<善光寺参道を行く>
善光寺西街道;第3回;第3日目(2);丹波島橋を渡り善光寺へ
※正確には善光寺街道
(五十三次洛遊会)
2015年6月26日(金)~28日(日)
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第3日目;2015年6月28日(土) 晴
<ルート地図>
■丹波島宿
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※再掲
■善光寺宿
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<丹波島橋を渡る>
■犀川を望む
9時57分,丹波島橋を渡り始める.さすがに大河犀川に架かる橋である.とにかく長い橋である.
橋の中央で欄干にもたれかかりながら犀川の流れに見入る.上空には雲が多いものの青空も見えている.雨の天気予報が大はずれである.
遙か向こうに連なっている山脈は,一体,どこの山なんだろう?
とにかく空自が綺麗で,遠くの山までスッキリ,クッキリ見えているのに感心する.
<丹波島橋から犀川を望む>
■長い長い橋
片側2車線の立派な橋である.とにかく長い.自動車の交通量も結構多いので,自動車が発する騒音で,何となく急き立てられるようなイライラ気分になる.
それでも歩いている内に,善光寺の裏山が次第に大きく見えるようになる.
<長い長い橋>
■善光寺常夜灯(大灯籠)
10時02分,ようやく丹波島橋を渡り終える.橋を渡るのに優に5分を要したことになる.
長野側の橋の袂の両側に大灯籠が立っている.進行方向右側の大灯籠は文政3年(1820年)建立されたもの(写真).左側の大灯籠は文政6年の建立だという.
橋を渡って,いよいよ長野市の市街地である.
この大灯籠のすぐ先で,4車線の自動車道路から,斜め右に分岐する道幅の狭い道に入る.
<大燈籠>
<長野県民文化会館へ寄り道>
■馬頭観世音
10時08分,馬頭観世音前を通過する.ちょっと傾いた社殿の中に鎮座している.少々色あせた赤い衣裳が印象的である.
<馬頭観世音>
■吹上地蔵堂
10時17分,吹上地蔵堂に到着する.
広場の奥に,立派な地蔵堂が建っている.私の手許の資料では,この地蔵堂の由来などは不明.
資料1によると,ここは安産,子育安穏,延命長寿を祈願する所のようである.
地蔵堂に向かって左側の置かれた大きな石の上に神社らしい建物がある.近付いて見ると秋葉社である.ここでも秋葉社は石の上の高い所に祀られている.
<吹上地蔵堂> ↓ 拡大(秋葉社)
<秋葉社>
■蓮心寺と木留神社
10時20分,蓮心寺に到着する.私の手許の資料では蓮心寺の由来などは不明である.参道入口で写真を1枚撮っただけで通過.
10時23分,となりにある木留神社に到着する.
資料1によると,善光寺伽藍造営のとき,材木を犀川上流から流した所,増水による流失寸前に住吉明神が現れ木々をつなぎ留めたという伝説がある.境内の大欅が有名だという.
私達が境内でモタモタしている間に,アンパンマンのHTさんが近くを歩き回って戻ってくる.
「あっちの方に,何だかとても綺麗なところがありますよ…」
という.
ちょうど,これから訪れようと思っていた姫塚のある方向である.
「じゃあ…そちらの方へ参りましょう…」
<連心寺> <木留神社>
■姫塚
善光寺街道から東の方向に曲がる.
10時34分,姫塚に到着する.辺り一帯は墓地になっている.墓地に少し入ったところに「善光寺旧跡姫塚」という立派な石碑が立っている.
石碑の記事を要約すると,熊谷次郎直実は出家後善光寺で修行する.直実の娘玉鶴が訪れる途中.犀川で落命したという.
<姫塚>
■長野県民文化会館
姫塚の東側の交差点を左折,さらにその先の十字路を左折する.
10時43分,長野県民文化会館(ホクト文化ホール)のある公園に到着する.何とも広々とした公園である.平らで広い公園がない鎌倉市に住んでいる私には羨ましい限りである.
私達は,折角迷い込んだ公園に魅了され,ここで少し休憩を取ることにする.
<長野市県民文化会館>
<鉄道のガードを潜って長野市街地へ>
■観音寺
休憩を終えて,10時55分,長野県民文化会館のある公園を出発する.
公園前の道を西に進んで,10時58分に再び木曾神社に戻る.木曾神社からふたたび善光寺街道に沿って歩く.
11時10分,観音寺に到着する.資料1によると.本尊は髻観音.浅学の私には,この「髻」という漢字は全く読めないが,どうやら「もとどり」と読むようである.同資料によると「源頼朝が石橋山の合戦で敗れて,洞に隠れたとき,持念仏の髻観音が白鳩に化身し,危機を救った」という.
<観音寺>
■鉄道のガードを潜る
道なりに進むと,前方にガードが見え始める.つい先日までは信越本線のガードだったが,北陸新幹線が開通してから.このガードを何て呼んだら良いのか私には良く分からない.
ガードを潜っての第一印象は,ガードの壁面に全く広告がないこと,および全く落書きがないことである.
11時15分,長いガードを潜って,長野市の市街地側に出る.
<前方にガードが見え出す> <長いガード>
■柳原神社
ガードを潜ってから,11時21分,進行方向左手にある柳原神社に到着する.
境内に案内板が立っているが,ここには神社の森が保存樹林に指定されていることが書かれている.
榊原神社の由来などは不明.
<柳原神社>
■長野駅前
11婦31分,長野駅前に到着する.第一印象は賑やかだということである.それに,東京のターミナル駅を連想させるほどの”でかい”駅なので,改めてビックリする.
幼少の頃からサラリーマン人生を歩み出す頃までは,生まれ故郷が信州だった関係もあって.かなり頻繁に長野を訪れていたが,長野新幹線が開通してからは,ほとんど長野を訪れたことがない.
昔の長野の街並みは知ってはいるが,現在の長野駅周辺の変貌振りには驚くばかりである.一体,善光寺前の大通りは何処だろうと戸惑ってしまう.
<賑やかな長野駅前>
<善光寺を目指して>
■西光寺
私達の予定では,善光寺街道の終点,善光寺仁王門までを完歩してしまおう.そして,善光寺参拝後解散の予定である.
その後,希望者だけで一緒にどこかで昼食後,善光寺七福神巡りをする予定である.
善光寺に通じる大通りの正式な名称は知らないが,駅前から善光寺に通じる目抜き通りに沿って,歩き始める.
11時32分信号末広町を通過する.
11時40分,西光寺山門の前に到着する.ここは昼食後の七福神巡りのときに,この寺も参拝することになっているので,山門の写真を撮っただけで通過する.
<西光寺>
■本願寺長野別院
11時45分,信号新田町を通過する.
12時01分,本願寺長野別院入口に到着する.ここは長野七福神に入っていないので.路地の奥まで入って本願寺別院を参拝する.
境内は殺風景な印象だが,そんな印象など,お寺にとっては.どうでも良いことである.
<本願寺長野別院>
■熊野神社
この辺りから参道の勾配が次第に急傾斜になる.正直なところ,歩くのに幾分飽きてくる,wたしたちは,暑い中を黙々と歩く.
12時05分,熊野神社の前を通過する.
<参道の勾配が次第に急になる> <熊野神社>
<善光寺街道終点>
■仁王門に到着
12時13分,参道の突き当たり位置しているる仁王門に到着する.ここが善光寺街道の終点である.これで,洗馬宿から歩き出して,2泊3日の旅を3回,延べ9日間掛けて,無事,終点の仁王門まで完歩したことになる.万歳!
これから,善光寺を参拝を終えてから,記念の集合写真を撮って解散の予定である.
<仁王門>
(つづく)
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
(つづく)
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(編集中)
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「善光寺西街道」の索引
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善光寺西街道;第3回;第3日目(2);丹波島橋を渡り善光寺へ
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