<乱橋間ノ宿にて>
善光寺西街道;第2回;第1日目(5);乱橋間ノ宿へ下る
(五十三次洛遊会)
2015年5月29日(金)~31日(日)
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第1日目;2015年5月29日(金) (つづき) 晴
<ルート地図>
■乱橋間ノ宿
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■乱橋間ノ宿イラストマップ(喫茶店で撮影)
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※「里カフェちいさなくに」の資料を撮影
<立峠を下る>
■古道分岐
立峠で休憩を取った後,14時25分頃,立峠から山麓の乱橋間ノ宿を目指して下山開始.地図で予習した範囲では,距離は2キロメートル程度と短いものの標高差は約300メートルなので,平素山歩きをしていない人にとっては,決して楽なコースではないと思っている.それにどのような状態の道かも分からないので,慎重に下るしかないなと予想している.
実際に坂道を下り始めると,心配していたほどの悪路ではない.草道ながら,道幅も広く,和田千紗へ残っている.坂道ながら4輪駆動の車なら容易に動ける程度の道である.正直なところ,私は心底からホツとする.
下りだして間もなく,古道と書いてある小さな案内板を見付ける.案内板の近くに踏み跡道がうっすらと山頂に向かって延びている.
“こんな道があったのか…ここを通れば良かったナ”
と思うが後の祭りである.
「石車に乗って転倒しないように,注意していきましょう…」
と同行の皆さんに注意する.勿論,自分への注意も含めてである.
<古道分岐> <地蔵原の案内標識>
■地蔵原
古道から少し下って,14時29分,地蔵原という所に到着する.白い杭と風化した石地蔵が1基安置されている.辺りは素晴らしい雑木林に覆われている.
ときどきウグイスの啼き声が聞こえてくるだけで,物音一つしない静かな道である.
<地蔵原の地蔵> <石畳道が始まる>
■立峠石畳
地蔵原からさらに少し下ると,草道が石畳道に変わる(14時32分).私達は左右に曲がりくねる石畳道をユックリと下り続ける.
14時40分,立峠石畳道の案内標識と立峠の道標が立っている場所に到着する.
案内杭の傍らに立っている案内板の記事によると,「将軍の代替わりの度に巡検使がやっているが,その応対が大変であった.天明8年の記録(乱橋村吉重の控)に次のようなことが書かれている.『会田御止宿,桑原御宿までの内,坂北組十二が村名主会田御宿まで罷り出候う事,坂北組十二が村名主組頭百姓代など立峠まで未明より出張道橋普請の儀は会所西条弥四郎方に相立ち,麻績,坂北組和談の上乱橋村より立峠峯まで,乱橋,西条,東条,大沢新田四か村にて作り申し候』.このように,本城村全部で立峠の普請をしなければならなかったわけで石畳にしたらどうかという意見が出るのも無理はなかった.」
<石畳道の案内杭> <石畳道を下る>
■芭蕉の小径
大きく左右に蛇行する石畳道を下る.
14時48分,「善光寺街道(芭蕉の小径)」という案内板が立っているところに到着する.
この地図を眺めながら,これまで下ってきた道が左右に随分と蛇行しているんだなと改めて分かる.
木立の間を透かしてみると,進行方向右手は深い谷になっている.つまり私達は谷の左岸沿いを高巻きして歩いていることになる.やがて,右下前方に砂防ダムのようなものが見え始める.
なぜ,ここを芭蕉の小径というのかの説明は全くない.不思議である.
なお,私達は,この地図中の青色の道に沿って歩いてきたことが分かる.
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■乱橋間ノ宿が見え始める
14時50分,舗装道路を横断して,再び草道に入る.進行方向右手の土手の上に案内標識が立っている.
さらになだらかな下り坂を歩いて,14時55分,前方に乱橋間ノ宿の集落が見え始める.私は内心で.
“良かった…! 予定より大分早く終点に到着するな…”
と胸をなで下ろす.
14時52分,再び舗装道路を横断する.この舗装道路は,先ほど横断した舗装道路と同じ道である.
<立峠4kmの標識> <乱橋間ノ宿が見え始める>
<乱橋間ノ宿>
■双体道祖神
14時58分,左手に双体道祖神が祀られている.双体道祖神の右側に石塔が立っているが,馬頭観音だろうか.良く分からない.
14時59分,案内標識の前を通過する.この案内杭には「立峠1.3km 四賀支所4.8km 聖湖18.5km」と書いてある.
<双体道祖神> <案内標識>
■上町公民館;ノ宿に入る
双体道祖神を通過する頃から,道路の両側に民家が建ち並び始める.いよいよ乱橋間ノ宿内に入ったようである.気分的にも随分と余裕が出てくる.
15時04分,上町公民館に到着する.公民館と聞いて,私は本日の終点はここかと勘違いする.タクシーの手配を担当していただいているABさんが,今日の終点の公民館は,もう少し先にある別の公民館だと教えてくれる.
<乱橋間ノ宿に入る> <上町公民館>
■十王堂跡と薬師堂
上町公民館はそのまま素通りするが,公民館前の路地の突き当たりに少々気になるものがある.私はせめて写真だけでも撮っておこうと思う.一行には先に歩いていただきながら,私1人路地の突き当たりまで行ってみる.
そこには,十王堂跡と薬師堂を示す案内杭が立っている.杭の向こうには風化していて何が画いてあるか良く分からない石塔2基と坊主墓らしい石塔1基が並んでいる.
石塔群の向こうには雄大は風景が広がっている.この風景を見たのは同行者の中で私1人だけ.何だか得をしたような気分になる.
<十王堂跡と薬師堂>
■バス停乱橋
15時11分,バス停乱橋に到着する.バス停近くの乱橋間ノ宿の案内標識が立っている.
ジャンボタクシーの与薬時間は,乱橋本町に16時30分である.まだ十分に時間がある.取りあえずは,この辺りで休憩を取りながら,「どうしようか?」ということになる.
<バス停乱橋><乱橋間ノ宿の案内標識>
<「里カフェちいさなくに」でお茶>
■おや…!こんなところに喫茶店
こう言うのを「天の恵み」というのだろうか.バス停近くのブロック塀に「里カフェ ちいさなくに」という看板を見付ける.
「おや,こんなところに喫茶店らしい店があるぞ…開いているか確かめましょう」
と腰の軽いABさんが早速調べに行く.
どうやら開店中のようである.ちょうど熱いコーヒーでも飲みながら一休みしたいところである.ラッキー!!!
一見したところ仕舞た屋風の建物である.
「ではここで一休みしましょう…」
元気が良い女性群が先に店内に入る.ところが,玄関で靴を脱がなければならない.私は靴を脱ぐのが面倒なので,外にいようかとも思ったが,ついに釣られて,面倒な靴を脱ぎ捨てて中に入る.
<喫茶店の看板> <では喫茶店に入ろう>
■和風の喫茶店
中は一般の和風民家と全く同じである.玄関から中に入ると6畳ほどの和室がある,その先にダイニングキッチンを思わせる6畳ほどの広さの洋室がある.
女性群は和室の方に座り込む.か弱い男性群4名は奥の洋室のテーブルに座る.
店主は壮年の垢抜けた男性.話を伺うと最近まで神奈川のどこかでお住まいだったようである.
私は端からホットコーヒーを所望する.アイスコーヒーは全部で4人分しかないと店主が言う.それもテスト段階とのこと.まあいろいろ制約があるが,とにかくユックリとコーヒーブレークである.
余談だが…
ホットコーヒーのお値段はウン百円.大船ならば2杯飲めるお値段で都会並みである.もちろんここのコーヒーも美味.
店主とあれこれ雑談.その中で,乱橋の語源も伺ったが,メモをしなかったので,伺った話の内容はすっかり忘れてしまった.
<仕舞た屋風の客室> <ホットコーヒー>
■「里カフェちいさなくに」のメニュー
ついでながら,ここのメニューは下の写真の通りである.
メニューを眺めながら,ユックリとコーヒーを賞味する.コーヒーの香りで,高ぶっていた心身が落ち着いてくる.
”これで,一番心配だった立峠越えが無事終えた…気苦労が多かったけど,良かった! 良かった!”
私は心底から安堵する.
”もう後は,ABさんにお任せして,今日の宿泊ホテル「とくら」まで移動するだけだ”
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[参考資料]
資料1;完全踏査海道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
(つづく)
続きの記事
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「善光寺西街道」の目次
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「善光寺西街道」の索引
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