趣味三昧;駅弁回顧録:昭和51年;小諸駅「山菜の味高原弁当」
昭和51年の信越本線小諸駅の駅弁である.
懐かしい!!
長野行新幹線(現在の北陸新幹線)が開通するまでの小諸駅は信越本線の特急列車が停まる駅であった.
時代は新幹線開通よりさらにもっと昔に遡る.その頃,信越本線はまだ蒸気機関車D50やD51が客車を引っ張っていた.小諸駅では蒸気機関車に給水するためか,列車は5分ほど停車していた.
停車時間中に,駅弁売りが,沢山の弁当が入っていて随分と重そうな箱を肩に掛けて,
「べんとう~…うぃ! べんとう!…」
と言いながら客車の前を往復していた.
弁当を買いたい人は,窓を開けて弁当屋を呼んで,代金と引き替えに弁当を買う.
買い求める人が多いと,停車時間中に買えないのではないかと焦る.
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こんな光景を信越本線が電化された頃から,小諸駅での停車時間も短くなり,だんだんと見られなくなったような気がしている.
あれから幾星霜.
何時の間にか,小諸駅の駅弁がなくなってから,随分長い年月が過ぎ去った.
しなの鉄道の小諸駅になってからは,随分と落ち着いた雰囲気の駅になったなと感じている.
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第二次世界大戦の末期から終戦後の混乱期の6年間,私は小諸駅から上田駅まで汽車通学をしていた.
戦時中から終戦後の暫くの間は,勿論,どこでも駅弁どころではなかったと思う.
新制高校になってからだったかな?
戦後,小諸駅でも駅弁の販売が始まった.前の席に座っていた中年の紳士が,多分,駅弁を懐かしく思ったのか,客車の窓から首を出して駅弁売りを呼んで,駅弁を購入した.
駅弁は,大きな竹の葉っぱにくるまれたものだった.
早速,この紳士は駅弁を開いて,絶句した.
駅弁の中味は,ご飯は1粒も入っていない.細かくきざんだ菜っ葉など野菜が入っているだけだった.
当たり前と言えば当たり前.
当時,米は配給制.外食をするときは外食券を出さないと食べられなかった.私が大学生になった頃も,やっぱり外食券は必須だった.外食券を持って外食券食堂というところで食事をしていた.
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今でも時々,小諸やその周辺を旅行することが多い.
今の小諸駅の駅舎やホームの様子は,私が高校時代に通学していた時代と大きくは変わっていない.ただ駅弁がなくなったことや,かつては特急列車が停車した長いホームのごく一部に2~3両編成の電車が停まっているのを見ると,なんとなく寂しい気分になる.
(つづく)
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