戦中戦後の余話;長閑で楽しかった草野球と水遊び
(戦中戦後の思い出)
2020年9月13日(土) 晴・蒸し暑い一日
先週の土曜日、9月6日のことだったかと思うが、何時ものように、大船駅周回定番コースをブラブラと歩いた。途中の某小学校の校庭では、少年野球大会のような催しが開催されていた。コロナ騒ぎをすっ飛ばすように賑やかで明るい雰囲気が気に入った。そこで、私もついつい興味をそそられ、校庭の外から1イニングだけ観戦した。
私は少年たちの装備を見て、自分が少年時代とは全く違うのに、大変びっくりしてしまった。皆、おそろいのユニフェームを着て居るぐらいでは驚かないが、装備のすばらしさにビックリしてしまった。もちろん、少年たちが使っている装備は、今風に見れば当たり前、至極当然の装備である。つまり全く当たり前、それは理屈では分かっているが、自分の少年時代とあまりにもかけ離れているのに改めてビックリした次第である。
バッターボックスに立っている打者は、立派なヘルメットをかぶっている。バットもちゃんとしたもの。キャッチャーはプロ野球の選手と全く同じようなプロテクターと面、それに左手にはキャッチャー専用のグルーブをはめている。ホームベースも真っ白なちゃんとしたものが使われている。ホームから一塁や三塁方向に鮮やかな白線が引かれている。
”ほう、・・・プロ野球と同じだな・・・”
この当たり前の風景に、私はえらくビックリする。そして、ついつい自分の少年時代のことを回想してしまう。
<某広場で行われていた少年野球;某月某日>
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時代を昭和21~22年頃まで戻そう。
その頃、私は中学(旧制)2~3年生。まだまだ戦争の爪痕が色濃く残っていたが、日常生活はひとまず平静になり始めていた。このシリーズで、もう、何回か繰り返したが、当時、私は自宅のある小諸から中学のある上田まで信越本線の汽車通をしていた。本線とはいえ、当時は列車の本数はきわめて少なく、午前中に2本、午後3本程度しか走っていなかった(記憶はあやふやだが・・・)。
当然、放課後1~2時間の待ち時間がある。
信越線の同じ方向から通学している生徒が何人ぐらい居たか正確には覚えていないが、毎日、その連中と列車待ちの時間をつぶすためにいろいろなことをしていた。その中に、当然、野球もあった。ただ道具は何もなかったので、いろいろと工夫した。
まずはホームベース。木の枝を使って、地面の上に適当な大きさの四角形を書く。あるいは適当な大きさの何かを拾ってきて、ホームベースにする。各塁の目印も同じように木の枝を使って地面に目印を書くか、適当な者を拾ってきて塁にする。通学は下駄履きだったので、野球をするときには当然裸足になる。野球が終わると、足を洗うなどということはせずにそのまま下駄を履いて、上田駅に向かう。家に上がるときも特に足を洗ったりしなかったと思う。それに風呂に入るのは週に1度だった(この週1回の風呂の習慣は、結婚するまで続いたが、勿論今は毎日入浴している)。
ボールも当然無い。そこで、直径が1~1.5センチメートルほどの小石に、使い古したぼろ切れを短冊状に裂いたものを適当な大きさになるまでグルグルと巻き付けて作る。中が石ではちょっと重いということでぼろ切れを丸めて芯にするなどの改善が続く。
バットは適当な長さに切った棒切れである。
審判など居ない。だから、ストライクだボールだと言い争いにはなるが、喧嘩にはならなかった。キャッチャーにも何の防具もない。もちろんグローブもミットもない。今考えるとずいぶんと危険に思うが、誰かが怪我をしたという記憶はない。
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木のバットには由来がある。
戦争中、教練のほかに柔道と剣道の授業がのことが鮮明に記憶に残っている。
当時、剣道用の竹刀や防具は全くなかったので、もっぱら棒による打ち合いで過ごしていた。この棒は各自山に行って、適当な長さの棒を拾ってきたものである。結構凝った棒を持ってくる者もいた。
クラスの生徒全員が対面2列に並ぶ。そして剣道の教師の号令で、対面する2人で、
”エィッ、ヤァ、・・”
と掛け声勇ましく棒と棒を打ち合う。これを何回となく繰り返す。ちょっと手元が狂うと相手の指を打ってしまうことがある。逆に私も指を打たれたことがある。そのとき不思議に痛さではなく痺れたような感じを受ける。血が流れる。相手はそっと右手をちょっと挙げて
”ごめん・・・”
と目立たないように謝る。
目立たないようにしないとと、統一行動がとれていない”軟弱者”だと教師から目玉を食らう。
実は戦後野球を楽しむようになって使っていた棒は、もともと剣道で使っていた棒がほとんどである。この棒を通学の時にいつも持ち歩いていた。
ついでながら柔道も、柔道着がないので、相手と手を組んだ姿勢で、受け身だの背負い投げなどを繰り返していた。どちらも軟弱な私にとって本当につらい授業だった。ただ、この受け身の授業は、のちのち山登りをする用になってから、万一転倒したときの心構えには大変役に立っているなと思っている。
<戦争末期の剣道の授業>
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雨が降ると、外で時間つぶしをすることもできないので、教室に残ったまま適当に時間をつぶす。
もちろん中学生なので、自主的に勉強をしている子も居る。
その頃、流行っていたのが五目並べである。黒板に適当に縦横の線を引いて、五目並べをする。これ、結構、夢中になった。もし、その頃、スマホやPCがあったら、勿論、五目並べなどやっていないだろうなと思う。
<黒板で五目並べ>
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暑い夏になると、皆で近くの千曲川まで行って、水浴びを楽しむ。
もちろん、学校には冷房などないし、扇風機などという文明の利器もなかった。あるのは団扇ぐらいだが生徒の分際でそんな高貴なものをもっている子は居なかった。
いくら昔でも、まさかフル・チンで千曲川に入るわけにもいかないので、パンツあるいはフンドシをしたまま水遊びをする。
帰りは濡れたパンツやフンドシを手ぬぐい代わりにして濡れた身体を拭く。そして、ノー・パンのままズボンをはく。
帰りの汽車のデッキや窓から、濡れたパンツを外に出して、風に当てて乾かすが、小諸駅に着くまでには乾かない。そのあとどうしていたのかは覚えていない。ただ機関車からやたらに石炭ガラが飛んでくるのには何時も悩まされた。
当時は、汽車の中でこんな行儀の悪いことをしていても、誰からも文句は言われなかったし、皆、平気だった。汽車通は結構大変だったが、その反面、仲間と一緒なのが、とても楽しかった。
<濡れたパンツを風に泳がせて乾かす>
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こんな日常がしばらくの間続いていたが、やがて学制改革が始まって、旧制の中学が新制高校になってしまった。その結果、訳が分からないうちに同じ学校に6年間も通うことになった。今風に言えば形の上では結果的に中高一貫教育を受けたことになる。
世相が落ち着くにつれて、汽車の本数も増え、こんな遊びをしなくても済むようになった。
高校生になると、汽車の中で勉強をするようになった。特に試験前ともなると、全員が汽車の中で一夜漬けに近い勉強を汽車のなかでも黙々と続ける。私は汽車の中で物理の勉強をするのが好きだった。
たまたま受験期間中の私たち高校生を見た乗客が、
「さすが○○高校の生徒はよく勉強するな・・・」
と感心する。
”いえ、一夜漬けです”
ともいえず、内心で恥ずかしがっていた。
上田の中学校は、今風に言えば、この地方の進学校である。だから地元に人からは確かに一目おかれていた。
ただ、3年生になると進学のために汽車の中でも夢中になって勉強するようになったことは鮮明に覚えている。
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あれから幾星霜。
それにしても、よくまあ、今日まで無事に生きているなと、我ながら感心している。
今はいくらコロナがどうのこうのと言っても、身の回りには色んなものがたくさんある。当時は全くと言って良いほど、何もなかった。でも貧しいとか、寂しいとか、不幸だとか言う感情は全くなかった。それなりに青春を謳歌していた。
あの頃と、今と比較して、当然のことながら今の方が比較にならないほど良い生活をしている。だから、もちろん、昔の生活には戻りたくない。でも、昔と今を比較して、どっちが精神的に充実していたかと問われると、
”はてな・・・?”
と考えてしまう。
もちろん当時の私は青春時代、今はもう先がいくらもない高齢者。その差が自分のQOLに大きく影響を与えていることは否めない。
それにしても、改めてQOL(Quality of Life)って、一体何なんだろうと考えさせられる今日この頃である。
(おわり)
「戦中戦後の思い出」の前回の記事
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(なし)
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