戦争中の我が家;今にして思えば・・・・
2020年5月17日(日)
毎年,今頃になると,戦争末期,正確には敗戦の1年前のある日のことを思い出します. もうその頃になると,敗戦色が濃厚でした.そんな年の晩春(丁度今頃),私の父は陸軍に応召しました.その頃の父は40歳代,そんなに若くはないのに・・・配属先は北陸地方にある山砲の部隊でした.応召中,一度だけ帰宅したことがありました.軍服姿の父はとても格好良いなと思いました.そして誇りにも思いました. その頃,信州の田舎町でも,何時,空襲になるか分からないので,夜も服を着たまま寝ていました.結果的には爆弾こそ落ちなかったものの,毎晩のように敵機が飛来するので,寝不足な毎日が続いていました. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 出征の前日,父は私たち子供3人と母の前で,こんな事を言いのこしました. 「もし空襲になったら,お前たちは東,西,南,北,それぞれに分かれて,一人で逃げなさい・・・決して一緒になって逃げないように・・」 その理由は,一緒に逃げたら万一の場合フラワーヒル家が消滅してしまうからということでした. 今にして思えば,父の本心は,もし幸いにも自分が復員できたとして,そのとき家族が空襲で全滅していてはたまらない・・ということだったと思います. 軍国主義100%の教育を受けていた私は, 「ハイッ! 分かりました.お国のために戦ってください・・」 と真面目な顔で,父に言いました. これも当時の私の本心でした. 母は,家族全員で一緒に逃げたいと内心では思っていたに違いありません.でも,当時の世相では,そんな個人的で厭戦的な感情の発露は罪悪の極みであり,たとえ家族であっても絶対に許せないことでした. 母も,
「ハイ,分かりました・・・家のことは心配しないでください・・」 と言いました. もし母が「いや」と言ったら,実子の私でもそんな非国民の親を許すはずがありません.直ちに隣組の組長あるいは学校の先生に, 「うちの親は非国民だから,捕まえてください…」 と申告したに違いありません.
今,仮に戦況が悪くても,必ず神風が吹く.神国日本が負けるはずはないと固く信じて疑いませんでした.それくらい当時の私たち子供は,徹底的に軍国主義教育を受けていました.
もちろん,私たちの世代よりもう少し上の世代は,口には出さないものの,日本が戦争に負けることぐらい,分かっていたに違いありません. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今思えば,多分,親も子供たちが学校で徹底した軍国主義教育を受けていることを知っていたんでしょう.ある意味では,自分の子供たちを一番警戒して言動していたのかも知れません. 当時,周りの大人も,そんな軍国主義の権化みたいな子供たちを敬遠してか,あるいは隣組内相互の監視が厳しいためか,内心ではいろいろな思いがあったに違いないのに,子供の前では,絶対に本心を口には出しませんでした. 戦後になって,母は, 「あのときほど,辛くて,寂しい気持ちになったことはなかった・・・」 と言っていました. こんな昔のことですが,思い出すと今でも「ぞっ」とします. 教育って実に恐ろしいものです. ご覧いただいている皆様の中にも,教育に関わっておられる方が沢山おられると思いますが,教育の恐ろしさを,何時も念頭に置くべきだと思っています. 以上つまらぬ愚痴話でした.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※戦争中の出来事で,新聞や雑誌に掲載されていない市井のちょっとしたこぼれ話
を時々は披露してみたいなと思っています.でもそんなことするのは,ちょっと
怖いなとも思っています.一方では,今書き残さないと,こんなエピソードが消 えてしまうという残念さもあります.まあ,様子見ながら・・・とということにし
ておきましょう.
同じ年寄りでも,多分,70歳代の方には,こんな心情は理解できないと思いま
す.
なお,曖昧な記憶だけで書いておりますので,当時の研究資料として利用する
のには不適切なことだけ,あらかじめ記しておきます.
(おわり・・・か,続くかは不明)
「閑話休題・日々雑感」の前回の記事
https://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9062a1720451cd4dfef707132f128467
「閑話休題・日々雑感」の次回の記事
(なし)
お断り;
これらの記事は,私のボケ防止と趣味仲間を読者対象としたものであり,一般の読者を対象としていません,したがって,まったく個人的なものです.また十分に時間を掛けて編集していませんので,記事は正確とは言えないし,誤字脱字転換ミスも多々あると思います.このことを前提にしてご覧下さい.
また,当ブログ記事を読んで,不快になられた方は,以後,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.
なお,古い記事には顔写真が掲載されていますが,すべてご本人の了承を得た上で掲載したものです.
2020年5月17日(日)
毎年,今頃になると,戦争末期,正確には敗戦の1年前のある日のことを思い出します. もうその頃になると,敗戦色が濃厚でした.そんな年の晩春(丁度今頃),私の父は陸軍に応召しました.その頃の父は40歳代,そんなに若くはないのに・・・配属先は北陸地方にある山砲の部隊でした.応召中,一度だけ帰宅したことがありました.軍服姿の父はとても格好良いなと思いました.そして誇りにも思いました. その頃,信州の田舎町でも,何時,空襲になるか分からないので,夜も服を着たまま寝ていました.結果的には爆弾こそ落ちなかったものの,毎晩のように敵機が飛来するので,寝不足な毎日が続いていました. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 出征の前日,父は私たち子供3人と母の前で,こんな事を言いのこしました. 「もし空襲になったら,お前たちは東,西,南,北,それぞれに分かれて,一人で逃げなさい・・・決して一緒になって逃げないように・・」 その理由は,一緒に逃げたら万一の場合フラワーヒル家が消滅してしまうからということでした. 今にして思えば,父の本心は,もし幸いにも自分が復員できたとして,そのとき家族が空襲で全滅していてはたまらない・・ということだったと思います. 軍国主義100%の教育を受けていた私は, 「ハイッ! 分かりました.お国のために戦ってください・・」 と真面目な顔で,父に言いました. これも当時の私の本心でした. 母は,家族全員で一緒に逃げたいと内心では思っていたに違いありません.でも,当時の世相では,そんな個人的で厭戦的な感情の発露は罪悪の極みであり,たとえ家族であっても絶対に許せないことでした. 母も,
「ハイ,分かりました・・・家のことは心配しないでください・・」 と言いました. もし母が「いや」と言ったら,実子の私でもそんな非国民の親を許すはずがありません.直ちに隣組の組長あるいは学校の先生に, 「うちの親は非国民だから,捕まえてください…」 と申告したに違いありません.
今,仮に戦況が悪くても,必ず神風が吹く.神国日本が負けるはずはないと固く信じて疑いませんでした.それくらい当時の私たち子供は,徹底的に軍国主義教育を受けていました.
もちろん,私たちの世代よりもう少し上の世代は,口には出さないものの,日本が戦争に負けることぐらい,分かっていたに違いありません. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今思えば,多分,親も子供たちが学校で徹底した軍国主義教育を受けていることを知っていたんでしょう.ある意味では,自分の子供たちを一番警戒して言動していたのかも知れません. 当時,周りの大人も,そんな軍国主義の権化みたいな子供たちを敬遠してか,あるいは隣組内相互の監視が厳しいためか,内心ではいろいろな思いがあったに違いないのに,子供の前では,絶対に本心を口には出しませんでした. 戦後になって,母は, 「あのときほど,辛くて,寂しい気持ちになったことはなかった・・・」 と言っていました. こんな昔のことですが,思い出すと今でも「ぞっ」とします. 教育って実に恐ろしいものです. ご覧いただいている皆様の中にも,教育に関わっておられる方が沢山おられると思いますが,教育の恐ろしさを,何時も念頭に置くべきだと思っています. 以上つまらぬ愚痴話でした.
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※戦争中の出来事で,新聞や雑誌に掲載されていない市井のちょっとしたこぼれ話
を時々は披露してみたいなと思っています.でもそんなことするのは,ちょっと
怖いなとも思っています.一方では,今書き残さないと,こんなエピソードが消 えてしまうという残念さもあります.まあ,様子見ながら・・・とということにし
ておきましょう.
同じ年寄りでも,多分,70歳代の方には,こんな心情は理解できないと思いま
す.
なお,曖昧な記憶だけで書いておりますので,当時の研究資料として利用する
のには不適切なことだけ,あらかじめ記しておきます.
(おわり・・・か,続くかは不明)
「閑話休題・日々雑感」の前回の記事
https://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9062a1720451cd4dfef707132f128467
「閑話休題・日々雑感」の次回の記事
(なし)
お断り;
これらの記事は,私のボケ防止と趣味仲間を読者対象としたものであり,一般の読者を対象としていません,したがって,まったく個人的なものです.また十分に時間を掛けて編集していませんので,記事は正確とは言えないし,誤字脱字転換ミスも多々あると思います.このことを前提にしてご覧下さい.
また,当ブログ記事を読んで,不快になられた方は,以後,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.
なお,古い記事には顔写真が掲載されていますが,すべてご本人の了承を得た上で掲載したものです.