<池の中には早春の気配が感じられる>
新春の鎌倉;鎌倉中央公園・山崎周辺を散策
(単独散策)
2015年1月3日(土) 晴
<ルート地図>
<富士山が良く見える>
■塔ノ岳初登山はお預けだ
もう正月3日目,土曜日である.
昨年は1月4日(土)に塔ノ岳初登山を行ったが,今年は今日が新年最初の土曜日にもかかわらず,塔ノ岳詣では自粛した.それというのも,まだ複数人の家族が帰宅せずに我が家に滞在中なことと,明日また訪れてくる親族の受け入れのために家の中が多忙を極めているからである.
こうして,子供達が孫を連れて,入れ代わり立ち替わり,訪れてくれるのはとても嬉しいことだし大変有り難いことだと思っているが,その反面,老夫婦二人でペンションでも経営しているのではないかと思うほど多忙である.まずはリュックを担いでの買い出し.
昨日(1月2日)も大船まで買い出しに出掛けたが,肝心の中通り商店街は7割方のお店はまだ正月休み.正月3が日はお休みの店があって当然といえば当然だが,開いているお店を探すのに少々苦労する.
■富士山が良く見える
それにしても,今日の天気は上々である.
我が家の2回から西の方向を眺めると,雪化粧をした富士山が良く見える…が,残念なことに.実に沢山の電線が富士山の前を横切っている.折角の景色も,これではどうしようもない.
"早く地中線にしてくれ~ぃ…!"
でも地中線化は無理だろうな.
<我が家の二階から富士山を眺める>
<何だかペンションでも経営している気分だ>
■オレはペンションのオヤジか!
我が家に滞在する家族が目まぐるしく入れ替わる.
長女一家が昨夜の内に帰宅した.そして,今日は午前中に長男一家がひとまず我が家から旅に出る.そして,今朝,海外に単身赴任中の長女の旦那が午前中に帰国する.明日は,長男一家が夜遅くにまた我が家に戻るようである.そして次女一家は本日夕方我が家に立ち寄るようである.
私の頭の中は,ただでさえボンヤリとしているのに,こんなに出入りが多いと,かなり混乱してしまい,一体,何時,どの程度の量の食料を調達したらいいのかも分からなくなる.それに献立.これは家内に任せっきり,その献立如何によっては,調達する食材の種類も量も変わってくる.
今日は朝から上天気.
"よぁ~しっ…今日は布団干しをしよう…"
私は13人分の寝具を午前,午後の2回に分けて,2階のベランダに運び上げたり下ろしたりを繰り返す.
さて洗濯.我が家の洗濯機も決して小さくはないが,3回洗濯機を回さないと,洗濯が終わらない.それに困ったことに物干しのスペースも道具もとても足りない.そこを工夫しながら,何回かに分けて何とか乾くように工夫しなければならない.
それと困っているのは,毎日発生する大量のゴミだ.要するにタダでさえ13/2倍のゴミが出る上に,年末年始固有の包装箱や包装紙のゴミが大量に出ることだ.資源が勿体ないと思うが,さりとて利用する術(すべ)もない.捨てるにしてもとにかく大変なガサになる.12月31日から新年1月4日までは,ゴミの回収もない.私は増え続けるゴミの量に頭を抱えている.とりあえずは大きなポリ袋に入れたゴミを庭の納屋の中に積み重ねている.
さて,家内は台所で,朝夕の献立に腐心する.孫達の好き嫌いがバラバラな上に,何を作るにしても大量である.勿論,子供達も懸命に手伝ってくれるが,どこかしっくりしなくて,結局は私達夫婦の負荷はそれほど低減されていない.
"まるでペンションを経営しているようだな…"
私は1人で苦笑する.
昼過ぎに息子一家が,相手方の家に移動する.
夕食は,久々に夫婦2人で,ひっそりと済ませる.余りに静かすぎて,木が抜けたような,寂しいような,ホッとしたような,何とも言えない妙な気分である.
■年賀状が教えてくれる私の居場所
3日になっても,五月雨のようにポツポツと年賀状が届く.当方から年賀状を出していない人からの年賀状もある.私はあわてて追加の年賀状を作って投函する.
改めて受け取った年賀状を整理してみる.年賀状の送り元の分布を見ると,ザット見たところ,
大学時代の研究者・知人 約50(%)
ゼミ生(学部・大学院) 〃10
それ以前に勤務していた会社関係の方々 〃30
その他(山の知人・街道歩き・絵画など) 〃10
という分布になっている.
”オレの生業(なりわい)は,やっぱりこんな所にあるな…”
と実感した次第である.
"遊んでばかりいないで,これまで自分が培ってきた友垣を,もっと,もっと,大切にしなさいよ…"
…と,私は自分に言い聞かせる.確かにや間にばかり登っていたら,頭が錆び付いてしまう.そんな次第で,私は自分自身を強く戒める.
<束の間の散歩>
■一寸だけの時間
我が家のベランダで一度に干せる布団は高々6枚だけ.13人分の布団を干すには,2交代制にしないわけにはいかない.
10時近く,太陽が高くなった頃を見計らって,敷き布団6枚をベランダで干す.そして,家の掃除などをしていると午前中が終わる.
昼食後,干していた布団を取り込んで,次の6枚を干す.こんなことを2~3日続けないと13人が使う布団を全部干すことができない.
昼食後,食器類の後片付けをする.勿論,全員協力で一連の作業を行う.ところが何を何処へ仕舞うのかとなると,一々,”これはあそこ,そいつはこっち…”と指示しなければならない,実に煩わしい.
後片付けは30分ほどで終了する.
”さぁ~てっ…と!”
13時頃,私は自宅近くを小一時間ほど散歩することにする.ただ,14時頃には帰宅して,ベランダに干してある布団を取り込まなければならない.余り時間がない.
■鎌倉中央公園
私は,携帯電話と小銭をポケットに入れて,とにかく家から外へ出る.
"どこへ行くって…?”
小一時間では,行き先は限定されてしまう.ま,とりあえずは近くの鎌倉中央公園だ.私は,とりあえず,鎌倉中央公園清水塚口迄行く.ここが本日の散歩に出発点である.
公園内に入る.今日はまだ松の内.大方のサラリーマン諸氏はまだ休暇中である.公園には,子どもをつれた若夫婦や,里帰りした孫を連れた老夫婦で賑わっている.じつに微笑ましい風景である.
公園内の上の池から,下の池に向かう.
年の瀬まで楽しめた紅葉も,さすがにもう散っている.二つの池の中間にある湿性花壇を覗くと,青々とした水草が見えてる.まさに早春の趣がある(冒頭の写真).
<ししいし>
■尾根道
梶原口から中央公園の外に出る.
”さて,どっちへ行こうか…”
と迷うが,足が勝手に尾根道に入り込む.鎌倉中央公園の東側の尾根道である.この尾根道を挟んで,公園と反対側に矢戸池がある.この池の周辺は鎌倉でも指折りの秘境である.そちらの方まで行ってみたくなるが,そうなると2時半に帰宅するのは困難になる.
私はやむを得ず,尾根道を北に向かう.途中,疎林の向こうに僅かばかりの畠が広がっている.相模湾に面した鎌倉の冬は内陸部に比較すると温暖である.もう冬の真っ直中だというのに辺り一面が緑である.
静かな山道を歩いていると,次第に心が和んでくる.
<尾根道を辿ると突如疎林と畠が現れる>
■六国見山遠望
尾根道を北北西に向けてノンビリと歩く.進行方向右手,枯れ枝の間から六国見山が見えている.
直ぐ近くに民家が建ち並んでいるのに,随分と山奥にいるような錯覚に陥る.
やがて,尾根道を終わりになる.
<枯れ枝の間から六国見山が見える>
■薬師堂跡と十王堂跡
山道を道なりに進むと,山崎(やまさき)の住宅地に下山する.下山して程なく薬師堂跡に突き当たる.ここは三叉路になっている.右手の道を歩くと20分ほどで大船駅に到着するが,今からでは大船まで往復する時間はない.仕方なく左折して宝積寺跡方面に向かう.
2~300メートル歩くと三叉路がある.この辺りに十王堂があったという.この十王堂には江戸時代まで地蔵が安置されていたが,現在は昌清院に移されているという(『かまくら子ども風土記』p.255).
<薬師堂跡>
■昌清院
三叉路を左折して谷戸沿いの道を登る.辺りは閑静な住宅地である.
5分ほどで昌清院に到着する.ここは臨済宗の寺.山号は山崎山(さんさきさん).この寺は拝観することができないので,山門から境内の写真を撮らせて貰うだけで退散する.
昌清院の先は袋小路になっている.突き当たり左手の階段道があるが,ここを登ると高台に出られるが,今日は温和しく往路を少し戻って,三叉路を左折する.狭い急坂が続く.
<昌清院>
■お塔様
坂道を100メートルほど登ると,次の三叉路に突き当たる.三叉路の左手から狭い階段を登ると小さなお社がある.ここがお塔様である.
お社の中には「水」の部分が欠損した小さな五輪塔が祀られている.これは江戸時代初期の領主奥平氏の娘の墓だという(前掲書,p.256).
<お塔様>
■曲がりくねった急坂を登る
お塔様前の三叉路を右手に進む.この辺りは細い道が迷路のように入り組んでいる.急坂を登る.登るにつれて再び展望が開ける.坂道の途中から大船方面の市街地が望める.
道なりに進むと再び下り坂になるが,途中から人1人やっと通れるほどの狭くて急な階段を登ると,飛び出るような感じで寺分の住宅地に到着する.
<山崎の高台から大船方面を望む>
<今日一日も慌ただしく終わった>
■早々と帰宅
予定通り散歩を終えて,14時30分頃,帰宅する.
早速,2階のベランダに干していた布団類を取り込む.布団類は結構重たいので,取り込んだり畳んだり持ち運んだりが良い運動になる.
さてそれからは,夫婦共同で,部屋の掃除である.そんなに幾部屋もあるわけではないが,取り込んだ布団を移動しながら掃除機を掛ける作業を終える.
■久々に夫婦だけの夕食
12月29日から,今日までずっと誰かが我が家に宿泊していた.その間,人数が増えたり減ったり.本音を言えば,子供達が次々に訪れてくれるのは実に嬉しいことである.病気がちの年寄りでも,痛いの痒いのが吹っ飛んでしまうほど,毎日を夢中で過ごせるのがありがたい.
でも,漸く2人だけになると,寂しくもあるが,やっと平常に戻ったかという安心感もある.
2人だけの夕食となると,ついつい手抜きになる.あり合わせのもので,
"もう,これでいいや…"
で済ませてしまう.
食後の食器洗いも,呆気ないほどすぐに終わってしまう.
■明日はまた忙しいぞ
明日,夕方には,また,親族が沢山集まる予定である.ジャカルタに単身赴任中の長女の旦那が,本日帰国した.明日は家族全員で我が家を訪れることになっている.そして,城南一家も,さらには次女一家も…
明日もてんてこ舞いだろうな.大変嬉しく有り難いことだけれども,しんどいな.でも,こんな賑わいは年に一度のこと.私も高齢である.ひょっとしたらこれが最後の賑わいかも知れない…そう思うと,一時,一時を"大切にしなければ”とつくづく思う.
(おわり)
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
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(なし)
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