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「閑話休題」の前回の記事
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閑話休題;胆石症闘病記(15);第10日目;リハビリを始める
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