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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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奥州街道(白河の道);第2回;2日目(4);お丸山公園・喜連川神社周辺散策

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                              <お丸山公園からの眺望>

  奥州街道(白河の道);第2回;2日目(4);お丸山公園・喜連川神社周辺散策
           (クラブツーリズム)
       2017年4月22日(土)~23日(日)

2日目;2017年4月23日(日)  (つづき)

前の記事
  ↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e76b72ee24062445ffa2c18bed3cbd71

<ルート地図>

■喜連川宿(再掲)

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■喜連川中心部(現地案内図から引用)

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<お丸山公園(大蔵ヶ崎城趾)周遊>

■総門(?)に到着
 12時42分,街の蔵本陣「蔵ヶ崎」での昼食を終えて,いよいよ午後の部の開始である.
 私たちは,講師を先頭に,午後最初の訪問地であるお丸山公園へ向かう.
 12時49分,公園入口の手前にある総門に到着する.この門の歴史的価値については,良く分からないが,白壁の立派な門である.
 資料1(p.21)によると,「中世の時代にこの地を治めた喜連川塩谷氏の城で,天正10年(1590年)に廃城になったが,堀切や大小の平場が残っている.ここは桜の名所でも有り,昭和11年(1936年),桜並木を間引いて植えたもの」とのことである.

<総門(?)を潜る>

■お丸山公園入口
 総門(?)の先は広場になっている.広場の先には「お丸山公園」と書いた大きな看板が掲示されている屋根付きの門がある.
 この門の先には山の斜面を蛇行しながら登る舗装された坂道がある.この坂道をショートカットするように道幅が狭い階段道がある.
 講師が,
 「…どちらの道を通っても良いですよ…」
とのことだったので,私を含めて3人ほどが,階段道を選ぶ.

<公園入口の門>

■心地よい緑陰の散策路
 私は何気なく階段道を登り続ける.
 ちょっと嫌みな文章になるかも知れないが.平素,週1の頻度で塔ノ岳を登り下りしていると,ここの階段道程度は平地の変わらない感じで歩けるようになっているので,気が付くと,何時の間にか先頭を歩いている.
 ふと下の舗装道路を見下ろすと,同行の皆さんが登っているのが見える.緑陰の中の散策路は,見ているだけで心地よさそうである.
 講師が上を見ながら,
 「…その先に赤い橋がありますから,先に行って,橋を渡ったところで待ってください…」
と私に指示する.

<緑陰の散策路>

■赤い橋
 なるほど,講師が言っていたように,階段を登り切ると水平道の向こうに赤い橋が架かっている.
 12時57分,赤い橋を渡る.橋の下は,どうやら空堀のように見える.

<赤い橋>

■素晴らしい眺望
 橋を渡って左手の坂道を登ると,見晴の良い平地に到着する.ここから素晴らしい眺望が楽しめる.
 眼下には喜連川の市街地が一望の下に見渡すことができる.

<高台の平地からの眺望>

■展望台は遠くから見るだけ
 目の前に展望台のような高い塔が見えている.時間があればあそこにも登って見たいなと思う.ところが,今居る高台と展望台のある丘との間には谷があって直接は行けないようである.
 講師が,
 「…あの塔へは,ここからは行けません…今日のスケジュールにはあの塔は入っていません…」
とつれないことを言う,
 スケジュールに入っていないなら仕方がない.でも,ちょっと残念.

<上からの眺望が良さそうな展望台>

■丘の上の表彰式
 今回の参加者の中で,お二人が奥州街道を完歩したことになるとかで,見晴の良い丘で完歩表彰式が行われる.
 添乗員が参加者全員に,
 「…表彰式を行いますのでお集まり下さい.」
と声を掛ける.
 全員が集まったところで,講師から完歩証明書が手渡される.

<丘の上の表彰式だ! 集合!>

<喜連川神社>

■喜連川神社拝殿
 13時08分,高台から下山開始.往路を辿って,市街地へ戻る.
 13時23分,喜連川神社に到着する.
 資料1によると,「速須佐之男命(スサノオノミコト)と櫛名田比売命(クシナダヒメノミコト)の二柱を祭神とし、永禄6年(1563年)に創建された。時の城主塩谷惟広が命じて、尾張の国、津嶋神社の分霊を城山の南面山腹にお祀りしたのが本社の始まりである。例大祭は天王祭といい、その神輿渡御は暴れ神輿として近郷近在で有名である。」とのこと(以上コピペ).

<喜連川神社拝殿>

■伯耆禰神社
 喜連川神社拝殿の左側に境内社の伯耆禰神社が祀られている.赤い立派な鳥居がある.何だか由緒ありげな神様である.
 資料3にこの神社ことが若干記述されている.

<伯耆禰神社>

■喜連川神社参道
 何処を通ったのか正確にはフォローできなかったが,進行方向右側にお堀のある閑静な通りに入る.
 13時34分,喜連川神社参道入口に到着する.入口には立派な鳥居が立っている.「喜連川神社」と白い字が刻字されている扁額も立派である.
 ”はて? 私たちは一体どこから喜連川神社の境内に入ったんだろう?”
とちょっと不思議な気分になる.
 鳥居の奥には,登るのがしんどそうな石段が見えている.

<喜連川神社の鳥居>

<御用堀>

■御用掘
 13時35分,御用堀の案内文の前に到着する.
 この案内文によると,この掘は天保12年(1842年),時の城主が用水確保のための開削したものである.


←クリック拡大

■鯉が長閑に泳ぐ
 御用掘を眺めながら散策を続ける.
 掘の水の中を,沢山の鯉がノンビリ泳いでいる.

<お堀の中の鯉>

<寒竹囲生垣と和い話い広場>

■寒竹囲生垣の家
 13時40分,寒竹囲の家に到着する.
 資料1(p.20)によると,「喜連川足利氏6代成氏が板塀より管理費用がかからず,経済的で利用価値がある寒竹(オカメササ,別名鼈甲垣)の生垣を奨励したといわれ,今でも喜連川西地区に残され」ている.「毎年,あばれ御輿と呼ばれる喜連川神社の天皇祭前に生垣の締め直しを行う」とのこと.

<生垣の案内板>

■生垣見物
 13時40分,生垣のある家の前に到着する.
 丁度そのとき,この家のご主人が生垣の手入れをしている.
 「…生垣の手入れ,大変ですね…」
と誰かがご主人に尋ねる.
 「いえ,そんなことありませんよ…」
とご主人が答える.
 ”それにしても大変そうだな…”
と私は内心で思っている…というのも,わが家の道に面した数本の小さな木の手入れにも,平素,音を上げているからである.
 それにしても,寒竹囲という貴重な文化を後世に残していくのは,素晴らしいことだなと心底から感銘する.

<生垣のある家>

■寒竹囲を眺めながら…
 講師を先頭に,かがりくねった細い路地を抜けて,長い寒竹囲のある道をノンビリと歩き続ける.
 手許の地図は粗すぎて,どこを歩いているのか良く分からないが,どうやら,喜連川の中心街方面に向かっているようである.

<寒竹囲沿いの道>

■和い話い広場(旧喜連川興業銀行本店)
 13時47分,賑やかな本町に戻る.さらに,13時48分,龍光院参道入口を通過する.そして,13時49分,和い話い広場(旧喜連川興業銀行本店)に到着する.
 資料1(p.21)によれば,この建物は「大正2年(1913年)の建築」されたもの.「西洋風のバラ窓や西洋唐草の飾り」がある.
 現在は土産品販売店になっている.

<和い話い広場>

■店内を一廻り
 店内を一廻りしてみる.
 土産品などが沢山陳列されている.同行の皆さん大半が何らかの買い物をしているので,レジは大混雑である.
 私は得に買いたいものもないので,店内をちょっと見ただけで,外へ出る.そして皆さんの買い物が終わるまで,外でボンヤリ待っている.

<店内の様子>

<脇本陣跡と紙屋の饅頭>

■脇本陣跡
 13時55分,脇本陣跡に到着する.
 ここには,石碑と松の木が1本植えてあるだけで,往時を偲ぶものはあまりないようである.
 資料1(p.21)によれば,「建坪57坪の町屋型」だったようである.また,この松は,ここに脇本陣があったという位置を示しているという.隣の石碑は明治14年(1881年)に「明治天皇御小休」を記念して設置されたもののようである.

<脇本陣跡>

■紙屋
 13時58分,再び本陣跡(昼食を摂ったところ)を通過する. 14時00分,紙屋に到着する.
 講師によると,ここは饅頭で有名な店とのことである.さっそく,店内に入る.

<紙屋に到着>

■店内は大混雑
 清潔感のある綺麗な店舗である.私たちの仲間が大挙して一度にお店に入ったので,店内は大混雑である.
 私は饅頭が怖いわけではないが,混雑を押してまで買いたいとは思わないので,お店の外で,皆さんが買い終わるのをジッと待っている.
 ”それにしても,饅頭屋なのに,なんで屋号が「紙屋」なんだろう?”

<紙屋の店内は大混雑>

<喜連川小学校から台町交叉点(第2回終点)へ>

■喜連川小学校の寒竹囲生垣
 14時10分,ようやく紙屋での買い物を終えて,続きを歩き始める.すぐに右折して脇道に入る.
 14時11分,脇道の突き当たりにある喜連川小学校に到着する.この小学校にも寒竹囲生垣がある.この寒竹囲生垣を見物してから往路を戻って,14時14分,ふたたび紙屋に戻る.

<喜連川小学校の寒竹囲生垣>

■東漸寺参道
 14時16分,東漸寺参道入口を通過する.参道の奥に立派な本堂が見えている.ここは時宗の寺,山号は清浄山というようである.立ち寄らずにそのまま素通りしてしまうのは,ちょっと残念だが仕方がない.

<東漸寺遠望>

■繁華街を経由して台町交叉点へ
 紙屋前から喜連川の繁華街を抜けて,14時22分に台町交叉点に到着する.
 ここが,奥州街道の旅第2回2日目の終点である.ここから専用車に乗って,上野駅まで戻る予定である.

<台町交叉点>

[参考資料]
資料1;さくら市教育委員会(編),2012,『歴史あそびBOOK2さくら市の歴史街道お出かけハンドブック』さくら市
資料2;http://kir579053.kir.jp/jinjyacyo/?p=981
資料3;http://kaguraden.blog11.fc2.com/blog-entry-120.html
                                          (つづく)
(つづきの記事)
  ↓
(執筆中)

「奥州街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/55f1b2dce2470adc0fd0bd872352e0d7
「奥州街道」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4c195cfa3f795ede28aa0764b57a5db3

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