趣味三昧;駅弁回想録;昭和57年:大宮駅
2015年9月4日(金) 晴
ここ数日,あまり天気が良くない火が続いていたが,今日は久々に良い天気になりそうである.まだ今は9月初旬.火が射し始めると気温がぐんぐん上昇し始め,まだ午前9時を少し廻ったばかりなのに,もう蒸し暑くなっている.
今日は,午前中に,いくつかの作業をしようと思っているが,私の悪い癖で,なかなか本業に取り付けないでいる.毎度のことながら,何かことを始める前に,ちょっとした道草をして助走しないと,なかなか本業を開始することができない.本当に困った性分だなと自分でも思っている.
そこで,助走を兼ねて,この駅弁回顧録を軽く仕上げたいなと思っている.
私は,主として昭和50年代に何となく集めた駅弁の包み紙を,大きな紙袋に,乱雑に突っ込んだまま保管している.今更,きちんと整理するのも面倒なので,このブログ記事を書くときには,まるでおみくじを引くように,この袋に手を突っ込んで,たまたま手に触れたものを引き出して,記事にしている.今回,引き当てたのは大宮駅の駅弁である.
********Back to the past days********
昭和57年9月16日
この頃,私は大手電機会社からOA機器販売関係会社にシステム部門の責任者として出向していた.このとき,多分,出向してから2年ほど経過してた.私は,いわばサラリーマン人生の晩期に当たる時期である.
この年の3年後,私は定年まで若干の年数を残したところで,某大学にトラバーユした.結果的には,このトラバーユのお陰で,私はとても良い人生を送ることができたなと思っている.そんなわけで神仏のが私に対する戯れに,今はとても感謝している.
現役の頃は口が裂けても言えなかったが,私は出向中ずっと何となく居心地の悪い違和感を感じながら仕事をしていた.この違和感は大きく分けて2種類あった.
その第1は,給料日に渡される給与袋のデザインが,出向者とプロパー社員(こんな言葉今は使われていないと思うが…)で違うことである.こんなこと当然といえば当然だが,毎月給与袋をもらう度に,折角,馴染もうと思っていた職場の雰囲気に水を差されたような気分になった.
その第2は,プロパー社員の間にインフォーマルな情報ネットワークがあって,そこで色々なことを相談していると言うことである.もちろん,情報ネットワークと言っても,パソコンやツイッターなどを使ったものではない.当時はまだ汎用コンピュータ全盛の時代で,
“パソコンで一体何をするの…?”
が大問題になっていた時代である.口を開けば,いわゆるOAの論議が盛んに行われていた.余談だが,当時,ワープロ(またはパソコン),ファックス,複写機がOA三種の神器と言われていた時代である.
昭和57年のこの日,私は仙台にある某代理店に呼ばれて,仙台に向かった.
私の記憶が正しければ,東北新幹線がこの年の6月にやっと開業したばかりだった.それも,東北新幹線の始発駅は大宮だった.
上野駅から大見は駅までは「新幹線リレー号」という列車に乗って,東北新幹線に乗車した.まだ東北新幹線の本数は極めて少なくて,1時間に1本程度ではなかったかと記憶している.
大宮駅で,なるべく安い弁当を購入して,新幹線に飛び乗った.新幹線の中で,この弁当を寂しく食べたことを,今でも思い出す.
私が所有するスキャナーはA4サイズまでしか読み取れないので,本当は正方形の包装紙の端っこが少し欠けてはいるが,昭和57年当時のことを,この写真を眺めながら沸々と思い出している.
(つづく)
「駅弁回顧録」の前回の記事
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(編集中)
「駅弁回顧録」の目次
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