<善光寺山門>
善光寺西街道;第3回;第3日目(3);善光寺参拝
※正確には善光寺街道
(五十三次洛遊会)
2015年6月26日(金)~28日(日)
前回の記事
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第3日目;2015年6月28日(土) (つづき) 晴
<ルート地図>
■善光寺西街道全体図
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※再掲
■善光寺地図
※パンフレット「長野」から引用
<善光寺参拝>
■仁王門
12時13分,善光寺街道の終点,善光寺仁王門に到着する.物凄い形相の仁王像が私達を出迎える.これで,2015年4月24日から,2泊3日の旅を3回繰り返して歩いた善光寺西街道(途中からは善光寺街道)の旅は無事終わった.
今回の旅は,水平距離78.8キロメートル,累積登攀高度1,506メートル,累積下降高度1,772メートルの旅であった(オプションコース含まず).また,街道の途中には刈谷原峠,立峠,猿ヶ馬場峠などの難所もあったが,終始北アルプスの美しい眺めを味わいながらの楽しい旅であった.
私は,これまでの旅の経緯を振り返りながら仁王門を潜る.
<仁王門を潜る>
■善光寺山門
もう善光寺の御開帳は終わったが,さすがに善光寺である.沢山の参拝客で賑わっている.いや,全く凄い賑わいである!
私達も,沢山の参拝客の流れに乗って,ユックリと山門を潜る.
<山門;沢山の参拝客に混じって>
■善光寺参拝
12時23分,全員揃って善光寺を参拝する.
資料1には,「本尊は生身(しょうしん)の阿弥陀如来.欽明天皇13年(552年),百済の聖明王から送られた三尊仏.中臣・物部両氏と蘇我氏との間で信仰を巡る争いになり,この仏像は難波の堀江に投げ込まれてしまった.推古天皇10年(642年)信濃国伊奈郡麻績の本田善光(よしみつ)が水中から光が発している三尊像を発見し故郷に持ち帰り安置したことが始まりとしている.
戦国時代の権力者により処々転々とするも慶長3年(1598年)元に戻った.善光寺は阿弥陀信仰の聖地であり,極楽往生を願う人々にとって一生に一度は参りたい寺である.撞木造の本堂は宝永4年(1707年)再建される.国宝.」という説明がある.
<善光寺本堂>
■記念写真撮影
参拝を終えて,12時36分,本堂脇で善光寺西街道完歩記念の集合写真を撮る.その後,1人ずつ横断幕を前に記念写真を撮る.
なお,この横断幕はHTさんの力作である.
撮影を終えて,解散.
”アウフ ビーダー ゼーエン!”
<記念写真>
<境内散策>
■陶磁器の燈籠と濡れ仏
解散後も,敢えて一人ぼっちになる必要もないので,善光寺境内を散策しながら,どこか適当な場所で昼食を摂ることにする.また,希望者だけで善光寺七福神を廻る予定である.
まず境内で,陶磁器製の立派な燈籠を見付ける.この燈籠の由来など知る由もないが,素人の私が見えも素晴らしいと思う.勿論,この燈籠の写真を何枚も撮りまくる.
続いて濡れ仏の写真を撮る.
傍らに立つ案内板によると,.六十六部(日本全国を行脚する巡礼者)の供養のため,法誉円信が広く施主を募って,享保7年(1722年)に造率した延命地蔵菩薩.高さ2.7メートル.
一説には,江戸の大火の火元として処刑された八百屋お七の冥福を祈って,お七の恋人,吉三郎が造立したとも言われている.」
<陶磁器製の燈籠> <濡れ仏>
■宿坊が立ち並ぶ
境内の東沿いの道を長野駅に向けて辿る.進行方向左手には,何軒もの宿坊が立ち並んでいる.
”さすがに善光寺様だな…”
と感心しながら,ゆっくりと歩く.
<宿坊が立ち並ぶ>
■世尊院
12時53分,世尊院に到着する.本尊は銅造釈迦涅槃像.絢爛豪華な建物である.
案内板の記事によると,銅造釈迦涅槃像は,6枚の座布団の上に頭部を北にした釈迦入滅の姿を示している.全長1.66メートル,重さ487キログラム.
<世尊院>
■善照無窮碑
12時56分,善照無窮碑に到着する.
ここがどういうところか,事前の調べが良くできていないので,全く分からないが,何となく気になるので写真だけは撮っておくことにする.
(帰宅後,インターネットで調べたが,結局まだ良く分からない.)
<善照無窮碑>
■布袋尊
13時01分,布袋尊に到着する.第一印象は,
”あれぇ…随分小さな布袋団だな…”
平素,鎌倉浄智寺の威風堂々の布袋様を見馴れている私には,少々期待はずれ.もっとも神様を像の大小で判断してはいけないことなど,百も承知しているが…
傍らの案内板の記事によると,太平洋戦争で撃沈された戦艦大和の最後の艦長,有賀幸作中将の生家(長野県辰野市)に伝わったものとのこと.
<布袋尊> 布袋尊の案内板>
<コーヒーショップで昼食>
■ぱてぃお大門蔵楽庭
大分時間が押してきたので,どこかで昼食を摂ることにする.
善光寺参道を長野駅に向かって歩き出す.昼食に適当なところがあったら,そこで註hそくを摂る積もりである.
善光寺を出発してすぐに西沢書店があるのを見付ける.この書店は私が高校生時代からある書店である.もちろん建物自体はどうやら当時とは違うようだが,とにかく懐かしい.
毎度のことながら,何を何処で食べるかを決めるのは実に煩わしい.そこで何時ものように同行のオバサン達に店選びはお任せする.
善光寺から長野駅に向かう途中,13時06分,「ぱてぃお大門蔵楽庭」という案内板の前で足が止まる.どうやら,ここに何軒かの飲食店が集まっているようである.
「ここにしましょう…この中に適当なお店があったらそこで昼食にしましょう…」
勿論異論はない.
<ぱてぃお大門蔵楽道案内板>
■どこへ入ろうか
あちらこちらのお店のショーウインドウを見て回る.
グループとしては,先ほど,もう解散しているので,各自,自分の好みの店に入っても構わない筈だが,結局,全員が「森之珈琲店」という店に入る.
<ショーウインドウを見て回る> <森之珈琲店の外観>
■森之珈琲店
13時10分,森之珈琲店に入る.それほど大きな店ではないが,まあまあ落ち着いた雰囲気である.
先客は.2人ばかり.
私達8人が,いきなり入ったので,店員の方も少々慌て気味である.お店の奥の一角に纏まって座る.
<森之珈琲店の内部>
■私はシナモントーストセット
私は席に着いた途端に,あまりややこしいものを注文すると出来上がるのに時間が掛かるなと直感して,簡単なメニューのシナモントーストセット550円也を注文する.
予想は的中.シナモントーストセットセットが一番早く出来上がる.その後,少しずつ時間がずれて出来上がるが,一番できあがりが遅い方のメニューができたのは,私が食事を終えてからになった.
シナモントーストは甘くて美味.それにトーストは外がカリカリ,中がフワフワでとても美味しい.
この店で使われている珈琲茶わん,お皿,匙などは,ハンディキャップのある方達が作ったもののようである.
<私が注文したシナモントーストセット>
■流れ解散
昼食後暫くの間雑談.
その内に,UDさんがフッと居なくなる.タバコでも吸いに外へ出たのかなと思ったが,どうやらそのまま戻ってこないようである.
当初,希望者だけで長野七福神を廻ることにしていたが,昼食を摂っている間に,もう歩くのが面倒になったのか,七福神巡りを希望する人はゼロ.
皆さんは,まだ雑談を続けるらしいので,13時55分,私は皆さんに挨拶をして,一足先にお店を出る.私と一緒に,HTさんもお店を出るが,HTさんは路線バスに乗って長野駅へ向かうとのこと.
バス停でHTさんとお別れしてから,私1人で,長野七福神巡りを楽しみながら,長野駅に向かうことにする.
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
(つづく)
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(編集中)
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