<上田城北櫓>
善光寺街道;第3回;第2日目(1);早朝の上田城趾公園散策
(五十三次洛遊会)
2016年4月20日(水)~2016年4月22日(金)
第2日目;2016年4月21日(木) 曇
前の記事
↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9c4e3b6a8627047e132f65e88a391fb2
<ルート地図>
■上田市中心部
←クリック拡大
■上田城趾公園
←クリック拡大
<朝の散歩を思い立つ>
■早くから目が覚める町
例によって,朝早くから目が覚めてしまう.今回はビジネスホテル1人部屋に宿泊しているので,どんなに早く起きても気ままに振る舞うことができるのがなによりである.深夜からテレビを見ているが,今日の天気は余り良くなさそうである.夕方までに間違いなく雨に降られそうな成り行きである.
ベッドでモタモタしている内に,だんだんと外が明るくなる.
”そうだ! 朝食前に上田城趾公園を一回りしてこよう…”
私は「散歩するとは良いことに気が付いた」と自分で自分を誉める.
「善は急げ」である.
私は,小銭とカメラだけを持って,5時50分にホテルから抜け出す.朝食は7時からである.ならば6時50分頃ホテルへ戻れば良い.幸いなことに,旧制中学・新制高校時代に6年間も上田に通っていたので,まだ十分に土地勘は残っている.
”1時間もあれば,上田城趾公園を一回りするのに十分だな…”
■早朝の松尾町
まずは懐かしい松尾町の坂道を登る.随分と立派な街になったなと感心しながら…
まだ朝が早いので,通行人はおろか,自動車も全く見かけない.私は道路の真ん中に立って,すっかり綺麗になった街の写真を撮る.
”へぇ~…すっかり変わっちゃったな”
私は半世紀以上前の上田を回想する.
大東亜戦争が終わった年,私は旧制の上田中学校に入学した.自宅のある小諸からの汽車通であった.敗戦前後の混乱期には,通学生でも毎日通学のための切符を購入するのが大変だった.敗戦前後には客車もなくなり,貨物車や無蓋車に乗って通った.超満員の列車は,デッキにぶら下がれればまだ良い方で,蒸気機関車の炭水車の上や,機関車の前に捉まったりして通った.
そんな当時のことを,松尾町の坂を登りながら懐かしく思い出す.
今は華麗な商店が軒を連ねているが,中学時代に通っていた頃は,商店など殆どなかった.
今になって思うことは,旧制中学から新制高校まで学制が目まぐるしく変動する中で,よくも,まあ,無事に成長したものだと感心するばかりである.折角の中学に入っても,敗戦間際のドサクサの時期は授業など殆どなかった.勤労奉仕とやらで全く勉強をしていない時期が長く続いた.いわば私達の世代はろくな授業を受けていない世代と言うことになる.
昔のことをこれ以上愚痴るのは止めにしよう.
<早朝の松尾町>
<上田藩主屋敷門と掘跡>
■主屋敷門
松尾町の途中で左折して路地に入る.かつて何百回となく通ったことのある通学道路である.周囲の街並みはもうすっかり変わっているが,それでもどこかに当時の雰囲気が残っている.歩いている内に懐かしさが込み上げてくる.
5時57分,屋敷門の前に到着する.
今は上田高校の正門になっている.門柱には白字で「長野県上田高校」と書かれた門札が取り付けられている.
蛇足だが…
どういう訳か,長野県立上田高校とは言わない.あくまでも長野県上田高校であり,「立」はない.
私も,6年間,この門を潜って通学していた.もっとも,その頃は上田城趾だの城主屋敷跡だのということに,ほとんど関心がなかった.
<上田藩主屋敷門>
■掘跡
城主屋敷を廻る掘跡に沿って歩く.新緑が美しい.
私が通学していた頃は,この掘りも特段に管理されていたわけでもなく,ただ昔からこんなところに掘跡があるな程度の認識しかなかった.
今は柵が張り巡らされているが,昔は出入り自由.寒い日には,この堀の水がカチカチに凍ってしまい,生徒の中にはここでスケートを楽しむ輩もいた.その頃と比較すると,今はすっかり整備されて美しくなっている.
<城主屋敷跡の掘>
■藩主居館表門などの案内文
掘の傍らに,「上田藩主居館及び土塀・掘・主屋」の案内板が立っている.この案内板によると,ここが真田氏,仙石氏.松平氏の歴代藩主の居館として使われていた.
ここに通っていた頃の私は,そんなことには全く関心を持っていなかった.
←クリック拡大
■上田高校校歌
案内文の近くに上田高校校歌が掲示されている.どうやら最近立てられたものらしい.
残念ながら私は見落としたが,今年(2016年)のNHK大河ドラマ「真田丸」の初回で,この校歌が紹介されたとやらで,同窓生が盛り上がっていた.
勿論,私もこの校歌を諳んじている.
毎年,東京で開催される同学年会では,この校歌を始めとして応援歌,凱歌それに信濃国の歌を斉唱する.実に懐かしい歌である.
<上田城趾を一回り>
■けやき並木遊歩道
上田高校から上田市役所へ抜ける.
上田市立第二中学校に沿って,西江向かって歩くと,上田城趾公園に突き当たる.道路を横切って,6時06分,けやき並木遊歩道入口に到着する.
入口から公園内に入ると,いきなり階段を下って,掘の中に入る.
<けやき並木遊歩道入口>
■昔懐かしい電車の写真
昔は,この掘りの中を上田交通の真田行(だったかな?)の電車が通っていた.子供心に,格好良い電車だなと思っていた.
上田城趾公園の案内板に,当時の電車の写真が掲載されていたので,懐かしさを込めて,写真に収める.ちなみに,この電車は昭和47年に廃止されたという.
<昔懐かしい上田交通の電車> 引用;上田城趾公園の案内板より
■二の丸橋を潜る
6時07分,二の丸橋の下を潜る.かつてこの橋を上田交通の電車も走っていた.橋を潜ると新緑のけやき並木が続いている.橋の下の道は緩やかな上り勾配になっている.登り坂を登り詰めたところで,けやき並木は終わる.
進行方向左手の階段を登ると,テニスコートの脇の土手の上である.早朝からテニスを楽しんでいる人達が居る.
<二の丸橋を潜る>
■お堀を一回り
土手を降りて園内に入る.
早朝から結構沢山の人達が散歩している.高年齢の方が多いようである.私も取りあえずはお堀に沿って園内を一回りしようと思う.
お堀端のサクラの見頃はとっくに過ぎているが,花がいくらか残っている.
<お堀沿いに歩く>
■招魂神社
6時17分,招魂神社に到着する.
この神社の由来など,全く分からないが,比較的,新しい神社のような気がする.
<招魂神社>
■西櫓
お堀を半周して,6時19分,西櫓に到着する.
櫓の写真を取っていると,散歩中の人から話しかけられる.
「…この櫓,古いものではなく,復元されたものですよ…」
と親切(?)である.
中学高校時代に,図画の時間に良くこの辺りまで来たのを懐かしく思い出す.勿論,そのころはこの櫓も復元されていなかった.
図画の時間に,絵を画きに来たのに,絵を画かずに遊んでいて,白紙のまま教室に戻ってこっぴどく叱られたことを懐かしく思い出す.
<西櫓>
■真田神社
6時21分,真田神社を詣でる.
境内に飾られている大きな六文銭兜を見上げる(冒頭の写真).
そういえば,上田の同学年会で上田紬で織った六文銭入りの赤いネクタイがある筈.でも,どこかに仕舞い忘れている.
<真田神社>
■真田石
6時22分,真田石の前に立つ.石の大きさに改めて感動する.
ホテルの朝食は7時からである.そろそろホテルへ戻らなければ…ということで,公園の出口を目指す.
<真田石>
■北櫓
真田石の上には,復元された北櫓が聳えている.
北櫓を見上げた写真を撮る.これで,今朝の上田城趾公園散策を終わりにしようと思う.
公園出口を目指して歩き続ける.
<北櫓>
<往路を辿ってホテルへ>
■二の丸橋
6時25分,二の丸橋を渡って,上田城趾公園の外へ出る.
橋の前の道路を渡ったところに観光案内所がある.もし開店していたら,観光案内を貰いたいなと思ったが,こんな早朝に開いているはずもない.
往路とほぼ同じルートを辿って,ホテルへ向かう.
<二の丸橋>
■松尾町を経由してホテルへ
上田市役所脇で右折して路地に入る.突き当たりが藩主屋敷跡の上田高校である.屋敷跡のお堀沿いに歩いて,門の前で左折して,松尾町へ戻る.
6時42分,ホテルへ戻る.
こうして,早朝の独り散策は無事終わった.
<松尾町を下る>
■ロビーにて
ホテル2階にあるロビーを経由して,一度自室に戻ってから,再びロビーフロアにあるレストランで朝食を摂るつもりである.
ところが,2回ロビーには,気の早い大半の仲間達が,もう朝食を待っている.
「おや,早朝,お散歩ですか…?」
とどなたかが私に質問する.
私が,小一時間,上田城趾公園を散歩してきたと伝えると,そんなら自分も一緒に行きたかったとのこと.そこで,明日の朝,お散歩希望者だけ,6時にロビーに集合して,朝食までお散歩をすることに決める.
2日目の今日は,結構長旅になる予定である.朝食を済ませたらすぐに上田駅に向かうことになっている.そこで私は大急ぎで自室に戻り,今日のウォーキングに必要な荷物だけを持って,ロビーに引き返す.
■朝食
定刻の7時少し前に,レストランが開店する.
一同,掛かりの人の案内で,食堂の一角にあるテーブルに着席する.
このホテルの朝食は,前日夕方に和食にするか,洋食にするかを予約する仕組みになっている.私は,洋食を注文していたので,フロア係が,下の写真のような洋食を運んでくる.
平素自宅で食べているようなメニューなので,まったく違和感なく美味しく頂戴する.
7時30分頃,朝食を終える.その足で,一同一緒に上田駅に向かう予定である.
<朝食>
(つづく)
次の記事
↓
(編集中)
「善光寺街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d34e361d25dde7b588c7d9c4ec9c18e4
「善光寺街道」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8c004862363c76427109d9a7c4030243
【参考資料】
「善光寺西街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/33d3e4a1fc9831ac17b48baa1b527962
「善光寺西街道」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f71644979892cd488cd56360b380d188
【お断り】
記事の正確さは全く保証しません.
この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.