<天王社とキツネ>
善光寺西街道;第2回;第2日目(7);麻績宿に入る
(五十三次洛遊会)
2015年5月29日(金)~31日(日)
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第2日目;2015年5月30日(土)(つづき) 晴
<ルート地図>
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※再掲
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<女淵から麻績大橋へ>
■双体道祖神と石塔群
小切通で休憩を取った私達は,13時08分に歩き出す.この辺りはなだらかな下り坂である.資料1によると,この辺りは砂原というところらしい.この資料には赤松並木が続くとあるが,どこに赤松の並木があるのか良く分からない内に通過してしまう.
13時20分,路傍に鎮座する双体道祖神を見付ける.奥深い茂みの中にひっそりと立っている.さらに先へと歩いて,13時24分,6基の石塔が立ち並ぶ場所に到着する.前列中央は馬頭観音だとすぐに分かるが,その他の石塔が何かは一寸目には良く分からない.
<双体道祖神> <馬頭観音などの石塔群>
■麻績大橋を渡る
13時25分,「女淵」の標識を通過する.この標識を頼りに地図で現在地を確かめる.やがて進行方向左手に麻績川が見え始める.
13時28分,麻績川に架かる麻績大橋をを渡る.橋の欄干に善光寺街道の案内標識が取り付けてある.いよいよ,本日の最終地点である麻績宿も間近である.
<女淵の案内標識> <麻績大橋>
<下井堀の石塔群>
■篠ノ井線の特急電車
13時29分.私達が篠ノ井線の第4西街道動踏切間近を歩いているときに,篠ノ井線の特急電車ばく進してくる,元鉄道マニアだった私には,こういうのが実に嬉しい.列車が近付くのに合わせて,デジカメのシャッターを切る.
"おッ…! 格好良く撮れたぞ…!"
私は嬉しくなる.私の持っているデジカメは,まあ廉価版.でも,出始めの頃のデジカメのように,シャッターボタンを押してから実際にシャッターが降りるまで一呼吸あったような碌でなしではない.幾ら廉価版のデジカメでも,シャッターボタンを押した直後にシャッターが降りるので大助かりである.
<ばく進する篠ノ井線の特急電車>
■善光寺下井堀周辺案内板
13時31分,篠ノ井線第4西街道踏切を渡る.
踏切の近くに古びた案内板が立っている.「善光寺(下井堀周辺)」という案内板である.
そこには,「この先国道に合流,左側に旧道が三箇所残っている.また史跡や案内板が左側に点在する.一列歩行にて車に注意」と書いてある.
この案内板には,さらに,この辺りの地図が書いてある.風化していて少々読みにくいが,なかなか親切な案内板である.私は,自分の手許の地図と案内板の地図をザッと照合してみる.どうやら,この案内板に書いてある旧道もチャンと拾って地図に書き込んであるようだ.これで一安心.
余談だが…
この案内板の記事で,403号線が国道だということを初めて確認することができた.これまで,正直なところ,国道か県道か分からないままだった,
<善光寺街道の案内板>
■意味が良く分からない木杭跡
13時37分道標跡という木杭を見付ける.木杭には「右ハさくば道 左ハ…」と,私にはちょっと意味不明なことが書かれている.
例によって,
”まあ…,いいか…”
で通過する.
暫くの間,歩道のない国道403号線の左側を歩き続ける.交通量はそれほど多くはないが,それでも,ときどき通過する自動車が鬱陶しい.
<耳不明な木杭> <国道403号線に沿って>
■点在する石塔群
13時36分,路傍に石塔群があるのを見付ける.馬頭観音だろうか.それとも道祖神かな.
最初に4基の石塔が並んでいるところを通過する.そして,すぐ先に2基の石塔が寄り添うように立っている.
ここはさすがに歴史のある街道である.至る所に馬頭観音や道祖神が祀られているようである.
<4基の石塔群> <2基の石塔>
<旧道と嫁泣き石>
■旧道に入る
13時45分,国道403号線から左へ曲がって,旧道に入る.ほんの100メートル余りしかない短い間だが,沿道に立派な建物が建ち並ぶ.
わずかな間だが,喧噪の国道から離れて歩くので,ホッとした気分になる.
<短い間だが旧道を歩く>
■二十三夜塔
13時46分,バス停下井堀に到着する.ここで,手持ちの地図を見ながら,自分の位置を確認する.
13時47分,大きな石塔に到着する.二十三夜塔である.その後ろに「嫁の泣き石」という書いた石柱が立っている.
<バス停下井堀> <二十三夜塔>
■嫁の泣き石
二十三夜塔の隣に嫁の泣き石がある.
資料1によると,「嫁入りを嫌がる娘が,この石にしがみつき息絶えた」という.また地元の観光資料によると,最近まで嫁入りのときには,この石を避けて通るとのこと.
<嫁の泣き石>
■成田山
13時49分,成田山という刻字のある石塔の前で休憩を取る.
石塔の脇には,下井堀から姥捨山冠着遙拝所までの案内図が掲示されている(冒頭の地図).
日は大分傾いてきたが,まだ蒸し暑い.
<成田山>
■高札場跡・郷蔵跡・天王社
旧道は滝沢氏宅前で再び国道403号線に合流する.
13時59分,高札場跡と郷蔵跡を通過する.どちらも,杭が1本立っているだけで,往時を偲ぶものはなにもない.
14時02分,天王社の前に到着する.赤鳥居の後ろに対のキツネが鎮座している(冒頭の写真).
<高札場跡> <郷蔵跡>
<一口坂に到着>
■一口坂分岐
14時03分,一口坂という刻字のある石碑に到着する.ここで,国道403号線から左に分岐する草道に入る.
<一口坂の碑> <ここから草道に入る>
■一口坂の由来
坂の入口に一口坂の由来を説明した看板が立っている.
この案内板の記事によると,「麻績合戦に向かう木曾義仲の軍馬がこの坂を登り,笹を一口食べて元気を取り戻したので,ここを一口坂というようになった」と書いてある.
麻績合戦とはどのような合戦だったかは,私には良く分からないが,この看板の記事でおぼろげながら義仲がこの辺りで平氏と戦ったことが分かる.
<一口坂の説明板>
[参考資料]
資料1;完全踏査海道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
(つづく)
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(編集中)
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「善光寺西街道」の索引
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