忘却の彼方で良いのだろうか;74年前の3月10日の出来事
2019年3月10日(日)
昨日(3月9日)の土曜日,塔ノ岳に登ったばかりなので,今日一日はあまり遠出はせずに,ノンビリ自宅で過ごそうと思う.
朝食後,少々時間を掛けて記事を読み進める.8年前の明日,3月11日に東日本を襲った大震災関連の記事が沢山掲載されている.
”あれから,もう,8年も経つのか…”
丁度あのとき私は大船駅隣接のルミネビル6階に居た.勿論,大船(鎌倉市)は震源地から遠く離れていたが,ルミネビルもガシガシと音を立てて激しく揺れた.そして丁度乗ろうとしていたエスカレーターは直ぐに停まった.
その後,東北地方を中心とする災害のひどさが判明するに従い,その惨状に言葉を失った.
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さて,新聞を眺めながら,私はもう一つの出来事に関連する記事がないかなと探した.
”ない…!”
たまたま私が読んでいる全国紙に記事がないだけかもしれないが…
74年前の3月10日,あのおぞましい災害があった.
もう遠い昔のことなので,もう,
”3月10日って? 一体何のこと?”
と思う人が大部分かも知れない.おそらく70歳代の老人でもピンと来ないかも知れない.でも80歳代になると多分ピンと来るだろう.
そう! あの東京大空襲があった日である.東京が空襲で灰燼に帰したおぞましい日である.しかもこちらは100パーセント人災である.避けようとすれば避けられたかも知れない.そこが自然災害とは違うところである.
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私は信州に住んでいたので,直接,空襲の中を逃げまどうことはなかったが,あの東京大空襲の夜,碓氷峠を越えて遙か遠くにある東京の炎の色が中天までどす黒く反射して見えていた.あのときの驚き,悲しみをつい昨日のことのように思い出す.
私には特定のイデオロギーはない.でも,あんな人災は避けようとすれば避けられたのでは…という慚愧の念に駆り立てられる.
”ああいうことは二度と会ってはならない…”
と今更のように思う次第である.
まあこれは私の”ゴマメの歯ぎしり”に過ぎないが…どうしても,一言,愚痴を言いたくなった.
(おわり)
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(なし)
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