お盆休み特集 昭和を振り返る;第1話;終戦記念日に一念発起
2017年8月15日(火) 終日雨
ここ数日,梅雨時のような天気が続いている.そして今日は終戦記念日.あの日から,もう75年も経ってしまったのか.アッという間の幾星霜.
あのとき,私は旧制中学1年生だった.
家族と従業員数名でラジオ(当時ラヂオと表記)の前で直立不動して玉音放送を拝聴した.
あの日は,今日と違って,かんかん照りの暑い日だった.
ガーガーとという激しい雑音で聞き取りにくかったが,何か大変なことが起こっているだということだけは分かった.
母が一言,
「…(戦争に)負けたんだよ…」
と涙をこらえながら言った.
一同,悲痛な思いで,しばらくの間,立ちすくんでいた.
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終戦の日,父は軍医として北陸地方の某所に招集されていた.
つい数日前,特攻隊で戦死した従兄弟の葬儀が行われたばかりだった.
そして,私はあの年の4月に,旧制中学に進学した.でも学校ではほとんど授業は行われず,勤労奉仕か柔道,剣道,教練ばかりしていたような気がする.
あの頃の標語は,
”月月火水木金金”
”一億火の玉”
”欲しがりません勝つまでは”
”鬼畜米英”
等々.
終戦後,すっかり洗脳されていた私たちは,米兵に皆殺しにされると思っていた.
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一念発起
75年もの歳月が経つと,自分が体験してきたことが,いつの間にか,歴史上の出来事として扱われているのに驚く.それと同時に,自分が体験した戦争時代の記憶を少しでも記録に残しておきたい…さらに言えば残すべきではないかという気持ちが次第に強くなってくる.
でも,当時,まだ中学生だった私には,もちろん自分で出世して生死をさまよった経験はないし,信州の片田舎で暮らしていたので空襲に遭ったわけでもない.そんな私に戦争中のことなど語る資格があるんだろうか…そんな思いが何時も心の中を過ぎっていて,当時のことは全く語らないままに今日に至ってしまった.
ところが,近年,終戦記念日前後の新聞の投稿欄など見ると,自分では戦争示談の経験がほとんどないか,あるいは親の経験談を聞いた方々の投稿が増えている.
当時私はまだ中学生に過ぎなかったが,それでもそれなりに戦争中の実体験がある.しかも鮮明に覚えている.それならば,当時の記憶の一端を何らかの形で書き残しておくことも,天が私に与えた義務なのかもしれない…と,考えるようになった.でも多少の後ろめたさはあるが…
”とりあえずは,自分用のメモとして,ときどき当ブログに書きためよう.そしてある程度記事が堪ったら,自分史の一端としていつか整理することにしよう…”
と思い立った次第である.
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ところで,私は惚け防止を目的の一環として,当ブログを毎日書いている.毎回,かなりの量の文章を記述しているが,さすがに毎日大量の文章を書き続けるのは辛い.
折から今真お盆の真っ最中である.学校も夏休みである.私も通常のブログ記事は夏休みにしようと思う.
そこで,今日から8月いっぱいぐらいの期間は,第二次世界大戦前後の話題を,添付写真なしの軽い雑文に仕上げて投稿するつもりである.その第1回が今回である.
(第1回おわり)
お断り;
これらの記事には,私の思い違いがあるかもしれません.そのため事実の異なることもあり得ます.また,あくまで私的な記録です.また十分に時間を掛けて編集していませんので,記事は正確とは言えないし,誤字脱字転換ミスも多々あると思います.このことを前提にしてご覧下さい.
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