善光寺西街道;エピローグは新たな旅のプロローグ
(五十三次洛遊会)
2015年4月~6月
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2015年8月10日(月)
<漸く書き終えた記録>
■正直なところ感無量
今回の善光寺西街道のブログ記事を書き始めたのは,昨年(2014年)10月30日であった.そして,今日はもう8月中旬である.書き始めてから10ヶ月も経過している.今,やっと此の旅のエピローグを書いて,旅の締めくくりをしようとしている.正直なところ,感無量である.
話が冒頭から脱線するが…
私の当ブログを常時訪問して頂ける常連の読者の殆どが私の知人に限られているようである.その人数は約百名あまり.このブログを描き始めた動機は,自分のボケ防止のため.同期不純の勝手きわまりないブログである.
それでも,今回のように気心知れた旅仲間と一緒に歩く旅の記録をまとめるとなると,単にボケ防止だけではなく,同行した方々の記録としても使えるものにしたいと思っている.
■良かった,良かった
正直なところ,旅の記録を纏める作業は,とても手間が掛かり辛い作業の連続だった.ときどき,
”誰に頼まれたわけでもないのに,なんでそんなに書くことに拘っているの…”
と自問自答する.
私にもその答えは分からない.ただ,何となく続けたいから続けているに過ぎない.それもシンドイ思いをして…単なる”ボケ防止のため”というだけではないことだけは確かである.
善光寺西街道のブログ記事の文章量は,普通の単行本数冊分にも匹敵する量に達している.まさに継続は力なりと自己満足に陥っている.
まあ,ともかく,このシリーズのブログへの投稿は,今回が最後である.そこで,何時もの私の口癖,”良かった.良かった”と書いておこう.
<街道歩き遍歴>
■なんで街道歩きをするの?
正直なところ,私がこの年になって,なんで街道歩きをするのか,自分でも良く分からない.ただ言えることは,ジッとして居られない自分の性格に由来しているのではないかということである.つまり”悟り”がないからに違いない.
多分,ジッとして居るときの”イライラ感”がどうにもならない.生来,こんな”イライラ感”などなかったに違いないが,戦後の復興期から,追い立てられるように仕事を続けた結果,何時しか身についてしまった”悲しい性(さが)”であろう.だから,ときどき自分が自分を哀れに思うこともしばしばである.
冒頭にボケ防止などと格好いいことを書いたが,その奥にはこのイライラ感が私をかき立てているに違いない.
一方,「三つ子の魂百まで」とも良く言われる.私は元々信州の田舎者である.幼少の頃は,大自然の中でのびのび大らかに育っていたはずである.途中で第二次世界大戦の忌まわしい戦争体験が挟まってしまったものの,この生来の”のびのび”が何時しか自分の中に戻ってくると信じている.街道歩きが多分その切っ掛けになってくれるだろうと思っている.
そんなこともあって,街道歩きが,イライラ感解消に一助になっていると信じている.
私が街道歩きは,2007年から始めた東海道五十三次が切っ掛けである.今回の善光寺西街道のエピローグの一環として,これまでの街道歩きの記録をひとまとめにすると以下の通りである.
■東海道五十三次
主催:小田急トラベル
期間:2007年3月4日~2008年10月20日
第 1回 日本橋→大森海岸(日帰り)
第 2回 大森海岸→横浜(日帰り)
第 3回 横浜→戸塚(日帰り)
第 4回 戸塚→茅ヶ崎(日帰り)
第 5回 茅ヶ崎→二宮(日帰り)
第 6回 二宮→箱根湯本(日帰り)
第 7回 箱根湯本→箱根関所(日帰り)
第 8回 箱根関所→三島(日帰り)
第 9回 三島→沼津(泊)→清水(泊)→草薙(2泊3日)
第10回 草薙→静岡(泊)→島田(泊)→掛川(2泊3日)
第11回 掛川→浜松(泊)→弁天島→(浜松泊) →弁天島→二川(2泊3日)
第12回 二川→赤坂(岡崎泊)→藤川→岡崎→宇頭→(岡崎泊)→名電前後
(2泊3日)
第13回 小田原==>明電前後→宮宿(桑名泊) →石薬師(四日市泊)→亀山
==>小田原(2泊3日)
第14回 小田原==>桑名→亀山→関宿→坂下宿(亀山泊) →坂下→
水口宿(水口泊)→石橋宿==>小田原(2泊3日)
第15回 草津→草津宿→瀬田(草津泊) →大津→京都(京都泊)(2泊3日)
■日光道中二十一宿
主催;小田急トラベル
期間;2009年5月2日~11月9日
第 1回 日本橋→東武竹ノ塚(日帰り)
第 2回 東武竹ノ塚→北越谷(日帰り)
第 3回 北越谷→東武動物公園(日帰り)
第 4回 東武動物公園→栗橋(泊)→小山(泊)→石橋(2泊3日)
第 5回 石橋→宇都宮(泊)→今市(泊)→日光
■中山道中六十九宿
主催;五十三次洛遊会
期間;2009年9月19日~2012年11月18日
第 1回 日本橋→蕨(日帰り)
第 2回 蕨→上尾(日帰り)
第 3回 上尾→吹上(日帰り)
第 4回 吹上→深谷(日帰り)
第 5回 深谷→神保原(日帰り)
第 6回 神保原→高崎(日帰り)
第 7回 高崎→安中(泊)→横川(泊)→軽井沢(2泊3日)
第 8回 軽井沢→御代田(泊)→望月(泊)→亀久保(2泊3日)
第 9回 亀久保→観音橋(泊)→上諏訪(泊)→塩尻(2泊3日)
第10回 塩尻→贄川(泊)→薮原(泊)→木曽福島(2泊3日)
第11回 木曽福島→須原(泊)→妻籠(泊)→中津川(2泊3日)
第12回 中津川→深萱(泊)→御嵩(泊)→美濃太田
第13回 美濃太田→各務原(泊)→美江寺(泊)→垂井
第14回 垂井→柏原(泊)→尼子(泊)→武佐(2泊3日)
第15回 関ヶ原→関ヶ原古戦場→関ヶ原(泊)→武佐→守山(泊)→大津(泊)
→京都(3泊4日)
■甲州道中四十四宿(第1回)
主催:小田急トラベル
期間;2010年5月9日~12月13日
第 1回 日本橋→八幡山(日帰り)
第 2回 八幡山→谷保(日帰り)
第 3回 谷保→高尾(日帰り)
第 4回 高尾→相模湖(日帰り)※不参加
第 5回 相模湖→西光寺(日帰り)
第 6回 西光寺→石和(泊)→黒野田(泊)→石和(2泊3日)
第 7回 石和→ドラゴンパーク(泊)→萬休院(泊)→塩沢温泉(2泊3日)
第 8回 塩沢温泉→諏訪大社(泊)(1泊2日)
■甲州道中四十五次(第2回) リベンジ
主催;五十三次洛遊会
期間;2013年3月3日~2014年4月20日
第 1回 日本橋→八幡山(日帰り)
第 2回 八幡山→谷保(日帰り)
第 3回 谷保→高尾(日帰り)
第 4回 高尾→相模湖(日帰り)
第 5回 相模湖→西光寺(日帰り)
第 6回 西光寺→上野原(泊)→甲斐大和(泊)→石和温泉(2泊3日)
第 7回 石和温泉→甲府(泊)→韮崎(泊)→萬休院(2泊3日)
第 8回 萬休院→諸水橋(泊)→茅野(泊)→諏訪大社(2泊3日)
<新たな旅のプロローグ>
■街道歩きが私の性(さが)
さて,次の街道歩きをどうするかである.
私はサメのような生き物である.サメは泳がないと呼吸ができないので死んでしまうという.本当かどうか知らないが…
私も同じである.とにかくどこかを歩いていなければ死んでしまいそうになる.もっとも.ジッとして居ても,何の”イライラ感”も感じない悟りの人生が送れればそれに越したことはないが,今のところは,そんなこと叶わぬ夢である.
そんなこともあって,まさにひとつの旅のエピローグは新たな旅のプロローグでもある.
私は,多分,こんな街道歩きを体力がある限り続けていくんでしょうね.
■まずは善光寺街道
そこで,善光寺西街道の余韻が未だ収まらない内に,街道歩きの仲間6人と一緒に善光寺街道を歩くことがすでに決まっている.
今度は,信濃追分から,小諸,上田,坂城,矢代,松代などを巡る予定である.2泊3日の旅を3回続けて,軽井沢,布引観音,懐古園,上田城趾.塩田平など沿道の風物も楽しみたいなと思っている.
善光寺街道を歩き終えてからのことは,まだ何も決めていないが,善光寺街道から先の北国街道を歩くのも良いし,奥州街道をユックリペースで旅するのも素晴らしいだろう.
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東京地方では,猛暑日が1週間も続いた.
でも,今日は,漸く猛暑も漸く一息ついたようである.相変わらず蒸し暑いものの.昨日までのとんでもない猛暑に比較すれば,今日は大分しのぎやすい.パソコンも熱暴走することはなさそうである.
”では,午後のお散歩が済んだら,善光寺街道の地図/資料作りに専念することにしよう”
(完)
「善光寺西街道」の目次
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「善光寺西街道」の索引
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