<興楽寺で雨宿り>
奥州街道(白河の道);第5回;1日目(3);脇沢から寄居間ノ宿へ
(クラブツーリズム)
2017年5月17日(水)~18日(木)
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<ルート地図>
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<寄居間ノ宿>
■寄居の地蔵
13時34分,高徳寺前を通過する.
すぐに自動車道に合流する.
雲行きがますます怪しくなり,ついにときどき雨粒が”ポツン,ポツン,…”と当たり始める.
”これは一雨来るな…”
と覚悟を決める.
13時45分,進行方向右手の斜面の途中に祀られている寄居の地蔵前に到着する.
添乗員の許可を得て,ちょっと土手の上に登って,地蔵とその周辺に祀られている石仏群の写真を撮る.
落ちてくる雨粒がちょっと多くなり始める.
”やっぱり雨か…”
先頭を行く講師が,
「その先の左手に集落が見えるでしょう.あそこにある興楽寺まで行ってしまいましょう…」
と私たちを促す.
<寄居の地蔵>
■奇妙な刈り込み
車道と歩道との間にツゲ(かな?)の植え込みがある.綺麗に刈り込まれた植え込みの中に数十メートルおきにニワトリに見える刈り込みのオブジェが作られている.そんなオブジェが点々と続く.
「これニワトリでしょうね…」
と講師がひとり言のように呟く.
そういえば植え込みが始まるところに,「ひっくの道金子」墨書された黄色の板切れが立っていた.
”ひっくの道って,このニワトリ道のことかな…?”
と想像をたくましくする.
<ニワトリらしい刈り込みが続く歩道>
<興楽寺>
■枝道に入る
14時頃,常夜灯のある三差路を左に入る.
<寄居本郷の集落に入る>
■興楽寺
14時09分,興楽寺(よらくじ)参道に到着する(冒頭の写真).
登り坂の山道を登って,まずは本堂へ.
入口に立っている昇り旗から,ここが真言宗智山派の寺で,山号は抜苦山.那須三十三観音霊場第十番札所であることが分かる.それ以上のことは,まだ調べがついていない(調べる気もない).
何はともあれ,本堂に詣でる.
<興楽寺本堂>
■地蔵菩薩
境内に祀られている地蔵菩薩(かな?)を詣でる.
立派で巨大な石像にびっくりする.
<地蔵菩薩>
■那須の銘木山桜
境内にある那須の銘木山桜を見物.案内板の記事によると推定樹齢150年.幹周り4.5メートル,樹高20メートルの巨木である.
<那須の銘木山桜>
<奈良川を渡って一里塚へ>
■奈良川を渡る
14時25分,興楽寺から歩き出す.
すぐに奈良川に架かる橋を渡る.橋の名称はメモを取る時間がなかった.この橋は短いながら,なかなか風情のある造りになっている.
欄干の傍らに,石塔が立っている.何か刻字のようなものが見えるが良く読めない.
これまでの奥州街道沿いに実に沢山の石塔,石仏があるのにビックリしているが,やはり奥州街道は由緒ある街道だなと実感している.
<奈良川を渡る>
■山中の石塔群
14時27分,山の中に沢山の石塔が立っているのに気が付く.
寄居本郷は間ノ宿だったこともあってか,実に沢山の石仏石塔が安置されているのに感心させられる.
<山中の石塔群>
■石の鳥居
石塔群の脇に,半ば朽ちた石の鳥居が立っている.注連縄が残っている.どうやら神社らしいが,参拝する時間もなく通過してしまうので調べようがない.残念.
帰宅後,インターネットを使っていろいろ調べてみたが,いまのところこの神社の名前すら分からない.
<朽ちかけた鳥居>
■泉田の一里塚
14時33分,泉田の一里塚に到着する.江戸日本橋から45番目の一里塚である.
ここの一里塚は綺麗な形をしているのが嬉しい.
相変わらず雨が降り続いている.
<泉田の一里塚>
(つづく)
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