<旧松代藩主墓所近郊>
善光寺街道;第3回;第3日目(2);松代散策(中町・寺町付近)
(五十三次洛遊会)
2016年4月20日(水)~2016年4月22日(金)
第3日目;2016年4月22日(金)曇
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<ルート地図>
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<西念寺>
■西念寺と君ヶ浜助三郎供養塔
今朝,サンルート上田を出発した私達は,しなの鉄道の電車に上田駅から乗車し,屋代駅で下車,屋代駅から長電バスに乗って.9時24分に旧松代駅に到着する.
駅前広場の片隅で,ウォームアップストレッチを軽く行ってから.9時30分,旧松代駅前から歩き出す.
特にどこをどんな順番に廻ったら良いということもないので,私が先導して適当に歩くことにする.
まずは,旧松代駅から西の方向にある西念寺を最初にもう出ることにする.正に道順は適当である.地図を眺めながら,あちらこちら曲がりながら,9時40分に西念寺に到着する.
境内入口に立っている石柱には,浄土宗西念寺と刻字されている.人気が全くない境内に入る.比較的簡素な造りに見える本堂の軒下には右から西念教寺と書いてある金ぴかな額が取り付けられている.
資料1によると,山号は送経山.浄土宗の寺,「西念寺ははじめ西応寺といい、正平20(1365)年、海津城の大手門南の辺りに建立されていたが、慶長5(1600)年に現在地に寺領15石を与えられて移された浄土宗の寺である。
慶長8(1603)年には徳川家康の6男松平忠輝(1592~1683)が松代城主になったが、このとき忠輝を補佐したのが花井遠江守吉成である。この吉成が当寺を再興したので、中興開基とされている。」とのこと.また,「松代宿の問屋で、町年寄と検断をも勤めていた杭全家の墓地があり、寺への入り口の右手には江戸時代末期に活躍した「君が嶽」の供養塔もある。」という.
<西念寺> <君ヶ浜助三郎供養塔>
■シットリとした街並み
9時44分,西念寺を出て西へ向かう.
シットリと落ち着いた街並みが続く.進行方法左手に「松代魚濫祈願殿梅翁院」と書いてある案内板が立っている.
「ちょっとよってみましょう」
ということになり,左折して路地に入る.
<シットリとした街並み>
<梅翁院>
■梅翁院に到着
9時45分,路地の突き当たりにある梅翁院に到着する.
資料1によれば,曹洞宗の等.山号は芳谷山・「曹洞宗長国寺の末寺で、開基は初代信之の側室、右京である。寺の名もその戒名から名づけられた。右京は信之が柴の隠居所で、93歳で没するまで付き添い、信之の死後はてい髪、京都の尼寺で魚濫観音を信心し、信之の冥福を念じながら寛文11(1671)年に没した。」とのこと.
<梅翁院の山門> <梅翁院殿の墓>
■右京の墓
境内の一角にある小さな建屋の中に墓がある.その建屋の前に「梅翁院殿正覚妙貞大姉淑霊之墓」と刻字された石柱が立っている.
墓前の案内板の記事には,松代藩真田初代信之の側室で,信之没後,剃髪して妙貞となり,清花院と言われたが,魚濫観音を信仰していたという趣旨のことが記されている.
9時50分,梅翁院を出発する.境内の直ぐ近くにある大きな石塔の前を通過する.道祖神である.この道祖神にも,やっぱり注連縄が施されている.
<右京の墓> <道祖神>
<長国寺>
■広大な長国寺
9時54分,長国寺に到着する(冒頭の写真).広大な寺である.曹洞宗.山号は真田山.
松代の観光案内パンフレットの記事によると,ここは真田家の菩提寺である.真田家歴代藩主の墓がある.その他に,信之,信弘の御霊家がある.この御霊家は重要文化財指定されているという.
御霊屋の破風は左甚五郎作,格天井の絵は狩野探幽筆と伝えられているという.
<長国寺の案内図> ※境内に掲示されている案内板から引用
■長国寺総門
長国寺総門の前に立つ.落ち着いた白壁に何か凛とした雰囲気を感じる.
総門から長国寺境内に入る.境内には人の気配はなく,静まり返っている.境内に入ってすぐ左手に六地蔵が祀られている.
本堂に向かう参道の両側には地蔵堂,僧堂,放光殿などが立ち並ぶ.
<総門>
■長国寺の本堂
本堂を詣でる.
資料2には,「長国寺は信濃国における曹洞宗の僧侶所となり、禅僧の修行道場でもあった。江戸幕府からも朱印地100石が与えられていた。当初は七堂伽藍が立ち並んでいたが、享保2年(1717年)の大火で全焼。寛保2年(1742年)の大洪水(戌の満水)で本堂が大破するなどしたが、文化7年(1810年)復元された。しかし、明治5年(1872年)本堂から出火し、寺宝・経巻・文書などほとんどを焼いてしまった。現在の本堂は明治19年(1886年)に再建された。庫裏は当時廃校になっていた旧松代藩の文武学校の槍術所を移築したものであったが、文武学校の完全復元のため旧地に再移築し、平成9年(1997年)新しい庫裏が建設された。」という説明がある.
<長国寺の本堂>
■恩田木工民親の墓
次いで,恩田木工民親の墓を詣でる.
お墓のある方へ向かう,案内板を頼りに恩田木工民親の墓を探す.立派な宝篋印塔が立っている.
墓の傍らにある説明文の記事によると,恩田木工民親(1717~1762年)は松代藩家老で松代藩の財政再建と殖産興業を断行した人物である.恩田木工民親は著書「日暮硯」で有名である.
<恩田木工民親の墓>
<旧松代藩鐘楼と大英寺>
■旧松代藩鐘楼
10時05分頃,長国寺を出発する.
観光案内パンフレットの地図を頼りに旧松代藩鐘楼へ向かう.民家が建ち並ぶ狭い路地を微妙に曲がりくねって,10時14分,旧松代藩鐘楼に辿り着く.
鐘楼脇に案内板が立っている.この案内板の記事によると,初代藩主のぶ代期が寛永元年(1624年)にこの鐘楼と火の見櫓を建立した.その後3回焼失したが,享和元年(1801年)に現在の鐘楼が再建されたという.
嘉永2年(1849年),佐久間象山が電信実験を行った所として知られているという.市指定文化財.
<旧松代藩鐘楼>
<大英寺>
■本町を横断して大英寺へ
松代藩鐘楼見学を終えてから,また地図を頼りに大英寺へ向かう.本町は意外に自動車の交通量が多いので,緊張して横断する.
10時25分,大英寺前に到着する.
<大英寺に到着>
■大英寺の参道
大英寺参道を突き当たりまで歩く.
一見の観光客は余り歓迎していないような雰囲気があるので,気後れがしてしまう.どうでもいいやという気分で,本堂参拝は止めておくことにする.
松代観光案内の記事によると,この寺は真田信之正室小松姫の菩提寺のようである.境内には小松姫野霊屋があるらしい.小松姫は本多忠勝の娘で徳川家康の養女だった人物である.
資料3には,「現在の本堂はもと大連院(小松姫)霊屋で、真田氏の霊屋の中では最も古く最大級のもの。桁行5間、梁間5間、入母屋造り桟瓦葺で周縁を回してあったが、今は背面の部分を取り除いている。内部は2間通りを外陣とし、内外陣境に円柱を立て、柱上には出組の組物をおき、内外陣とも鏡天井である。鏡天井は三村晴山の筆である。柱・組物は極彩色を施し豪華である。三十六歌仙図は狩野隼人正の筆で、大蓮院の娘・西台院の寄進によるものである。この寺には小松姫の遺品が多く残されている。」とのこと.
<大英寺の参道>
<寺町商家(旧金箱家住宅)>
■白壁の家が建ち並ぶ寺町
大英寺南側の細い道を南東へ向けて歩く.昔にタイムスリップしたような,なんとも趣のある道である.
暫くの間,大英寺境内に沿って歩くが,すぐに三叉路に突き当たる.ここを左折する・
<昔にタイムスリップしたような雰囲気の街並みが続く> <左へ曲がると白壁の家が続く>
■寺町商家
10時31分,寺町商家に到着する.松代観光案内パンフレットによると,ここは旧金箱家住宅である.金箱家は江戸時代末期から昭和初期まで質屋を営んでいたという.
ちょっと中を覗いてみる.六文銭の暖簾が掛かっている.
主屋の一部は明治26年(1893年)に改築された.また,質蔵は明治28年(1895年),表門(薬医門)は明治29年(1896年)に完成したとのこと.
<商家の薬医門> <商家の庭>
<證蓮寺と本誓寺>
■證蓮寺
10時31分,證蓮寺に到着する.真宗大谷派の寺院,山号は白鳥山.
境内入口に立っている案内版の説明によると,本尊は阿弥陀如来.法眼浄賀が開基.法眼浄賀は,康楽寺(篠ノ井)を開山した西仏坊覚明の一子云々とややこしい説明である.読んでいる内に頭が混乱するので,この辺りで読むのを中止する.
<山門> <本堂>
■本誓寺
10時35分,證蓮寺と道路を挟んで反対側のある本誓寺に到着する.真宗大谷派寺院.山号は平林山.
資料1には「寺伝によると建保5(1217)年、親鸞聖人が倉科の自證院を再興して本誓寺とあらため、弟子の是信坊を開基とした古寺である。本誓寺が倉科村から現在地へ移ったのは松平忠輝の時代の慶長19(1614)年である。
本尊は親鸞聖人作『瀬踏みの阿弥陀』と呼ばれる秘仏で正月3日間だけ拝観できる。古くは寺域も広く諸堂や塔頭が並んでいたが、度重なる火災などで寺域も狭くなった。寺宝も多く、佐久間象山に関係したものなど見るべきものが多い。」という説明がある.
<山門> <本堂>
(つづく)
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(執筆中)
[参考資料]
資料1;http://www.grn.janis.or.jp/~ma-vol/rekishi-bunka/tera.htm(歴史を伝える松代の寺院)
資料2;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%9B%BD%E5%AF%BA_(%E9%95%B7%E9%87%8E%E5%B8%82)
資料3;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%8B%B1%E5%AF%BA
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(編集中)
「善光寺街道」の目次
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【参考資料】
「善光寺西街道」の目次
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