<坂本八幡宮境内>
[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第3日目(2):坂本宿
(五十三次洛遊会)
2012年10月12日(金)〜14日(日)
※本稿の初出は2012年11月4日である.
初稿の誤字脱字転換ミスの修正と本文の加除修正を行った.
2012年10月14日(日) (つづき)
<横川周辺地図>
↓ 拡大図
<坂本宿に到着>
■坂本宿の概要
坂本宿は第17次の宿場である.資料3(p.107)によれば,宿内人口732人.内,男376人,女356人.宿内惣家数162軒,内,本陣2軒,脇本陣2軒,旅籠40軒.
による 坂本宿は,碓氷峠東麓に幕府による計画的宿として誕生した.直線道路と直角に,短冊型に整然と地割した上で,住民を呼び寄せた(資料1.p.42).
資料7には,「坂本宿(さかもとしゅく)は,JR信越本線横川駅から国道18号線(旧道)を軽井沢方向に2キロメートルほど行ったところにあり,その途中に碓氷峠がある.中山道有数の難所であった碓氷峠の東の入口にあたり,本陣と脇本陣合わせて4軒,旅籠は最盛期には40軒ある比較的大きな宿場であった.天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば,坂本宿の宿内家数は732軒,うち本陣2軒,脇本陣2軒,旅籠40軒で宿内人口は732人であった.」という説明がある.
<坂本宿の屋号一覧> 現地案内板より
■前方に小山が見える
平髭神社を過ぎて,やや急な坂道を登り続ける.
9時28分,進行方向右手の土手の上に「みんなのトイレ」のある場所を通過する.前方には小高い山(刎石山)と,その手前に集落が見えている.
資料1(p.42)によれば,安政遠足では前方に見えている小山を登るようである.
前方に見える集落が坂本宿である.
安政遠足とは,資料8によると,「”遠足”と書いて”とおあし”と読む.毎年5月の第2日曜日に開催される行事で,毎回たくさんの仮装したランナーが走る.この遠足の歴史は古く,江戸時代(西暦1855年)に当時の安中藩主「板倉勝明」(いたくらかつあきら)公が藩士の鍛錬のために碓氷峠の熊野権現まで7里余りの中山道を徒歩競走をさせ,その着順を記録させたことがはじまりで,日本のマラソンの発祥である.」ということである.
<安政遠足の小山と坂本宿遠望>
■坂本宿入口の交番
坂道を登ると集落がだんだんと近付く.
9時34分,進行方向左手に白壁瓦葺きの交番を通過する.原駐在所である.とても洒落た雰囲気がある建物である.
<坂本宿の入口にある原駐在所>
<宿内散策>
■下の木戸
9時36分,坂本宿下の木戸に到着する.坂本宿の標柱と柵が建っている.いよいよ坂本宿の宿内に入る.
最近改修されたばかりと思われる真新しい道路が真っ直ぐに刎石山に向かって伸びている.
木戸脇に設置されている案内板によると,坂本宿の「宿内の長さは392間(約713メートル).京都寄りと江戸寄りの両はずれに上木戸と下木戸が作られた.現在の下木戸は当時の設置場所に一部復元したものである.木戸の開閉は,明け六ッ(現在の6時)から暮れ六ッ(現在の18時)までの間だった.実際には木戸番が顔を識別できるところで判断していたらしい.
絵図によると,八間1尺(約14.8メートル)の道路に川幅四尺(約1.3メートル)の用水路が中央にあり,その両側に本陣,脇本陣に旅籠,商家160軒がそれぞれ屋号看板を掲げ,その賑わい振りは次の馬子唄からもうかがい知れる.
“雨がふりゃこそ
松井田泊まり,
不乱や越します
坂本へ”」
<下の木戸>
■中村碓嶺生誕の地
9時39分,中村碓嶺生誕の地に到着する.
この方がどのような人物か,私には何も分からないが,案内文の説明によると,碓嶺は幼少の頃から,40キロメートルも離れた本庄に住む長庵という人に師事した有名な俳人だという.
<中村碓嶺生誕の地付近の立派な家>
■佐藤本陣跡
引きつづき佐藤本陣跡に到着する.
案内板の記事によると,坂本には2箇所に本陣があったが,この佐藤本陣は「上の本陣」と呼ばれていた.
東に碓氷関所,西に碓氷峠を控えているために,坂本泊まりが必須となり,ここには本陣が二つ必要だった.そのため,坂本宿は大変賑わっていたという.
<佐藤本陣跡>
■脇本陣「みよがや」と「永井」
9時44分,脇本陣「みよがや」の前を通過する.立派な門構えである.
続いて脇本陣「永井」がある.
<脇本陣「みよがや」><脇本陣「永井」>
■坂本公民館・脇本陣酒屋跡
9時47分.坂本公民館に到着する.脇本陣酒屋という表札が取り付けられている.
<坂本公民館>
■旅籠「かぎや」
9時48分,旅籠「かぎや」を見物.
案内板の説明によると,「かぎや」は坂本宿時代の面影を残す代表的な旅籠の建物だという.約370年前,高崎藩納戸役鍵番をしていた武井家の先祖が坂本に移住して旅籠を営むが,役職にちなんで屋号を「かぎや」にしたといわれる.
<旅籠「かぎや」>
■小林一茶の定宿「たかさごや」
9時50分,「たかさごや」跡に到着する.ここには遺構などは全くないが,案内板だけが立っている.
案内板の説明によると,信濃国柏原に住んでいた小林一茶が江戸に趨くときに,この「たかさごや」を定宿にしていた.一茶がここに泊まると近郊在郷の俳句愛好者が集まったとのことである.
蛇足になるが,資料9には,「小林一茶は宝暦13年5月5日(1763年6月15日)-文政10年11月19日(1823年1月15日))は,江戸時代を代表する俳諧師の一人.本名を小林弥太郎.別号は,圯橋・菊明・亜堂・雲外・一茶坊・二六庵・俳諧寺など.」という説明がある.
<「たかさごや」あと>
■最後のコンビニ
9時52分,進行方向左手にあるコンビニに立ち寄る.ここから先,軽井沢まで山の中なので,ここが最後のコンビニになる.
私達も,このコンビニに入って,不足しているものを買い足す.
<坂本宿最後のコンビニ>
■上木戸跡
橋供養塔の直ぐ近くに上木戸跡がある.
ここで,下木戸から392間あった「宿内」から外に出ることになる.
<上木戸跡>
<いよいよ碓氷峠へ>
■芭蕉の句碑
上木戸を過ぎて間もなく芭蕉の句碑が立っている.松井田町指定重要文化財である.
寛政年間(1790年頃),坂本宿の俳人達が,春秋白雄に依頼し選句し書いて貰ったものだという.
春秋白雄という人物のことは,私は何も分からないが有名な俳人だったんだろうと想像する.
当初,この碑は刎石山山頂にあったが,明治年間廃道になったため現在地に移転した.
この句は,木曾路下りのもので碓氷峠のものではないという.
“ひとつ脱て
うしろに負いぬ
衣かへ”
<芭蕉の句碑>
■坂本八幡宮
10時04分,坂本八幡宮に到着する.深い木立に覆われた立派な神社である.
鳥井脇にある案内板によると,この神社の創立年代は不詳.伝承によれば景行天皇40年10月日本武尊の勧請という.江戸時代,諏訪神社,白山神社,八坂神社,水神,菅原神社,大山祇神社等を合祀したという.大正3年に村社に指定される.
なお,資料10には,「坂本八幡宮の創建は景行天皇40年に日本武尊の分霊を勧請したのが始まりと伝えられている.延喜年間に現在地に遷座,以来.,地域の産土神として信仰され周辺住民に崇敬された.江戸時代に入り中山道が整備され坂本宿が開かれると近郊にあった諏訪神社,白山神社,八坂神社,水神,菅原神社,大山祇神社などを合祀している.境内は広く大木に囲われ荘厳な雰囲気があり双体道祖神や石祠,石灯籠.石碑などが建立されている.」という説明がある.
鳥居を潜って長い石段を登る.
<坂本八幡の鳥居と石段>
■坂本八幡本殿
階段を登り切ると本殿がある.辺りは深い木立に覆われていて厳粛な雰囲気に包まれている.
<八幡宮本殿>
■可愛い女の子
可愛い女の子が父親と一緒に散歩している.父親は白人である.
遠慮のない同行の一人が,
「どちらの国の方ですか・・・」
と父親に聞く.
「イギリスです・・・」
という.
どうしてイギリスの方が,このようなところに居られるのか気になるが,人様のプライバシィに踏み込むのは良くないので,何も聞かないでお別れする.
これから,いよいよ中山道最大の難所碓氷峠越えが始まる.
<可愛い女の子とお父さん>
(つづく)
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;安中市産業部商工観光課,発行年代未詳,「旧道日和(パンフレット)」安中市観光協会
資料6;松井田商店連盟;まついだどっとこむ,発行年未詳,「松井田宿まち歩き」安中市役所松井田支店地域振興課
資料7;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E5%AE%BF
資料8;http://www.city.annaka.gunma.jp/kanko_gyouji/tooashi/tooashi.html
資料9;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E4%B8%80%E8%8C%B6
資料10;http://aidu.konjiki.jp/gunma/nakasen/sakamoto/jin.html
[加除修正]
2013/6/9 誤字脱字転換ミスの訂正と本文の加除修正を行った.
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/241b05b100d674b228ad54321f4f3fcb
「中山道六十九宿」第6回目の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d07a6d75e3b121bf37c6d9c3f955e08d
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/426b86e9ab008b475708c7ca8ebfbc21
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
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