<ペテロパブロフスカムチャッキー市中心街>
[復刻版]
アパチャ山登頂記;第7日目(1);ペテロパブロフスカムチャッキー市内観光
(アルパインツアー)
2004年8月10日(火)〜8月17日(火)
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第7日目:2004年8月16日(月)
<ルート地図>
<パラトゥンカ温泉郷を出発>
■別棟のレストランで朝食
パラトゥンカ温泉郷バージニアホテル2泊目の朝である.
例によって,早朝から目が覚めてしまう.同室の方がまだ気持ちよさそうに熟睡して居られるので,ゴソゴソと置きだしてしまうわけにもいかない.私はベッドの中で静かに時が過ぎるのを待つ.
今日は7時から朝食である.6時を回った頃,同室の方も目が覚めたようなので,私も起床する.さすがにここは高緯度の場所である.8月中旬の真夏だというのに,室内にはヒンヤリとした冷気が漂っている.
6時45分頃,ホテル玄関に集合して,例の別棟のレストランへ移動する.
7時から朝食である.
メニューはこの下の写真の通りである.お皿にサニーサイドアップの目玉焼きが3個も乗っているのにはさすがに私も驚くが,美味しく頂く.
早々に食事を終えて,各自,自室へ戻る.
<プリン> <紅茶>
<朝食>
■普通の専用車で出発
7時55分,私たちを送迎するバスに乗車する.これまでずっとお世話になっていた装甲車のような六輪駆動車ではない.今日は普通の中古バスが私たち専用車である.どうやら韓国製のようである.
今日の現地ガイドは,若くて美しい女性である.お名前は? 一応伺ったが,伺った途端に忘れてしまう.日本に留学した経験があり,日本語が達者な方である.
私たちを乗せた専用車は,8時丁度にバージニアホテル前から発車する.これまで装甲車のような車に乗り続けていた私には,普通のバスの乗り心地が素晴らしく良く感じてしまう.何となく救われたような気分になる.
バスはアパチャ湾沿いに舗装道路を走る.舗装道路って,こんなにも乗り心地が良いものかと改めて見直す.
私たちは,これから,市内観光をしながら,今日の宿泊地であるペテロパブロフスカムチャッキー市に向かう予定である.
だが,残念なことに,今日の天気は余り良くない.雨こそ降っていないが,辺り一面に濃い霧が立ちこめていて,見通しも悪い.
アパチャ湾沿いに車を走らせて,8時35分,ペテロパブロフスカムチャッキー市内に入る.
<バージニアホテル前から専用車で出発>
<山の手の観光スポット>
■レーニン像
専用車で移動する途中で,現地ガイドの女性から,ロシアの教育制度についての紹介がある.そして,市内にある法律大学,医科大学,市役所,裁判所などを車窓から見ながら通過する.
市内地図が手許にないので,どこをどう走っているのか良く分からないが,8時54分,レーニン像に到着する.ここで専用車から下車して,レーニン像を見学する.
ここは,多分,ペテロパブロフスカムチャッキー市の中央部に位置しているのだろう.晴れていれば見晴の良いところのようである.ただ,今日は憂鬱な感じの濃い霧か雲が掛かっていて,見晴は余り良くない.それでも眼下にはペテロパブロフスカムチャッキーの市街地が広がっているのが見える.
ガイドの女性(写真の中で黄色いヤッケをきている)が,この像の説明をする.
今更,ここでレーニンについて,いろいろ説明しても冗長になるので止めるが,この像を見ながら,今私がロシアに居ることを改めて実感している.
9時01分,専用車に乗り込んで,レーニン像を後にする.
<レーニン像の前で>
■クリミヤ戦争記念碑
9時04分,クリミヤ戦争記念碑に到着する.
クリミヤ戦争については私も名前は聞いたことがあるが,殆ど予備知識がない,資料1によるとフランス,オスマン帝国およびイギリスを中心とした同盟軍およびサルデーニヤとロシアが戦い,その戦闘地域はドナウ川周辺,クリミア半島,さらにはカムチャツカ半島にまで及んだ近代史上稀にみる大規模な戦争であった」と書いてある.同資料によると,この戦争でロシアの後進性が露呈したという.
何れにしても,私にはクリミヤ戦争のことは良く分からないが,デザインが如何にもロシア風の記念碑をカメラに収める.
9時12分,専用車に乗って,記念碑から出発する.
<クリミア戦争記念碑>
■展望台
9時37分,市街地の南の方にある展望台に到着する.
あいにくの天気なので,それほどの眺望はないが,眼下に港が見えている.特筆するようなものもないので,ここは早々に引き上げる.
どこを通っているのか全く分からないが,多分市街中心部の方に向かっているようである.
<展望台からの眺望>
<カムチャツカ郷土博物館>
■シックな外観
ペテロパブロフスカムチャッキーの山沿いの道路から下山して,9時44分,カムチャッカ郷土博物館に到着する.下の写真のように,なかなかシックな外観の建物である.この建物の落ち着いた雰囲気が気に入った.
建物の中に入る.ちょっと薄暗い感じがする.ちょっとせせこましいなと言うのが第一印象である.
<郷土美術館の建物>
■親切な博物館員
愛想の良い博物館員が私たちのグループをアシストする.博物館内の展示物について丁寧にロシア語で説明してくれる.それを私たちの現地ガイドが日本語に翻訳してくれる.
展示物の内容は,カミチャッカの歴史,風土,産業など多岐に渡る.確かに説明は,なかなか面白いが,聞いている当の私が,カムチャッカについての予備知識が全くないので,折角の内容が余りよく理解できない.残念.
<左側が親切な博物館員>
■展示物の一例
一連の説明が終わった後,博物館内を見て回る.
いろいろな展示物があるが,子細に見て回る時間はあまりない.説明文がロシア語なので,展示物が何か殆ど理解できないが,私が資源工学を専攻してたので,鉱物の標本の中には多少見当が付くものもある…が,所詮はほとんどチンプンカンプンである.
<展示物の一例>
<土産屋を見物>
■アパートの1階
10時55分,4階建アパートの一角にあるお土産屋に入る.下の写真の通りちょっとうらぶれた感じのするビルである.
この土産屋ではドルも使えるとのこと.アメリカとあまり仲が良くない…というより張り合っているロシアでドルが使えるとは一寸不思議な感じがするが,まあ,いいか.
店内は狭い.われわれだけでも入りきれないほどである.関西グループの方々がしきりに買い物をしているが,わたしは一向に買う気にならない.
<ビルの1階に土産屋がある>
■本屋
狭い店内で,折角の買い物の邪魔になっても申し訳ないので,私は土産屋に隣接する本屋に入る.土産屋と本屋は通路のある間仕切りで仕切られているだけなので,自由に行き来ができる.下の写真は本屋から仕切りの向こうにある土産屋まで見通して撮したものである.
勿論,私たち以外に近くに住んで居られる方々もこの店を訪れている.私は,時間をつぶすために,本を立ち読みしようかと思うが,全ての本がロシア語で書かれている.残念ながら私には何が書いてあるのか全く理解できないい.
<本屋から隣の土産屋まで見通す>
<大きな市場を見物>
■市場に到着
17時30分頃,専用車に乗って,土産屋を出発する.どこをどう通ったかはハッキリしないが,11時51分,大きな市場の駐車場に到着する.駐車場には沢山の自家用車が駐車している.全体に何となく雑然とした雰囲気がして,少々緊張する.
現地ガイドの後に付いて,市場に入る.
かなり大規模な市場である.沢山の建物やテントが並んでいて,買い物客でごった返している.恐る恐る市場の中を歩き回ってみるが,何となく薄汚い感じがするのは否めない.
土地柄かどうか分からないが,海産物を売る店が随分と多いが,その他に日用雑貨,衣料品など色々な品物を扱う店が並んでいる.
詳しいことは分からないが,海産物は随分と安い感じがするが,衣料品は随分高いなという印象を受ける.
<大きな市場>
■魚売り場
魚売り場を覗いてみる.ニシンか鱈か分からないが,日本で買ったら高価そうな魚がドッサリ山積みになっている.値札に書いてあるロシア語だが,勿論私には読めない…が,イクラと書いてあるように思える.
棚には沢山の種類の缶詰が陳列されている.シャケの缶詰もあるようだ.食べてみたい.でも缶切りは持っていないし,1個の缶詰を食べてしまうのも無理である.
<魚売り場>
■旨そうなカニ
続いて建屋の中に入って見る.早速目に着いたのがカニである.
カニだけでなく,美味しそうな海産物がドッサリと並んでいる.
建屋の中を見て回る,脂がのっていて,実に美味しそうな,薫製の魚やイクラが沢山並んでいる.衝動買いしそうになるが,通関が面倒そうなので,購入するのを諦める.
<海産物売り場にて>
■船着場へ
市場の見物を終えて,12時38分,専用車に乗り込んで発車する.専用車が何処を走っているのか,またまた分からなくなるが,13時05分に船着場に到着する.
私たちは,これからアパチャ湾クルーズを楽しむ予定である.
<港に到着>
[参考資料]
資料1;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%82%A2%E6%88%A6%E4%BA%89
(つづく)
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(編集中)
目次と索引 ↓
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