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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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陽春の鎌倉;天神山・龍宝寺・岡本神社・谷戸池を一回り

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                              <龍宝寺の花壇>

  陽春の鎌倉;天神山・龍宝寺・岡本神社・谷戸池を一回り
     <<塔ノ岳観音茶屋シミュレーション>>
           (単独散策)
       2015年5月22日(金) 晴・爽やか

<ルート地図>


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<鎌倉中央公園から山崎へ>

■富士塚口を出発
 今日も五月晴れ.ウキウキするような素晴らしい天気だ.
 こんな日には,日当たりの良い廊下に座って,猫の相手でもしながら,足の爪を切っているるのが一番良い.
 “おっと,わが家には日当たりの良い廊下などなかったな…じゃあ~,お日様に誘われてお散歩にでも出掛けるか…”
 昼食後,私は鎌倉中央公園のベンチで昼寝でもしようかという軽い気持ちで,12時55分,雑記帳と小銭だけを持って出掛ける.
 上の池の畔から,亀が何匹も水面から顔を出してプカプカ浮いているのを,暫くの間,ボンヤリと眺めている.
 ”あいつ等,膝を痛めたらどうするんだろうか…”
と私はまたもや碌でもない連想をする.一体全体,亀の足に膝があるんだろうか.そりゃ,あるに決まっているけど,では亀の足の踵は何処? 亀が足底板を付けたら泳げるんだろうか?
 ”くだらんこと考えるのは好い加減にせい!”
 私は私の心の奥底に住んでいるもう一人の私に無言のまま“こっぴどく”叱られる.
 もっとも,私自身,突拍子もないことを連想しがちな癖があることは重々自覚している.
 上の池から下の池に向かう.木道からハンゲショウの群生地が見下ろせる.ここ1~2週の間に見違えるようにハンゲショウが目立つようになった,これを見ても,もう夏が近いなと実感する.広場も大分草ぼうぼうに鳴り始めている.今日は天気が良いのに広場には殆ど人が居ない.
 
<ハンゲショウ群生地>                          <人影が少ない広場>

■山崎;江の島道標と宝積寺跡
 13時07分,山崎口から公園の外に出る.
 丁度そのとき,
 “今日は治療中の右膝の具合をチェックしてみたいな…天神山に登って見よう”
と突然思い立つ.
 なぜ,天神山かって…?
 理由は簡単である.長くてけっこう急な階段が山頂付近まで続いているからである.天神山を登り下りすれば,丁度良い丹沢塔ノ岳大倉観音茶屋往復の格好なシミュレーションになるからである.
 鎌倉中央公園から山崎の宝積寺(ほうしゃくじ)跡方面へ向かう.
 13時15分,江の島道標の換えを通過する.『かまくら子ども風土記』(p.252)によれば,「宝積寺は夢窓疎石が,京都山科にある宝積寺に似せて作った寺」という説があるという.また,宝積寺は,これから訪れる天神山山頂に位置する北野神社とも深い関係があるようである.
 同資料によれば,宝積寺は愛甲氏の墓所でもあったが,戦国時代に津久井郡の串川光明寺に移され廃寺になった.
 余談だが…
 そういえば,小田急線に愛甲石田という駅がある.いつか機会があったら愛甲石田で下車して鎌倉との関連を調べてみたいなと思っている.
 …まあ,それはともかく,13時19分,バス停山崎のある交差点を横断して,天神山の山裾を廻る道を北に向けて歩く.そして,13時22分,北野神社参道に到着する.ここは天神山登山口でもある.
 参道の奥には巨木の緑が覆い被さる石段が見えている.
 
<江の島道標>                              <北野神社参道入口>

<天神山登山>

■長い階段
 参道入口から天神山に向けて,長い石段に取り付く.
 私は治療中の右膝の様子を絶えず気遣いながら,極々ユックリペースで,一段一段丁寧に階段を登り続ける.
 目分量だが,この階段は,見晴階段と丁度同じぐらいの落差があるなと思っている.私は頭の中で,もし目の前の階段を何の問題もなく登れたら,大倉尾根の一本松辺りまで登っても大丈夫だなと期待している.
 
<長い石段>                                <北野神社>

■北野神社
 長い階段を登り切って,13時27分,天神山山頂直下にある北野神社に到着する.
 前掲書(pp.252-253)によれば,北野神社は「室町時代,夢窓疎石が円覚寺の南西に当たるこの天神山に京都の北野天満宮を移して祀ったと言われている」.また,この北野神社は宝積寺と一緒に建立されたとのこと.しかし,「円覚寺の紅梅院が神社を再建した後,だんだんと衰えた」という.
 「宝積寺の本尊であった十一面観音像が北野神社に祀られていたが神仏分離により,石段脇に移されたが,現在は昌清院に祀られている」という.
 天神山山頂付近を歩き回る.木の間から植木方面の街並みや東海道本線が見下ろせる.絶えず街の騒音が湧き上がるように聞こえている.
 本殿に向かって左側に,市指定文化財の宝篋印塔が完全な形で残っている.前掲書(p.253)によると,この宝篋印塔の傘部の穴に貯まった雨水を目に付けると眼病が治るという言い伝えがあるようだ.
 宝篋印塔から少しは馴れたところに小さな祠が2基並んでいる.同上書によれば,かつて「もろん台にあった神明宮から移転」したものだという.
 この辺りは古くは山城であり,また,州崎古戦場の一角でもある.山頂付近から南へ向けて,明治時代に作られた四国八十八箇所巡りの石塔が散乱している.この辺りは夏になると藪草で覆われてしまい入れなくなるので,今のうちに一寸だけ覗きたいなとも思うが…まあ,今日の所は止めておこう.
 
<宝篋印塔>                                <祠2基>

<山崎跨線橋からフラワーセンター大船へ>

■山道を下って妙法寺へ
 13時30分,北野神社を出発する.
 階段の途中から山道に入る.ちょっと急な山道を下る.この道を通る人が少ないためか,厚く積もった落ち葉がフカフカしていて,故障中の右膝にも心地よい.
 下るにつれて山道が不明瞭になる.そこで稜線沿いに雑草を踏み越えながら,13時35分,飛び出るようにして舗装道路に降りる.
 飛び出た舗装道路を左折する.そして,13時39分,妙法寺に到着する.
 妙法寺の境内にある日蓮上人像と鬼子母神像ぐらいは見たかったが,入口の扉が閉まっていて,自家用車がデンと駐車している.これを見た途端,私は妙法寺は惜しげもなくパスする.
 
<山道を妙法寺方面に下山する>                   <妙法寺>

■山崎跨線橋を越えてフラワーセンターへ
 13時43分,県道に突き当たる.そこを右折して,大船駅方面に100メートルほど歩いて,山崎跨線橋方面に向かう道との三叉路に到着する.この三叉路を左折して,13時44分,山崎跨線橋に到着する.
 東海道本線の線路と柏尾川を跨線橋で渡って,13時53分,県立フラワーセンター大船に到着する.
 季節柄かもしれないが,平日にもかかわらず,フラワーセンターには沢山の人が訪れている.今日はお年寄り向けの何かがあるのか,付き添いの人と一緒に来ているご老人が実に多い.
 私はフラワーセンターに入ろうかと迷ったが,余りの混雑に圧倒され,フラワーセンターはパスすることにする.
 フラワーセンターに入らないとなると,
 “さて,どうしよう…”
で困惑する.圓光寺,二伝寺辺りを一回りしてから玉縄城趾方面を一回りしようか,それとも,真っ直ぐ,大船駅へ向かおうかな…
 
<山崎跨線橋>                               <フラワーセンター大船>

<龍宝寺>

■トンネルを潜って龍宝寺へ
 私は迷って揚げ句,取りあえず目の前のトンネルを潜ろう…そこから先はトンネルを潜ってから考えようと決める
 13時59分,トンネルを潜る.そして,14時01分,龍宝寺に到着する.
 境内にある幼稚園の下校時間らしく,山門付近は幼児を出迎える母親達で大賑わいである.幼稚園からは可愛い幼児達の声が聞こえてくる.思わず立ち止まって,幼児達の可愛い仕草に見とれる.男性の私でもオッパイが出そうになるほど幼児は可愛いなと思う.
 ”オレも早く曾孫が欲しいな…でも当分は無理だな…” 
<関谷のトンネルを潜る>                          <龍宝寺に到着>

■龍宝寺本堂
 龍宝寺には子育地蔵,旧石井家住宅,玉縄民俗資料館など見学したいところも多いが取りあえずパス.石畳の立派な参道の突き当たりにある龍宝寺本堂を詣でる.
 前掲書(pp.236-237)によれば,「玉縄3代城主北条氏成が天文年間(1532~1554年)に,現在の栄光学園のある場所に瑞光院(あるいは香華院)を建立したが,天正3年(1575年),玉縄6代城主北条氏勝が,4代城主氏繁を弔うためにこの場所に移した」という.

<龍宝寺本堂>

■玉縄北条供養塔と新井白石碑
 14時05分,本堂脇の玉縄北条供養塔を詣でる.
 以前,裏山の高い所にあったものを,数年前にここへ移転したものである.
 “これから100年ぐらい経ったら,生まれ変わった私が,古文書を片手に,この辺りを彷徨きながら,「はは~ん,これが100年ぐらい前にここに移転したと伝えられる石塔か,随分風化しているな…」なんて言いながらみているかもしれないな…”
と,またもや空想の世界に入る.
 ”おまえ,空想に耽るのも好い加減にせい…!”
ともう一人の私が,私を諭す.
 ”ご尤も…”!
 私は往路を引き返す.
 まだ幼稚園の辺りは賑やかだ.
 14時11分,幼稚園と道を挟んだ角に新井白石碑が立っているのを見付ける.ついこの間までは.少し奥に入ったところにあるヤグラの中にあった石碑である.ビックリ! 何時移動したんだろう.
 前掲書(p.237)によると,「新井白石は天領の植木から200石の家禄を受けて城廻辺りを支配していた」という.
 


<龍宝寺裏山縦走>

■何だか火が付いちゃった!
 私は龍宝寺から素直に大船駅へ戻ろうと思っていたが,思わぬ場所で新井白石の碑を見た途端に,この碑があった元の場所がどうなっているか気になり始める.
 そう言えば,この辺り以前と違って何となく広くなって整備されている.ちょっと勝手が違うなと思いながら,この碑が立っていたヤグラを覗いてみる.ヤグラの中が崩落したのか分からないがヤグラの中には土嚢が積み重ねられている.ちょっと無惨,残念だなと率直に思う.
 このヤグラを見た途端に,さきほどの玉縄北条供養塔が元あった山の上にも無性に行きたくなる.これから,裏山に登るには少々時間が遅い感じもするが,
 ”まあ,イイカ…”
で墓地の縁にある階段を登り始める.
 当初は,右膝のこともあるので,山の上までは止めておこう…せいぜい墓地の縁まで登ったら引き返そうと思っていたが,いざ登り始めると,山登りの火が付いてしまう.
 ”もうやぶれかぶれだ…さんちょうまでのぼってしまおう…”
 ついに私の山登り魂に火を付けてしまった! これはますいな!
 
<新井白石の碑があったヤグラ>                     <墓地の一番高いところから龍宝寺を見下ろす>

■急坂の龍宝寺裏山
 ふと足許を見ると,踏み跡がある.
 ”よお~しっ…と! こいつ登っちゃおう…”
 踏み跡のような坂道を少し登ると,階段道になる.
 “しめたぁ~っ…!”
 坂道を登り始める.それほど長い坂道ではないが,結構な急坂である.私は右膝の様子を注意深くチェックしながら,山岳ガイドに教わったことを忠実に守りながら登り続ける.
 14時20分,龍宝寺裏山の稜線に出る.緑陰の静かな山である.下草にも手が入っていて,実に心地よい尾根である.ここから,尾根に沿って北東の方向に急坂を登る.結構な坂道である.
 
<簡素な階段を登る>                             <急坂を登って尾根に到着>

■玉縄北条供養塔跡
 14時25分,玉縄北条供養塔跡に到着する.ここで合掌.
 1~2分,立ち休憩をとってから,再び尾根を歩き出す.この辺りから先は踏み跡も定かでない.
 
<玉縄北条供養塔跡>                            <稜線を行く>

<岡本神社>

■切通を経て伏見稲荷へ
 供養塔跡から先も,結構な山道が続く.尾根が終わると,短いけど急な下り坂になる.勿論,道などない.足許を選びながら右膝に負担がなるべく少なくなるように慎重に下る.
 14時31分,谷筋に到着する.ここで谷を右に向けて下り続ける.すぐに見事な切通に入る.ここは岡本神社(別名お伊勢山神明社)の古い参道でもある.
 足許には落ち葉が厚く深々と降り積もっている.歩いていても足の裏が実に心地よい.
 14時40分,進行方向右手にある伏見稲荷に到着する.赤い鳥居が印象的である.
 
<切通>                                     <伏見稲荷>

■岡本神社
 伏見稲荷からほんの少し進むと,整備された階段道に繋がる.この階段道を一旦下って,左側の階段を登る.階段を登り切って,14時42分,岡本神社に到着する.
 本殿は小振りながら立派な建物である.
 私の手許には岡本神社の資料や文献はないが,境内に掲示されている縁起によれば,「平良文の一門である角田家が所領を提供して建立.この地に侵攻した玉縄城主らによって,永正9年(1512年)に解体された.その後,平成10年(1998年)に復元した」とのこと.
 
<コンクリートの階段を下って登る>                     <岡本神社>

■大船観音が見える
 境内で一休みする.
 なかなか良い眺めである.手前の山裾の向こうに,唐突な感じで,大船観音の頭だけが見えている.
 ”大船観音の横顔が見える所なんて,そうはないな…”
と思いながら,数枚の写真を撮る.

<大船観音が見える>

<谷戸池から大船駅へ>

■谷戸池
 14時44分,岡本神社を出発する.先ほどの階段を下って,玉縄3丁目付近のバス道に突き当たる.この三叉路を左折して,すぐに鎌倉青少年会館付近でバス通りを横断する.
 14時53分,谷戸池に到着する.
 ここは,鎌倉でも代表的なサクラの名所である.ただ池の周囲を高い金網が張り巡らされていて,如何にも景観が損なわれて残念だが,安全確保のためやむを得ない.
 池の畔から金網の間にカメラのレンズを入れて,谷戸池の写真を撮る.
 
<谷戸池の休憩所>                            <谷戸池>

■子育地蔵
 谷戸池で一休みした後,14時57分に,池の近くにある子育地蔵を詣でる.子育地蔵前で,小学校帰りの学童と次々にすれ違う.平和で気分の良い雰囲気である.
 子育地蔵からできるだけ長く裏道を通って,バス停広場の手前でバス通りに合流する.栄光学園の生徒と思われる男子が三々五々歩いている.
 15時11分,柏尾川を渡る.橋の上から丑堰跡らしい場所も見えている筈である.
 
<子育地蔵>                                 <柏尾川を渡る>

■大船駅
 15時14分,大船駅に到着する.ここで,今日のお散歩は終わりである.水平歩行距離5.0キロメートルのお散歩は,ひとまずこれで終わりである.
 大船駅構内は,相変わらず沢山の客で混雑している.
 ここから先は余録である.
 私は同居人の依頼をこなすために,西友に向かう.

<大船駅到着>

■思わぬ人とバッタリ
 西友の某店で,用事を済ませる.ついでに本屋などを一回りしてから,帰途につく.
 大船駅からバスに乗ろうか,それともこれまでの乗りで歩いて帰宅しようかと思案しながら,大船駅前に到着する.
 丁度そのとき,偶然,顔見知りの若いアメリカ人男性にバッタリ.彼は末日聖徒イエスキリスト教会(いわゆるモルモン)に属するKL長老(Elder)である.彼と最初に会ったのは1週間ほど前,鎌倉中央公園である.
 私は彼ともう一人の男性を鎌倉中央公園のあちこちを歩きながら案内する.そして大いに意気投合.
 そして今日,再び彼とバッタリ.今度は別の長老と二人連れである.
 彼は鶴岡八幡宮近くの教会で布教をしている.臨済宗徒の私は今更キリスト教に宗旨替えする気はさらさらないが,たまたま私が勤務していたところがバブティスト派関連だったので,キリスト教の雰囲気には多少馴れている.
 歩道に立ったまま,30分近くも立ち話.微妙な話になると日本語と英語チャンポンである.
 「それじゃあ…英語教室の方々と一緒に鎌倉をお散歩し増しよう.私が色々なところを案内します.勿論,私の説明は日本語ですよ」
と釘を刺しながら鎌倉案内を引き受ける.まだ,ちゃんと実現するかどうかは分からないが…
 「私の知っているジイチャン,バアチャンも参加しますよ…」
と出過ぎたことを提案する.
 私の街道歩きや山の知人は,総じて年配者である.若い白人男性と御一緒するのも一興だろう.
 …ま,そんなわけで,帰宅するのはちょっと遅くなったが,今日はとても面白い一日になった.同時に,山歩きについても,かなり自信がついてきた.そういう意味で良かった! 良かった! である.

<ラップタイム>

 12:55  鎌倉中央公園清水塚口歩き出し
 13:07       〃   山崎口
 13:15  江の島道標
 13:19  バス停山崎
 13:22  北野神社参道
 13:27  北野神社(天神山山頂)(13:30まで)
 13:39  妙本寺
 13:49  山崎跨線橋
 13:53  フラワーセンター大船
 14:01  龍宝寺
 14:25  玉縄北条氏供養塔跡
 14:40  伏見稲荷
 14:42  岡本神社(14:44まで)
 14:53  谷戸池
 14:57  子育地蔵
 15:11  柏尾川を渡る 
 15:14  大船駅南口着

[お散歩記録]

■水平歩行距離            5.0km

■累積登攀高度            131m

■累積下降高度            177m

■所要時間(休憩時間込み)
 鎌倉中央公園清水塚口発     12:55
 大船駅着                                  15:14
 (所要時間)                     2時間19分(2.32h)
 歩行速度                       5.0km/2.32h=2.16km/h
                                                                          (おわり)

「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/61977e3102a363ee7e7535f32b942c3d
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
(なし)

 


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