<勝山城趾周辺の鬼怒川>
奥州街道(白河の道);第2回;1日目(3);氏家のeプラザ参番館と勝山公園
(クラブツーリズム)
2017年4月22日(土)~23日(日)
1日目;2017年4月22日(土) (つづき)
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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f65b3c1eb1df4a9ef688a405405d2a81
<ルート地図>
■勝山城跡→eプラザ参番館
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<eプラザ参番館>
■eプラザ参番館はレンガ造り
勝山城跡下の駐車場で専用車に乗車した私たちは,12時37分に駐車場から発車,JR氏家駅近くにある「eプラザ参番館」へ向かう.
専用車が何処をどう通ったかは分からないが,12時48分にeプラザ参番館に到着する.
eプラザ参番館は煉瓦造りの洒落た建物である.
<eプラザ参番館>
■オシャレな昼食
建物の中に入る.オシャレである.落ち着いた雰囲気が気に入る.思わず第1回目の混雑する食堂での餃子定食を連想する.
食事のメニューは定食だろうか.旅行社が選んでくれたメニューである.木の大きなお皿にいろいろなものが盛りつけてある.如何にも女性向きという感じがする.写真を見ればメニューは一目瞭然.あえて説明する必要もなかろう.
仕上げはコーヒーである.
もし,私が一人で歩いていたら,多分,こんなオシャレな食事はしないだろうな…多分,丼物か中華ソバぐらいで簡単に済ませてしまうだろうなと思いながら美味しく頂戴する.
<eプラザ参番館の昼食>
■元の場所へ戻る
13時40分,昼食を終えて,専用車に乗車する.
13時43分,私たちを乗せた専用車はeプラザ参番館を発車する.往路を辿って,13時55分,元の勝山城趾下の駐車場に戻る.
上空を分厚い雨雲が覆っている.午前中は蒸し暑かったが,今はずいぶんと気温が下がって,寒くなっている.
<勝山城跡下駐車場に戻る>
<氏家宿と氏家氏の概要>
■氏家宿の概要
勝山城が廃城になったときに,旧臣の「36人衆」が始まりとなって,氏家宿は,慶長6年(1601年)に開かれたと伝えられる.
寛永4年(1627年),奥州街道の開通によって,氏家宿は発展した.さらに阿久津河岸,脇街道の合図西街道,原街道が整備されるにつれて氏家宿は物資の集散地として交通の要所となった.その結果,奥州道中10宿のうちでは一番繁栄した宿場になった.
江戸時代から俳句が盛んで,幕末には「卯の花連」が誕生した.(以上資料1から要約引用).(以上資料1から引用)
資料2によれば,「天保14年(1843年)の『奥州道中宿村大概帳』によれば、氏家宿は家数235軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒、人口879人であった]。氏家宿本陣は平石家、脇本陣は伝馬屋が担っていた。
江戸時代、氏家宿南傍の鬼怒川東岸にあった阿久津河岸(あくつかし)は、主に東北地方で獲れた米ほか特産物を鬼怒川の水運を利用して江戸に送るための集積地となり、このため氏家宿の旅籠もたいへんな活況を呈したと云われている。氏家には会津西道、会津北道,原方道,水戸道が開通し、交通の要衝地となった。江戸の常盤津の歌人等も多く氏家に移住したといい、江戸末期には卯の花連(うのはなれん)と呼ばれる俳句会が生まれた。その歌集には、水戸道を通って10里ほどの太平洋沿岸村落から氏家宿に四季折々に海魚が大量に運び込まれ、鶏卵や川魚、塩辛等しか食せない山路にしては珍しく海魚を食すことが出来たことが書かれており、このような宿場は氏家宿以北、仙台や酒田に至るまで無かったと云われている.
現在、氏家宿は栃木県さくら市にあり、市域には東京から栃木県を経て東北地方を結ぶ国道4号および鉄路JR宇都宮線(東北本線)が通るが、JR氏家駅が宿の西側に置かれ周辺の市街地化とともに宿並は廃れたものの、主要国道の経路が氏家市街地から反れている為、喧騒からは隔離された比較的静かな装いを呈している。」とのこと(以上コピペ).
■氏家氏
氏家氏の祖は鎌倉時代初期の氏家公賴である.氏家公賴は鬼怒川東岸24郷2000町歩あまりの土地を配下に納めていた.そして,那須氏との境界近くに御前城を構築した.
氏家氏一族は奥州,越前,九州などで活躍していた.
氏家姓の発祥は,この氏家である.
資料3によると氏家公賴の出目については諸説あるようだが,その中から最も有力とされている説だけを,資料3からコピペしておく.
「公頼を宇都宮頼綱の子とし、氏家氏を創始したとするのがこの説で、下野国誌を主として、これまで通説とされてきた説である。朝綱の何番目の子であるかについては、系図や資料によって異なり、次男とする説(宇都宮正統系図など)、三男とする説(下野国誌など)、五男とする説(五郎を名乗っていたため)など諸説あるが、この説においては、宇都宮氏の勢力基盤拡大のため、朝綱の子である公頼が氏家郷に根を下ろし、氏家氏を創始したとする。」とのことである(以上コピペ).
<勝山公園散策>
■勝山城の由来
資料4によると,「勝山城の起源は、宇都宮一族の氏家氏が本拠を構えた事から始まった。南北朝時代に入ると氏家氏は没落し、芳賀高家の子芳賀高清が飛山城から移り住み、代わって芳賀氏の城となった。慶長2年(1597年)に宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易されると勝山城も廃城となった。」(以上コピペ).
<勝山城跡の概念図(現地案内板より)>
■雨が降り出す
講師の先導で勝山城趾を一廻りする.
歩き出してすぐにポツリ,ポツリ…と雨が降り出す.天気予報より少し早すぎる振り出しである.
資料類は雨に濡れないようにリュックの奥底に仕舞ってしまう.したがって,城趾内をどのような径路で歩いているのかハッキリ分からないが,多分,本丸周辺を一周しているように思える.
やがて桜並木の高い所に到着する.桜並木の向こうに鬼怒川が流れている.雨で遠目は利かないがなかなかの眺めである(冒頭の写真).
<桜並木のある広場>
■雪姫と紅葉姫
14時19分,「雪姫と紅葉姫」の案内板が立っているところを通過する.雨が本降りになりだしたので,ユックリ見ている気力もないが,どうやら勝山城主に雪姫と紅葉姫という二人の姫様が居たという話のようである.
取りあえずは.この案内板をデジカメで写しておいて,後で読み返すつもり…でも,どうせ撮りっぱなしで読みはしないだろうという予感がある(結局,読まなかった).
<雪姫と紅葉姫>
■竜宮城の貸し椀
つづいて「竜宮城の貸し椀」という案内板が立っている.こちらは勝山の川底が深くて竜宮城まで繋がっていたという話.
こちらもザッと見ただけで,デジカメに撮る.これで安心,結局,読まない.
<竜宮城の貸し椀>
■雨の中すごすごと…
雨足がドンドン強くなる.そして,寒くなる.
私も堪らず防寒を兼ねて雨具を羽織ってから傘を差す.先ほど”暑い,暑い,…”と言いながら,ガリガリ君を囓っていたのがウソのようである.
私たちはどうやら本丸跡の廻りを一周して,元へ戻ろうとしているようである.
<雨の中すごすごと>
■森家長屋門
14時26分,長屋門に到着する.とにかく少しの仇だけでもここで雨宿りである.
講師から長屋門について説明がひとくさりある.
長屋門は本来武家屋敷のものだったが,後世になって,名主,組頭など村の役人格の家にも長屋門を作ることが許されたという.
なお,傍らに立つ案内板に夜と,この長屋門は他所から移築されたものとのこと.
資料4(p.17)にこの地域最大級の長屋門の紹介記事がある.
<旧森家長屋門>
■さくら市ミュージアム
14時29分,さくら市ミュージアムの前を通過する.あわてて,建物の写真を撮る.道路際にある案内によると一般の大人1人の入場料は300円.
資料5(p.9)にはこのミュージアム(荒井寛方記念館)の説明が掲載されている.この記事によると,さくら市出身の日本画家荒井寛方の作品,野口雨情関連の展示,近世の阿久津河岸,氏家宿,喜連川宿の模型などが展示されているようである.
”ちょっと立ち寄って見たかったなあ~”
こういうのを天の邪鬼という.
資料6には,「さくら市ミュージアム-荒井寛方記念館-は1993年に「ミュージアム氏家」の館名で開館した博物館です。2005年3月に氏家町と喜連川町が合併し、さくら市となったことにより現在の館名となりました。
2015年には施設の増築と常設展示室のリニューアルを実施し、より市民の方々に親しまれる博物館として生まれ変わりました。
毎年10回程度開催している企画展を中心として、郷土の歴史・文化と自然をふまえたさまざまな活動を展開し、情報を発信しています。 」という紹介記事がある.
<さくら市ミュージアム>
■駐車場に戻る
勝山公園を一廻りして,14時31分,一旦,駐車場に戻る.
どうやら,降り出した雨は,暫くの間は止みそうにない.傘で跳ね返る雨粒の音がパチパチと激しく聞こえる.
内心では,
”雨の中,これ以上歩くのもイヤだなあ~…,このまま専用車に乗ってしまいたいな…”
と弱音を吐きそうになる.でも一方では,
"それでは男が廃るぞ…”
とも思う.
”ここは講師と添乗員の判断に任せるしかないな…”
<駐車場に戻る>
(つづく)
[参考資料]
資料1;「氏家市街地MAP」(発行所不明)
資料2;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%8F%E5%AE%B6%E5%AE%BF
資料3;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%8F%E5%AE%B6%E5%85%AC%E9%A0%BC
資料4;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E5%B1%B1%E5%9F%8E_(%E4%B8%8B%E9%87%8E%E5%9B%BD)
資料5;さくら市教育委員会,2012,『歴史あそびBOOK4;明治の館滝沢家住宅とさくら市の近代化遺産巡り』さくら市.
資料6;http://www.city.tochigi-sakura.lg.jp/site/sakura-museum/mu-information.html
つづきの記事
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(執筆中)
「奥州街道」の目次
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「奥州街道」の索引
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