<北陸新幹線車窓から浅間山を望む>
信州冬の旅;小諸市内観光と懐古園周遊(1);車窓から仰ぎ見る浅間山
(亡姉の三回忌)
2018年1月28日(日) 晴
姉が旅立ってから早2年.
午後から故郷の信州で三回忌が行われる.
月並みな言葉だが,歳月の過ぎ去るのは早いものである.そして,今はもう,私は姉の享年を越えてしまった.
私は無粋だが,姉は医師でありながら,れっきとした詩人でもあった.
そんな姉を偲びつつ,まだ真っ暗な4時50分頃鎌倉の自宅から出発した.
ここ数日,記録的に寒い日が続いている.
”寒いな,こんな日に出掛けるのは辛いな…”
私は,もこもこになるほど厚着をして,夜道を最寄り駅へ向かった.
歩道の至る所に,つい先日降った雪が,踏みつけられカチカチになってへばりついている.街灯の光がツルツルになったカチカチ雪に鈍く反射している.
”さむいなあ~”
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大船駅から上野東京ラインの電車に乗車する.
まだ真っ暗の早朝なのに電車は結構混雑している.でも,何とか座ることができた.両側に座っている人ももこもこに着込んでる.両側のモコモコに挟み込まれるようにして,モコモコの私も両側の二人の間にはまり込むようにして座る.
座ったとたんに,
”こりゃぁ~いいや…体がはまり込むようにピッタリするし,暖かいや.”
すぐに居眠りしたくなるが,寝過ごして東京駅を通過してしまうと面倒だ.私は早朝から睡魔との戦いに一苦労する.
東京駅に到着.
まずは北陸新幹線の時刻表を確かめてから,朝食用の弁当を購入しようと思う.
時刻表を見る.
すると,後5分で「はくたか」金沢行が発車する.
”おっ! 丁度良いな,乗っちゃえ…”
私は車内販売でサンドイッチでも買えば良いなという軽い気持ちで,この列車に飛び乗る.
ちなみに,私は指定席は殆ど利用しない.いつも自由席である.指定席は,自分の行動が規定されてしまうような気がして窮屈で嫌なのだ.
私は車窓から浅間山や群馬三山が見たいので,進行方向右手の窓側に席に座る.
まもなく発車.
上野駅でほぼ満席になる.”そうか! 今日は日曜日だったな.混雑するはずだなと納得.
連射の中央付近で,2~3人のやたらにうるさい外国人が居る.かなり大きな声で英語で話し絵居る.静かにしてくれと注意したいところだが,柄が大きな人にそんなことを言ってぶん殴られてはたまらないので,ジッと我慢の児である.
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列車が埼玉県に入る頃,ようやく日が当たり始める.列車は浦和辺りを走っているのだろうか,太陽の光がビルに反射してピカピカと光っている.
大宮を過ぎる辺りから列車の速度が急に速くなる.
大宮の次の停車駅は高崎である.関東平野を一気に通り抜ける感じである,これは快適.
ほどなく,車窓から群馬三山の一角が見え始める.どの山にも過去に登ったことがあるが,今見ている山が一体どこなのか定かには思い出せない.
”まあ,いいや…とにかう群馬三山だ”
それにしても,今,通過中の街は一体どこなんだろう.
高崎を過ぎて,碓氷峠のトンネルをいくつか抜けて,あっけないほど早く軽井沢に到着する.3割ほどの乗客が,軽井沢でドッと下車する.絶えずしゃべり続けていた外人も軽井沢で下車する.途端に車内が静かになる.
私は次の停車駅佐久平で乗り換えて小諸へ向かうつもりである.
軽井沢駅を発車してほどなく,右手前方に浅間山が見え出す.私はちょっと無理な姿勢でデジカメを車窓に押しつけるようにしながら,浅間山の写真を撮り続ける.
信州生まれの私には浅間山は畏怖の山,仰ぎ見る山,信仰の山である.浅間山を仰ぎ見ると,生まれ故郷に帰ったなという実感が沸々とわき上がる.
<軽井沢から浅間山を見上げる>
続いて離山が見える.
すかさず写真を撮るが,あっと言う間に通過してしまう.
”そういえば,ここ1~2年,羽成山に登っていないな…”
毎年,誰かを案内し絵,1回は離山に登っていたが,気がつくと最近はご無沙汰である.この離山山頂からの展望は最高.目の前に浅間山が聳えている.その右手に佐久平が広々と見下ろせる.その遙か先には北アルプス,ずっと左手には八ヶ岳連山,さらには上州の山並みが見えているはずである.
<離山>
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佐久平駅に到着する.
小海線の小諸行列車の時刻を確かめてから,佐久平駅構内のどこかで朝食を摂ろうと思う.
ところが,あと2分で小諸行連射が到着する.
”朝食は小諸へ着いてからにしよう…”
と言うことで,そのまま小海線のホームへ.
ホームは日陰.やけに寒い.
ただ,ホームから八ヶ岳連山がとても良く見えている.
<小海線佐久平駅から八ヶ岳を望む>
待つほどもなく小諸行の列車が到着する.
小海線も懐かしい路線である.
その昔,小海線では蒸気機関車C11とC56が使われていた.それに対して信越本線はD50とD51.
小諸の自宅に居ると,蒸気機関車の音が聞こえてくる.あの頃は,音を聞いただけで信越本線か香味専科が分かった.
”そんな昔のこと,連想して何になるんだ!”
と私の体内に住みついているもぅ1人の私が,私に注意する,
<小海線佐久平駅>
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小諸駅に到着する.8時06分.
寒~~~いっ!
まだ,駅周辺の飲食店やお店はどこもやっていない.
”ありゃあ…! 今日は朝食抜きだな…”
<しなの鉄道小諸駅>
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仕方ない.
取りあえず駅の待合室へ逆戻りだ.
狭い待合室の真ん中に石油ストーブが1台.これでは暖めるのは無理.やっぱり寒い.
”何か食べ物はないかな…”
と思いながら,売店を覗く.
すかさず売店のおばさんが,
「ラっしゃい! 今日はしみますね!」
と私に挨拶する.
なお,「しみる」は信州弁.「さむい」という意味である.
売店に並んでいるのは土産品が殆どで,駅弁やサンドイッチの類いは全くない.
”昔は,小諸にも駅弁があったのに…”
ふと石油ストーブ脇のテーブルを見ると,パン類が4個だけ置いてある.あまり美味しそうでもないが,朝食を抜きにするのもまずいので,手作り風満点のパンを購入する.2枚のパンの間にポテトサラダを挟んだもの.手作り感100パーセント.
私はストーブ直近の積にかじりつくように座って.冷たいパンをボソボソと食べる.平素,朝食にはパン1枚しか食べないので,2枚は量が多すぎる.真ん中の柔らかいところだけ食べて,後は捨てようかと思ったが,戦争中育ちの私は,”もったいない”がどうしても優先である.ちょっと時間を掛けて,全部食べてしまう.
でも,今朝の朝食はちょっとわびしいな.
さて,これから10時過ぎまで,少しばかり時間の余裕がある.
私は,これから懐古園を一回りしてから,10時過ぎに市内の実家に立ち寄ってから寺に向かう積もりである.
<小諸駅待合室でストーブに当たりながら朝食を摂る>
(つづく)
つづきの記事
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「関東・伊豆箱根・上信越の山旅」の前回の記事
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