<正徳寺永嶋家墓所から東京湾を見下ろす>
『鎌倉学』事始め(第2回);フィールドワーク(2)(長島家の墓)
2015年5月25日(月) 曇 (つづき)
第2回前半の記事
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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9047abc370116bd9874f6f45430cd0c5
<ルート地図>
■浦賀地区
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■県立大学駅に掲示されている案内図
<永嶋家の赤門>
■県立大学駅から歩き出す
浦賀,鴨居地区の見学を終えた私達は,浦賀13時58分発の電車に乗車する.電車は空いている.京急電車の走る音はガーガーゴーゴーと実にうるさいが,走行速度が速く感じるので結構面白い.
14時10分,県立大学駅に到着する.こぢんまりとした駅である.改札口を出てすぐの十字路を左折する。両側にはびっしりと仕舞た屋が立ち並ぶ。私たちは道幅いっぱいに広がって歩く.正直なところ,私がいつもお付き合いしている山旅スクールや五十三次洛遊会の皆さんより少々お行儀が悪い.まあ,これも致し方ないことだろう.
とある民家で真っ赤なブーゲンビリアの花に目が惹き付けられる.ちょうど居合わせたこの家の奥さんにお願いして花之写真を撮らせて貰う.
14時17分,ガードを潜って,さらに先へ進む.
<民家のブーゲンビリア> <ガードを潜る>
■永嶋家長屋門
14時18分,ガード先の四つ角を左折して,鬱蒼とした木立の中野永嶋家長屋門に到着する.門の傍らには大きな石柱が立っている.やや風化していて,刻字されている文字はほとんど読めなくなっているが,道筋を示す案内柱のようである.
傍らに立っている案内板には,永嶋家が三浦氏の子孫であることや,戦国時代,小田原北条氏に支配下にあって,浜代官を務めていたこと,さらには江戸時代になると三浦郡の総名主を務めていたことなどが紹介されている.
<永嶋家長屋門> <石造りの道標>
■赤門
長屋門の門扉は朱塗りである.案内板の記事によると,この門が朱塗りであったことから「赤門」と呼ばれている.案内板には,「武家屋敷などでは主家を防衛するために,屋敷の外郭に家来のための長屋を建てて,その一部を門とした.門の屋根と家屋の屋根を一連にした建造物を長屋門と呼び,この赤門のその一つである」という説明が記されている.
<赤門>
■島崎藤村の『夜明け前』
永嶋家は鎌倉幕府縁の三浦大介義明の末裔,また島崎藤村も三浦大介の末裔である.この講座『鎌倉学』の第1回の講義で.『夜明け前』の中で,永嶋家と島崎家がともに三浦の末裔であることを知った経緯から,島崎藤村の先代が永嶋家を訪れる様子が克明に記述されていること学んだ.
島崎家の当主も,今私達が立っている場所から,目の前に広がる山に登っていっただろうと想像する.
21世紀の私達は,山道ではなく,無機質な感じのするコンクリートのガードを2回潜って,島崎家の当主が登ったと思われる山へ登る.
<最初のガード> <鋭角に右折して2番目のガードを潜る>
<聖徳寺と永嶋家>
■聖徳寺に到着
ガードを潜ってから,右手下に並行に走っている自動車道路を見下ろしながら,やや急な坂道を登る.
14時24分,聖徳寺に到着する.ここは浄土宗の寺で,鎌倉光明寺の末寺である.ここで永嶋家当主の奥さんに永嶋家の墓所を案内して頂けるとのことである.
<聖徳寺本堂>
■石造宝篋印塔陽刻板碑
永嶋家の墓所は,前方の小高い山の山頂近くにある.そこまで辿り着くにはやや長い石段を登ることになる.
私は,石段を登る前に,右手に見馴れない板碑が立っているのに気がつく.一行より少し遅れてしまうが,私はこの板碑に立ち寄る.板碑には宝篋印塔が彫られてる.この方面には浅学だが,私はこれまで宝篋印塔が刻まれた板碑はあまり見たことがない.
傍らに立っている案内板の記事によると,この板碑は慶長15年(1610年)も法蓮錠誉上人供養のために建立されたものだという,しかし,この板碑は鎌倉時代末期から南北時代の様式だという.その理由は,この板碑は長谷寺板碑を模して作られたからのようである.従って.旧相模国には,この形式の板碑は長谷寺と,ここ聖徳寺の2箇所にしか存在しない.さらには,関東形式特有の露盤がないことも両者に共通しているようである.
私は,この寺が鎌倉の長谷寺と関連があることを知って,大変嬉しく感じる.
板碑をもう少しユックリ見たいが,一行に遅れてしまうのもまずいので,取りあえず板碑と案内板の写真を撮っただけで,一行の後を追う.
なお,この板碑が建立された慶長15年に,鎌倉では何があったんだろう.手許の資料では翌慶長16年に植木の貞宗尼の屋敷跡に貞宗寺が建てられた.また,その4年前の慶長11年には,日詔上人が常栄寺(ぼたもち寺)を建立している.
<宝篋印塔> <墓地の階段>
■永嶋家の墓所
階段を最後まで上り詰めた付近に永嶋家の墓が並んでいる.
永嶋家の当主夫人と正徳寺の住職のお二人から,貴重なお話しを伺いながら,墓所を見学する.
墓所前で集合写真を撮影するが,まだこのブログで披露することについて,参加者の了承を得ていない.残念だが非公開.
永嶋家の墓所から,東京湾を見下ろすことができる.なかなかの景勝の地である(冒頭の写真).眼下に景品九個の線路が見えている.その先に東京湾が広がっている.ときどきゴーゴーという音を響かせながら京浜急行の電車が走っていく.
島崎藤村の父親は,多分,永嶋家の当主の案内で,この丘に登って,今私達が眺めているのと同じ風景を眺めていたかもしれない.多分共通の先祖である三浦大介義明のことを思い浮かべていただろう.そんなことを連想すると,この寺と鎌倉の距離がますます短くなるような気がする.
<永嶋家の墓所>
■突如地震
永嶋家墓所を見学している最中,突如,参加者が持っている携帯器機から一斉に警戒音が鳴り響く.ステレオの音楽を聴いているような奇妙な感じである.警戒音が鳴り出した直後は,警戒音とは気がつかず,"何だろう…”と思っている間もなく,突然,台地が激しく揺れ出す.
"地震だ…!"
かなり大きな揺れが数秒続く.
携帯電話の表示では,14時28分,埼玉県が震源地の地震があったようである.
<緊急速報の画面>
<金沢八景でお茶>
■県立大学駅で解散
15時17分,聖徳寺の見学を終える.住職および永嶋家当主夫人にお礼の挨拶をしてから,往路を戻る.
15時25分,再び県立大学駅に戻る.
講師のUM先生の挨拶の後,駅前で解散する.
解散後,大半の方々は,県立大学15時38分発上り電車に乗車する.
<県立大学駅> <京急の電車>
■金沢八景でお茶
私は鎌倉の自宅までどの経路を通って帰ろうかと迷うが,結局,金沢八景で下車して,逗子経由で帰宅することにする.
15時45分,金沢八景駅に到着.乗換のために下車.
丁度そのとき,
「…金沢八景で途中下車してお茶していきましょう…」
と誘われる.
私としても,特段急ぐわけでもないし,新しく顔見知りになった方々と雑談をしてみたかったので快諾.金沢八景駅で途中下車する.
参加者は講師の先生を含めて5名.地元の方と思われる女性の案内で,駅前のAOKIというパン屋さんの2階にある喫茶室に入る.
私以外の3人の方は,前回の『鎌倉学』公開講座の受講者で既知の方々,私だけが新人である.そのため少々勝手が違って戸惑う.
私はジンジャエール(辛口)を注文する.そして,小一時間雑談.
雑談中に,ここの『鎌倉学』は,主として近世のことだけを取り上げるらしいと分かる.私としては少々当てが外れた感もある.とはいえ,今回のフィールドワークも実に楽しかった.
<AOKI> <ジンジャエール>
■新逗子経由で帰宅
15時49分,懇親会がオサラバになる.
私は,大船までバスで帰ろうか,それとも鎌倉までバスか,少々迷う.バス停まで行ってみるが,バス待ちの時間が長そうである,
ということで,結局は京浜急行の電車で新逗子まで行き,横須賀線で逗子から鎌倉駅まで乗車,鎌倉市役所前から路線バスに乗って帰ることにする.
17時55分,帰宅.
今日一日も,こうして終わった.
<ラップタイム>
12:00 浦賀駅集合
12:00 浦賀駅発(京急バス)
12:11 バス停観音崎
12:17 腰越会津藩士墓所(12:40まで)
12:47 高橋邸(12:50まで)
12:54 バス停腰越通過
13:00 八幡宮
13:05 聖徳寺
13:11 会津藩士墓所(13:19まで)
13:25 能満寺前を通過
13:40 バス停鴨居(13:45路線バス)
13:52 浦賀駅(京浜急行13:59発)
14:10 県立大学駅
14:18 永嶋邸(赤門)(14:21まで)
14:24 聖徳寺(永嶋家墓所)
14:28 <<地震>>
15:17 聖徳寺発
15:25 県立大学駅(解散)
[散策記録]
■水平歩行距離 計測不能(約2km程度か;歩数から逆算)
■累積登攀高度 計測不能(100m以下)
■累積下降高度 計測不能(100m以下)
■所要時間(休憩時間・観察時間など込み)
観音崎歩き出し 12:11
バス停鴨居着 13:40
(小計) 1時間29分(1.48h) (ア)
県立大学歩き出し 14:10
〃 着 15:25
(小計) 1時間15分(1.25h) (イ)
(所要時間)(ア)+(イ) 2時間44分(2.73h)
水平歩行速度(計測不能) 2km/2.75h=0.73km/h(参考値)
(第2回おわり)
第3回講義の記事
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(なし)
「閑話休題;日々雑感」の前回の記事
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『鎌倉学』事始め(第2回);フィールドワーク(2)(長島家の墓)
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