<閑静な平原間ノ宿>
善光寺街道;第1回;第2日目(5);平原間ノ宿
(五十三次洛遊会)
2015年8月25日(火)~2016年8月27日(木)
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第2日目;2015年8月26日(水)(つづき) 曇やや蒸し暑い
<ルート地図>
■平原間ノ宿・乙女
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■平原間ノ宿拡大図
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<平原一里塚跡と金山神社>
■信号平原東
12時39分,信号平原東を通過する.いよいよ平原間ノ宿に到着である.
相変わらずなだらかな下り坂が続いている.前方には広々と広がる佐久平が見えている.誰かが,
「…まるで,海のように見えるね…」
という.なるほど言い得て妙である.
<信号平原東;前方,海のように見えるのが佐久平>
■平原一里塚跡
12時42分,平原一里塚跡到着する.
立派な標識と大きな馬頭観音が立っている.この馬頭観音は寛政5年(1793年)に像立されたものである.
<平原一里塚跡と馬頭観音>
■金山神社
12時45分,金山神社に到着する.
石造りで立派な台輪鳥居の奥に,もう一つ反り返りが大きい木造の明神鳥居が立っている.さらにその奥に立派な拝殿が建っている. 拝殿の扁額には平原神社と書いてあるので,多分,幾つかの神社が合祀されているんだろうと勝手に想像する・
なお,金山神社のことをインターネットで調べたが,いまのところこれといった情報は得られていない.
<金山神社>
<長龍寺>
■立派な火の見ヤグラ
12時49分,立派な火の見ヤグラの下に到着する.この火の見ヤグラの側に長龍寺の参道入口である.
私達は右折して長龍寺参道に入る.お一人が疲れたのか,長龍寺参拝を省略して,参道入口で休憩を取るようである.
<立派な火の見ヤグラ>
■長龍寺本堂
参道を数十メートル進むと広々とした境内が広がる.正面には立派な本堂が建っている.さぞかし由緒のある寺だろうと思うが,この寺の由来などは,インターネットを調べても,今のところハッキリとは分からない.
資料1によると,松代真田氏が参勤交代の際に立ち寄った縁で,六紋銭が寺紋になっているとのこと.
<長龍寺本堂>
■夥しい数の石仏
長龍寺の境内を散策する.
まず目に付くのが夥しい数の石仏である.仏像の知識など全くない私には,この石仏が何かは分からないが,何となく有り難さが感じられる.
<夥しい数の石仏>
■六地蔵大菩薩
石仏群と反対側の六地蔵大菩薩と刻字された大きな石塔が立っている.その脇に石祠.石像などが並んでいる.
<六地蔵大菩薩>
■成り行きで休憩
参拝と見学を終えた後,参道沿いの腰掛けに三々五々と座り込む.
「…では,ここで休憩しましょう」
ということで,数分の休憩を取る.
<長龍寺参道で休憩>
<十念寺から光明寺へ>
■十念寺と一遍上人初開道場跡
長龍寺のすぐ隣に一遍上人初開道場跡と刻字されあ大きな石標が立っている.二十五菩薩来迎会を拝観する.参道の両側に大きな石塔が立っている.
参道を挟んで反対側に立っている石標には,何か刻字されていることは分かるが,私には何が書いてあるのか読めない.
傍らに立っている案内板には,「あの世に行く時,阿弥陀様がその信者をお迎えに来て下さるという浄土宗の教えを如実に表した仏教的演技の一つである.迎講は各地にあったが,だんだんと少なくなって今では国内にいくつも残っていない.特に十念寺に保存されている二十五菩薩来迎会は,奈良県の当麻寺(たいまでら)と全国に二つだけ残された重要な無形文化財である…」という説明が書かれている.
<二十五菩薩来迎会>
■見事な黒松
下り坂を歩き続ける.
12時57分,旧家の土蔵脇にある黒松に到着する.塀に「小諸市保存樹木黒松所有者○○○制定昭和50年9月4日No.100号」と書いてある案内板が吊り下げてある.
資料1によると,参勤交代の加賀侯も賞賛した枝振りだという.
<見事な黒松>
■光明寺
13時05分,光明寺に到着する.
「…私,ちょっと写真を撮ってくるので先に行ってて下さい…」
と一同に伝えてから,大急ぎで本堂の写真を撮る.境内に数台のトラックが止まっている.
お寺というより,農家のような雰囲気である.
この寺の由来などは,今のところ不明である.
<光明寺参道> <光明寺本堂>
■白山神社と稲荷神社
13時10分,白山神社と稲荷神社が並んで祀られている場所に到着する.向かって左が白山神社,右が稲荷神社である.
どちらの神社の由来も,手許の資料では不明.
<白山神社> <稲荷神社>
<平原駅へ>
■国道18号線
13時27分,国道18号線の信号平原の真下を通るガードに到着する.この辺りが平原宿の
そとに出る.
ガードの手前で左折して階段を登る.そして,国道18号線から平原駅方面に向かう道路に入る.この道路,自動車の往来が激しく,歩行が危険ではないかと危惧していたが,実際は広々とした歩道が付いていて,とても歩き易いので,ホッとする.
<国道18号線のガード> <平原駅方面へ向かう道>
■長閑な雰囲気の道
平原駅方面に向かう道は,国道142号線である.いわゆる佐久甲州街道である.私は,多分,自動車の往来が多くて,喧噪な道だろうと想像していたが,意外に牧歌的で,歩いていてもほとんど圧迫感は感じない.
緩やかな上り勾配の道が続くが,数分の内に広々とした高台に到着する.高台には畑が広がっている.あちこちに民家や事業所が点在している.
ちょっと話が横道に逸れるが…
この道は,私が小学校(正確には国民学校)高学年の頃,勿論戦争中のことだが,浜から疎開していた従兄弟と一緒に自転車でこの辺りを走り回ったことがある.その頃の佐久甲州街道は砂利道で自動車など滅多にしか通らなかった.
私はひとり往時のことを回想しながら,たった70年ばかりの間に,この辺りも随分と変わったなと驚いている.
さて,そろそろ平原駅近くを歩いているはずである.どこかに平原駅に降りる道があるはずだと,それらしいところを差がしながら歩く.
やがて前方に橋が見え始める.
「ありゃ~っ…! 行き過ぎたかな.とにかく橋まで行ってみましょう…」
13時37分,橋の上から現在地を確かめる.眼下には本日の終着点である平原駅が見えている.広々としたなかなかの眺めである.
ただ橋の袂付近には,下へ降りられそうな所がない.
「ちょっと戻って,平原駅へ降りられそうな所を探しましょう」
と一同を促す.
<眼下に平原駅が見える>
■急な下り坂
橋から100メートルほど戻ったところで左折して,西へ向かう小径に入る.小径といってもちゃんとした舗装道路である.
畑の中を先へ進むと,次第に急な下り坂になる.やがて,坂の向こうにしなの鉄道の線路が見え始める.
「良かった! これで平原駅に行けますね.でも,明日は,この急坂をいきなり登らなければならないですね」
と,もう明日のことを心配している.
<畑中の小径に入る> <次第に急な下り坂になる>
■軽井沢行の電車だ
坂を下っていると,丁度,軽井沢行の電車が平原駅にやってくる.旅に出たら電車とネコに出会ったら必ず写真を撮るように心掛けている私は,さっそくデジカメを構えて電車の写真を数枚撮る.内心では,
”まるで子どもみたいだな…”
と思いながら…
下り坂を廻り込むように歩いて,下の写真で男性が立っているところを通過する.
誰かが男性に,
「今,何をされているんですか…」
と話しかける.
「…雑草がすぐ伸びるんで,草取りですよ…」
と気さくに答える.
<平原駅> <軽井沢行電車>
■平原駅に到着
13時45分,私達は,無事,平原駅に到着する.
平原駅の駅舎は,貨車を改造した無人駅である.駅付近には民家が2軒あるだけ.往来する電車の本数が比較的多い…を除けば,正に秘境駅の趣がある.
私達が乗車する小諸行の電車が到着するまで,まだ少し時間がある.
駅前の広場でクールダウンストレッチをしながら,待ち時間を過ごす.どうやら乗降客は私たち以外には,だれも居ないようである.
私は電車待ちをしながら,小諸駅に着いてから,懐古園をどんなルートで回ろうかと,あれこれと考えている.
<長閑な平原駅>
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
(つづく)
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(執筆中)
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【参考資料】
「善光寺西街道」の目次
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