<寿老人の西光寺>
善光寺西街道;第3回;第3日目(4);長野七福神巡り;3日目の総括
※正確には善光寺街道
(五十三次洛遊会)
2015年6月26日(金)~28日(日)
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第3日目;2015年6月28日(土) (つづき) 晴
<ルート地図>
■長野七福神巡り
<長野市内をぶらり旅>
■私はMr.ブラウン
レストラン「森之珈琲店」で昼食を終えた私は,13時55分,同行の皆様より一足先に「さよなら」して,レストランを出る.勿論,私は当初の予定通り,長野七福神を一回りするつもりである.残念なことに,当初,七福神を廻ると言っていた皆さんは,食事の間に疲れがドッと出てしまったのか,七福神巡りは止めにするとのことである.
さて,これからがまずいことになる.
独り歩きのとき,私はすぐに横道に逸れてしまう癖がある.これは,あながち私だけの責任ではないと,私自身,思っている.多分,ブラウン運動のように気まぐれな行動にすぐ出るのは,母親から受け継いだDNAによるところが多分にあると思っている.つまり,私のことをよく知る古くからの知人から頂戴したあだ名がMr.ブラウン.
何れにしても,独り歩きの気安さから,歩き出してすぐに予定外の脇道に入ってしまう.
何故って…?
答えは簡単.脇道の方が何となく面白そうに思えたからである.でも,適当ながら,最初は脇道から少し北の方向にもどって,大黒天のある西宮神社を訪れるつもりだったが,その内に,地図も六に見ないで歩いているので,どこを歩いているのか訳が分からなくなる.諦めが早い私は,立ち所に,
”七福神巡りはもうヤメタ…!”
正に,Mr.ブラウンの面目躍如ということになる.ただ,誤解のないように,急いでお断りするが,案内役をしているときの私は,絶対にブラウン運動のような,適当な行動はいっさいしない.Mr.ブラウンの名誉のために,これだけは付記しておこう.
■明行寺
さて,こうなったら適当にあるさ…ということで,道幅の狭い道をあちらこちらで曲りながら歩いて,14時03分,明行寺というお寺の前に到着する.私が予め準備した地図(冒頭の地図)には,残念ながら明行寺の記載はない.したがって,この地図の上で私が今何処を歩いているのか皆目分からない…が,まあいいさ,何れどこかに出るだろう.
明行院の前でボンヤリしていると黒ずみの衣(正式の名前は知らない)を着た品の良い坊さんが,ちょうど寺に帰ってくる.私は離れた所から,軽く会釈をするが,坊さんは私の存在に気がつかないまま境内で見えなくなる.
とにかくこの寺は七福神に該当していないので,わざわざ拝観することもない.私は写真を数枚撮っただけで通過する.
<明行寺>
■繁華街に来ちゃった!
長野駅の方向と思われる方角を目指して,デタラメ歩きをする.
14時04分頃.飲み屋と飲食店が建ち並ぶところに到着する.道幅は狭いが化粧ブロックで舗装されているので,この辺りは繁華街なのだろう.ただまだ今は,昼下がりの時間なので人の気配は殆ど感じない.
14時05分,アーケード付きの繁華街と直行する.
”これは面白いところに出たゾ…!”
成り行きで,十字路を右折する.繁華街のようである.ただ,日曜日の昼下がりだというのに,人影は意外なほどに疎らである.
アーケードのある商店街をブラブラと歩く.暫く歩くと前方に自動車が盛んに往来する道路が見え出す.多分,善光寺の参道だろうと勝手に想像する.
<飲み屋ばっかり;アーケードが見える> <右折してアーケード街へ,途中で左折>
■桂並木と善光寺
デタラメ歩きをしている内に,何となく見覚えのある道路に出る.なんだ! 表参道に出てしまったぞとビックリ.
たまたま目の前に「桂並木と善光寺」という案内板がある.この案内板には次のようなことが書いてある(要約).
「表参道には約1.4キロメートルの桂並木がある.善光寺は度々火災で焼失したが,現本堂は宝永4年(1707年)に建立された.本堂を支える柱は108本.桂と欅が使われている.桂は長野近郊にはないので作久地方から千曲川を使って運ばれたという説がある.用材の運搬,加工,普請のために全国から人工,大工が集められた.」
私には樹木のことは分からないが,ここで見えている並木は,この記事に出てくる桂の木なんだろう.これらの木も何れは,善光寺の柱のような大木になるに違いない…そんな未来の表参道を想像するのも面白い.
<桂並木の表参道>
<十念寺(福寿録)>
■十念寺に到着
適当にブラブラ歩きをしている内に,タダ,ブラブラでも詰まらないので,七福神のどれかをほんのちょっと拝んでおこうという気になる.
地図を取り出して,私の現在地を確かめる.すると,ここからだと,まずは十念寺が一番近いようである.
地図を頼りに,14時12分,十念寺に到着する.
どこか鎌倉の寿福寺の石畳を連想させるような石畳道の突き当たりに本堂がある.境内には人の気配はなく静まり返っている.
ここは浄土宗の寺.資料3には,「今からおよそ八百有余年前の建久年間の創建で源頼朝公を開基としています.頼朝公が善光寺へ参拝の折,その行列が当地にさしかかると,にわかに紫の雲がたなびき,一光三尊の阿弥陀如来が影現し,頼朝公に直接十遍のお念仏をお授けしました.
この摩訶不思議な仏縁に頼朝公は当地を聖地と定め,一宇を建立し,紫雲山頼朝院十念寺と名付けたと伝えられています.
現在は檀信徒教化に専念する一般的な寺院です.」
という説明がある.
<十念寺>
■山号,院号,寺号の由来など
境内にある案内板には次のような説明が書いてある(要約).
「『源平盛衰記』によると,この寺は永承3年(1179年)3月に炎上した.善光寺伽藍再建落慶法要に大施主として源頼朝が当地に差し掛かると,紫雲より一光三尊善光寺如来が影現した.そして源頼朝に向かって「ナムアミダブツて…」を十返のお念仏,「お十念」を直授した.この奇跡を記念し一宇を建立して「紫雲山頼朝院十念寺」と号した.
応永7年(1400年),「十念寺の聖」が,大塔の乱合戦の場(現篠ノ井大当付近)に駆けつけて,戦死者一人ひとりに「十念」を授けて丁重に埋葬した.この遺跡が墓域に混在している.これが応永15年銘の「六字名号碑断片である.」
なお境内には「正堂大和尚上名号碑由来」などの案内板があるが,ここでは引用するのを省略する.
■福寿録
まずは福寿録を拝観しなければ…ということで福寿録を参拝する.傍らに御朱印が置かれている.
不謹慎ながら,この福禄寿のご尊顔を拝している内に,
”だれかに似ているな…”
と気になり始める.
“あっ…! そうだ! ”鎌倉の仙人”そっくりだ…”
”鎌倉の仙人”は,知る人ぞ知る有名人.仙人は私の山の師匠でもある.こちらの福寿録と良く似た顔,背格好で,何時もリュックを背負って,鎌倉散策をしている.その鎌倉の仙人を連想して,私は思わずニタニタする.
“それにしても,実に良く似ているな…”
<寿老人> <御朱印台>
■秋葉神社
14時14分,福禄寿近くの秋葉神社を詣でる.立派な社殿である.この辺りの秋葉神社といえば,岩や石の上に立てられたお社を連想するが,ここは普通に地面の上に直接建てられている.
<秋葉神社>
<大国主神社(大黒天)>
■路地を抜けて大国主神社へ
14時15分頃,十念寺を出る.
次は大黒天が祀られている大国主神社を訪れるつもりである.地図を眺めながら,これから歩くおよその方向だけを定めて,路地を適当に曲がりながらデタラメ歩きを続ける.
細い路地に入り込む.こういうのがとにかく面白い.これが一人旅の醍醐味でもある.一体何処に出るんだろうと思いながら歩き続ける.その内に,道幅が広い道に飛び出す.目の前に郵便局がある.
郵便橋を頼りに,地図上の現在地を探す.
”ああ,ここか! 大国主神社は,すぐ先にあるぞ…”
<狭い路地を抜ける> <郵便局の先に大黒天の赤い幟が見える>
■大黒天
14時25分,大国主神社に到着する.もっと大きくて立派な神社かと想像していたので,少々ガッカリする.
ここには大黒天が祀られているはずだが,土足のまま階段を登って社殿の中を覗き込むのも行儀が悪いので,拝観は省略する.
ここにもちゃんと御朱印が置かれている.
<大国主神社>
<西光寺(寿老人)>
■西光寺に到着
郵便局脇の斜めの道路を南へ下る.途中で左折して,善光寺表参道を渡る.
14時35分,西光寺(寿老人)に到着する.
西光寺の案内板の記事によると,この寺は浄土宗.正治元年(1199年)に創建された寺である.正治元年といえば源頼朝が歿した年である.
刈萱上人(寂照坊等阿法師)開基.その後,石童丸(信生坊道念法師)が師の刈萱上人(実の父)を慕って,この寺に来て入寂.境内に両法師の墓があるという.
境内には所狭しとばかりに,いろいろなものが安置されている.全体の雰囲気が,鎌倉の上行寺に似ているなと思う.
<西光寺>
■かるかや親子の対面
境内に「かるかや親子」の対面像がある.案内板の説明によると,石童丸が父上人と対面した情景とのこと.謡曲「刈萱」,説教節「かるかや」の舞台になっているとのこと.
この像が何時頃,誰によって造られたのか,多少興味があるが,良く分からない.
<かるかや親子の対面>
■松尾芭蕉・小林一茶の句碑
やや窮屈に感じる境内の一角に松尾芭蕉と小羽橋一茶の句碑が立っている.
松尾芭蕉の句碑
”雪ちるや 穂屋のすゝきの 刈残し”
小林一茶の句碑
”花の世は 仏の身さえ 親子哉”
なお,ここの芭蕉の句碑は信濃では最古のものだという.
<松尾芭蕉の句碑> <小林一茶の句碑>
■朝日山大蛇の塚
境内の片隅に朝日山大蛇の塚がある.案内板の記事によると,木樵の忠兵衛は大蛇を古木と間違えて斬り殺した.その大蛇を街に持ち帰って見世物にした.大蛇はこれを恨んで祟ったので,忠兵衛は狂い死にし,一族も奇病で死に絶えた.
その祟りを鎮めるために「畜転善達信士」の法名を授与した.祟りを善神に仕向けたことにより霊魂が蘇り「家運隆盛」「無病息災」「金運招福」など霊験あらたかだという.
<朝日山大蛇の塚>
■適当に長野駅へ
そろそろ歩き回るのにも飽きてくる.
14時40分,西光寺から外へ出る.その後は長野駅に向かいそうな道を適当に選んで,道草歩きを楽しむ.
14時43分,車体横に”JOY STYLE”と書いてある2階建バスの展示にビックリ.この2階建バスが長野市内を走ったことがあるんだろうか? 走ったとすれば何時のことだろう? ひょっとして長野万博の時?…と,次から次へと興味が湧いてくる.
俗に「鶏は3歩歩けば忘れる」というが,憚りながら私だって同じようなもの.バスを通過してしまうと,もうそんなこと調べる気にもならなくなる.
14時47分,長野駅に到着する.
<街角で見かけた2階建バス> <長野駅に到着>
<北陸新幹線>
■長野駅にて
長野駅1階の商店街に入ってみる.途轍もなく広くて賑やかな売場が広がっているのにビックリする.私が住んでいる鎌倉には,こんなに交通の便が良く,広くて素敵な売場があるところなど見たこともない.羨ましい.
売場を斜めに横切って,会場のコンコースに出る.ちょうど改札口のところで,昼食を終えてお別れした皆さんと,また,バッタリお会いする.また,大部分の方々と同じ電車で帰郷することになる.
■大混雑の新幹線
新幹線ホームは沢山の乗客で混雑している.金沢方面から来る列車の自由席辺りはかなりの行列ができている.私は即座にこの列車に乗るのを諦めて,わずか10分ほど後の長野発のあさま号に乗車する事にする.どうやら同行の皆さんは金沢方面から来る列車に乗車したようである.
私は,長野15時10分発あさま620号東京行始発電車の自由席2列席窓側に座る.まだ大分空席があるなと思っていると,金沢方面から来た列車が発車すると同時に,沢山の乗客がドヤドヤと乗車してくる.たちまちの内に自由席は満席になる.
列車が佐久平を過ぎる頃には,自由席の車両はまるで通勤電車のような大混雑になる.さらに軽井沢駅では乗車できないほどのギュウギュウ詰めになる.ついに車内放送で,グリーン車以外の指定席車両にも乗車するように繰り返し呼びかける.軽井沢で一騒ぎがあって発車時間が少々遅れたようである.
列車の寿司詰状態は,結局,大宮駅まで続く.大宮で乗客がドッと下車してしまう.どうやら湘南新宿ラインの電車で新宿方面に向かう乗客が多いようである.
■上野で上野東京ラインへ
あさま620号は,16時52分,上野に到着する.
私は上野で下車するか,それとも終点の東京駅まで行くかちょっと迷うが,結局,上野で下車.上野17時01分発上野東京ラインの電車に乗り換える.もちろんこちらの電車も座れるが,東京から乗車した人はほとんど座れない.帰りは上野乗換に限るなと改めて実感する.
■無事帰宅
17時49分,大船駅に到着する.そして,18時過ぎには無事帰宅する.
“やれやれ…,長い間の街道歩きの企画実施,ご苦労様でした…”
私は自分に労いの声を掛ける.
こうして,延べ9日間にわたる善光寺西街道の旅は無事終わった.
<第3回3日目のラップタイム>
8:29 川中島駅から歩き出し
8:51 伊勢社
8:58 共同井戸
9:03 ローソン
9:13 観音堂(浄生庵)
9:15 於佐加神社(9:20まで休憩)
9:24 丹波島宿高札場跡
9:26 問屋兼脇本陣柳島家
9:39 丹波島の渡し跡
9:57 丹波島橋(10:02橋を渡り終える)
10:08 馬頭観世音
10:17 吹上地蔵堂
10:20 連心寺
10:23 木留神社
10:34 姫塚
10:43 長野県民文化会館
10:55 観音寺
11:21 柳原神社
11:31 長野駅
11:10 西光寺
11:45 本願寺長野別院
12:05 熊野神社
12:13 仁王門着(善光寺西街道完歩)
[第3回3日目のウォーキング記録] (含;川中島,除く;長野七福神)
■水平歩行距離 8.0km
■累積登攀高度 56m
■累積下降高度 15m
■所要時間(休憩時間を含む)
川中島駅発 8:29
仁王門着 12:13
(所要時間) 3時間44分(3.73h)
水平歩行速度 8.0km/3.73h=2.14km/h
[第3回の総括]
第1日目 第2日目 第3日目 合計
(1日平均)
水平歩行距離(km) 9.7 13.7 8.0 31.4
(10.5)
累積登攀高度(m) 16 28 56 116
(39)
累積下降高度(m) 623 23 15 641
(214)
歩行時間(h) 5.22 7.93 3.73 16.88
(5.63)
水平歩行速度(km/h) 1.86 1.73 2.14 1.86
[参考資料]
資料1;http://www.zenkojikai.com/shinetsu/s-178.html
(つづく)
続きの記事
↓
(編集中)
「善光寺西街道」の目次
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「善光寺西街道」の索引
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