<ほんまち町屋館から浅間山を望む>
初秋の信州小諸旅(4);北国街道(本町)・藤村住居跡を歩く
(独り旅)
2019年9月26日(木) 晴れ
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<北国街道(本町)・相生町付近地図>
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※現地案内板を撮影
<北国街道(本町)>
■本町遊子公園
本来ならば折角この辺りを歩くんだから養蓮寺や大手門も見物すべきだが,少々時間が押してきたので,どちらも割愛して,北国街道(本町付近)を少しだけ歩くことにする.国道との交差点を渡って本町へ.
以前の本町はこの交差点付近は今より急な上りだったように記憶している.20~30メートルの急勾配を登り切ると勾配がやや緩やかになっていたように思うが記憶違いだろうか.この急勾配を登り切るか切らないかの左側に,確か西沢書店という大きな(今の感覚で言えば小さな)本屋があった.何かにつけてこの本屋を良く訪れていたが,もう大分以前になくなってしまった.当時は,折角の河野街道筋が歴史的な遺産だという意識など全くなく,ただ単に薄汚くて貧乏くさい田舎町ぐらいにしか思っていなかったし気にも留めることもなかった.
最初に,訪れたのが本町遊子公園.
駐車場の奥に展望の良い場所がある.ここから浅間山連峰の山々が一望できる.その手前に飯綱山が見えている.私の祖父の家がこの山裾にあったので懐かしい場所である.
<本町遊子公園>
■ほんまち町屋館
つづいて本町遊子公園のすぐ先にあるほんまち町屋館へ.
もうこの時間から営業してるようだが,館内に入るのも何となく気が重いので,展示場の脇から,その先にある展望台へ.
この展望台からの浅間山連峰の眺めもまたなかなかなものである(冒頭の写真).幸いなことに今日は天気が良いので,剣ケ峰,前掛山,黒斑山,高峯山などがずらりと並んで聳えているのが一望できる.
<ほんまち町屋館>
■高峯山と赤ゾレ
当ブログには,毎度,浅間山の写真ばかり掲載しているので,ここで町屋館から見た高峯山と赤ゾレの写真を投稿しておこう.
右手に聳えているのが高峯山.山頂には高峯神社がある.その左奥が赤ゾレといわれる稜線で,眺望の良い登山ルートになっている.数年前までは,良く登っていたが,この頃,仲間が皆老け込んでしまい同行してくれる人が殆ど居なくなってしまったのが残念.
手前に見える集落は小諸市の郊外.清潔そうな住宅が並んでいる.なんだか羨ましい.
<高峯山遠望>
■書状集箱
ほんまち町屋館近くに書状集箱が展示されている.昔の郵便ポストである.これは珍しい.案内板の文字は良く読めないが,「藷郵便局**地明治五年七月一日**達取次所**地*開設**以来百二十年余*記念し**記念碑を***平成四年七月一日小諸優本局長」と書いてあるようだ.
ここまで苦労して読んだあとで,
”何だ平成4年か!”
とちょっとガッカリ.
でも書状集箱自体はとても興味深かった.
<昔の郵便ポスト>
<島崎藤村ゆかりの地>
■すこやか地蔵
途中で右折して相生町方面へ向かう.右折してすぐ左に「すこやか地蔵」とやらが鎮座している.
「私の体に・・・・・・」
と効能書きが掲示されている.
地蔵さんの姿が面白いので一応写真に撮っておく.
<すこやか地蔵>
■藤村井戸
健やか地蔵からほんの20~30メートル先に藤村井戸がある.島崎藤村が小諸時代に使っていたといわれる井戸である.
使用禁止と書かれているが,今でも使えるのかな? 多分使えないだろう.
<藤村井戸>
■島崎藤村住居跡
藤村井戸の前で左折して道幅の狭い道に入る.
すぐに駐車場に突き当たっ右に曲がる.この駐車場がかつて島崎藤村が住んでいた家の跡地である.少し前までは木製の立派な黒塀があったが既に取り壊されている.石碑に書かれている文字は,誰だったがど忘れしたが有名な作家が画いたものである.
<島崎藤村住居跡>
■相生町
島崎藤村住居跡を通過して,すぐに相生町に突き当たる.ここは小諸で一番賑やかな商店街である.坂の街.坂を下って突き当たったところに,今朝下車したしなの鉄道小諸駅がある.
さて,この辺りで朝の散歩はお仕舞いにしよう.
<相生町>
(つづく)
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(執筆中)
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