閑話休題;胆石症闘病記(8);第3日目;手術後の休息日
2016年3月30日(水) 晴
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<自分のベッドに戻る>
■回診
ナースステーション近くのICUで一夜を明かした私は,10時頃,やっと自分のベッドにもどる.
自分のベッドがある部屋はICUの部屋と比較すると,とにかく明るいので,気分的にもホッとする.
今日は水曜日.
私の主治医,DT先生は鎌倉のDTクリニックへ出勤される日である.
10時15分頃,DT先生の代診の先生の回診を受ける.先生自ら私の傷口を消毒する.そして,大きなガーゼを傷口に当てる.そして,
「…昼から食事を出しましょう…」
と看護師に指示する.
相変わらす点滴は続いている.
看護師が血圧と,血中酸素量を測定する.どちらの数値も異常なし.ただし,体温は平熱より0.5度ばかり高くなっている.多分,手術の影響だろう.
痛み止めが効いているのか,患部の痛みは全くない.
同室のベッドBの患者さんも,私より1日早く手術を終えて,自分のベッドに戻っているようである.
■娘からのメール
私はホッとした気分で,暫くの間,ベッドに横でなっている.
突然,携帯メールの着信音が”ピピッ”と鳴る.長女からである.
「今,××に居るので,これから病院に行きます…」
という主旨である.
「無事手術が終わったし,元気にしているので,遠いところを,わざわざ来なくても良いよ…」
という主旨の返事を送信する.
とはいえ,平素,何かにつけて,親を叱咤する娘が,親のことが心配になって,様子を見に来る気になったのはしおらしい.こんな娘の心遣いが,私は心底から嬉しい.本当に頼りになるのは自分の娘だなとつくづく思う.
でも,正直なところ,手術後も元気なので,わざわざ見に来なくても良いのに…と,思っている.同時に,手術を受けた”弱み”を,例え親族とはいえ,見られたくないという気持ちもどこかにある.
自分が入院してみて,やっと見舞を受ける患者の心理が理解できるようになる.正直なところ,親族以外の方には,病身の自分の姿など見られたくない.だから,やたらにお見舞いに行くのは避けるべきだと実感する.
それにしても…手術が無事終わって本当に良かった.
これで憎っくき胆石という不発弾処理が一応終わったな…
この安堵感は何物にも代えがたい.これで,多分,”いつ胃が痛くなるか分からない”という不安感からは間違いなく解放されるだろう(もっとも,まだ胆管に詰まっている石を取らなければならないが…).
<退屈な午後>
■昼食
昼食の前に,看護師が痛み止めの錠剤を私に手渡す.
手術前に履いた脹ら脛を締め付ける靴下は,私が歩き回れるので,
「脱ぎましょう…」
ということになる.履くのも大変だが,脱ぐのも一苦労である.
12時05分,例によって,私の左腕に取り付けてあるタグで私の名前を照合してから,昼食が配られる.
主食はおかゆ.ネーベンは挽肉,ニンジン,キャベツなどの野菜の煮込み(料理の正式な名前は分からない),それに千切り大根の酢漬け.ヨーグルトである.
例によって,お粥は美味しいが,ネーベンは極端な薄味である.この薄味には,正直なところ,”なんとかならないかな…!”と思う.
美味しいものを食べるのも,人生の楽しみの一つだ.残念ながらここでは無理のようである.
しかし,病院の食事なので,理想的なメニューに違いない.そう信じて,12時30分頃,完食する.
<3日目の昼食>
■ガスが出る;まあ,良かった!
昼食後,特にすることもないので,入院間際に購入した単行本を読み始める…が,老眼鏡を持参するのを忘れてしまったので,何とも読みにくい.たちまちの内に,読むのが嫌になるが,他にすることがない.だから休み休み本を読むしかない.
目が疲れ果てると,退屈しのぎの手段がなくなってしまう.
私は,やむなく1枚1000円のテレビカードを購入して,テレビを楽しむ.1枚のテレビカードで1000分の間,テレビを見ることができる.
14時30分,待望のガスが出る.
”良かった!”
良かったと思うと同時に,妙なことを考え出す.
…昔々,恐竜が死滅した.その原因は,恐竜が自分で排出したオナラが原因だという珍説があった.彼らのオナラが空中に充満して温室効果を高めた結果,熱死(窒息死だったかな?)したという.
そういえば,最近,放牧中の牛のゲップに大量の炭酸ガスが含まれているのが地球温暖化の一因になっているという説もあった.
もちろん現在の定説では,恐竜絶滅は,巨大隕石が地球に衝突したのが原因だと考えられている.でも私には恐竜オナラ説の方が,何となく夢があって面白いと思う,
”オレが放ったガスも,細やかながら地球温暖化の一因になっているのかな…”
と文字通り”屁理屈”をこねてみたくなる.私はこんな馬鹿なことを連想して,一人で苦笑する.
そういえば,私が一生の間に発する炭酸ガスは一体何立方メートルになるんだろうか?
私が発したガスを酸素に置換するために必要な植物ってどのくらい必要なんだろう.私は,こんなどうでもいい奇妙で馬鹿げたことが気になり始める.
たとえば杉1本を単位として,1人の人間が一生の間に発するガスを酸素に置換するために,一体何本の杉が必要になるんだろう.
私の頭は,もうすっかり錆びてしまったが,真面目に復習すれば,この程度の計算は私にもできそうな気がする.
”もっとも,「杉1本」を単位にしてはまずいかな…なにしろ杉はハクションの元凶だから…” ならば,単位にする植物は,杉でなくても,何でも良い.
私は,この問題が面白くなる.暇になったら,是非,計算してみたいなと思う.
オレがガスを1発すると,そのガスで杉がなにがしか成長する.成長した杉はなにがしかの花粉を飛散させる.
その花粉を吸った人がハクションをする.
だとすると,私の発したガス1回当たりの平均ハクション回数も計算できどうである.
この計算は実に面白そうだ.でも,計算はちょっと難しそうだな…
逆に,杉による光合成で発生する酸素の量は分かっているはずなので,ハクション1回当たりの酸素発生量も計算できる.
発生した酸素は,また,人間や動物によって炭酸ガスになる.こんなことを繰り替えしながら,他人が吸った酸素を巡り廻って自分が吸っている.
ならば,クレオパトラ,楊貴妃,小野小町が発生させた炭酸ガスが巡り廻って,今,私が吸った空気の中に含まれている可能性もゼロではない.この確率も計算しようと思えば計算できるかも知れない.
もっともカエルや山ヒルが費やした酸素だって,巡り廻って,私が吸っているかも知れない…おお嫌だ!
オレは小野小町が吸った酸素だけを吸いたい…
私は,暇潰しに,こんな空想に耽る.馬鹿馬鹿しい空想は実に楽しい.
ふと我に返る.
”お前さん…何を馬鹿なことを考えているんだ.”
と私の体内に巣喰っているもう一人の私が,私を厳しく諫める.
■娘が来院
14時40分,突然,娘が見舞に来る.
先ほど,無理しなくて良いよとメールしたばかりなので,まさか本当に来るとは思っていなかった.
娘は,開口一番,
「…ここは遠いね…今度,病気で入院するときは,近くの病院にしてね…」
と嫌みをいう.
「縁起でも無いことを言うな…オレは二度と病気になんかならないよ…」
と強気で反論する.
娘と,小一時間,雑談.
「…何か飲み物か食べ物,買ってきますか…」
と娘が言う.
「ありがとう…でも,飲み食いは主治医の許可を得ないとまずいよ…」
「それも,そうですね…」
その後,暫く雑談.
「ばあさんに心配するなって,報告してくれ…」
ということで,15時30分,娘は帰る.
平素,あれこれと私に意見する娘だが,やっぱり実の親の病気は気になるようである.わざわざ来なくていいよと言っているのに来てくれた.
私は,自分の感情をなるべく顔には出さないようにしている.でも,内心では,娘の心遣いを,本当に有り難く,嬉しく思っている.感謝! 感謝!である.
娘は,
「はいっ…! これ暇潰しにどうぞ…」
と言いながら,奈良の観光案内と,鎌倉彫会館のパンフレットを私に手渡す.
娘は長いこと鎌倉彫をやっている.そういえば,今,鎌倉の某寺の天井が公開中である.この天井には娘が彫った鎌倉彫1枚も,大勢の彫り師の作品に混じって,取り付けられている.
私は以前から,
「…○○寺の天井,もう一度.見に行くよ…」
と娘に約束していた.
でも,公開時期が,たまたま私の入院と重なる.その約束も果たせそうもないのが残念である.
余談だが…
今回の入院で,塔ノ岳常連の皆様と岩殿山に登る約束をしていたが,これもパーになる.さらには五十三次洛遊会の定例会も不参加である.正直なところ,これらのイベントに参加できないのは口惜しいし,とても寂しい.悲しい.
この他に,もっと,焦っていることがある.
その第1は,昨年4月から現職に復帰した某大学研究所の仕事が滞ること.
第2に,この5月に開催される某協会に提出予定の水彩画の制作が滞っていることである.
いざ自分が入院体験をしてみて,身体の何処も痛いところもなく,平々凡々と過ごせることが,如何に貴重なことかを,心底から思い知らされる.
■微妙な体調
傷口には全く痛みがないが,どうも体調が微妙である.
例によって,夕食前に,また,看護師が血圧,脈拍,体温のチェックをする.
血圧や血中酸素濃度は,まあ正常だが,体温は37.1度.ちょっと熱が出ているようである.これも手術の影響だろう.
それに,尾籠な話だが…
気が付くと,入院以来,大,小が全く出ていない.大はともかく小が全く出ないのは,どうもおかしい.
さすがに気になって,トイレに行って,小の方を踏ん張ってみる.
何時もなら,例え尿意がなくても,踏ん張れば40~50立方センチメートル程度の尿は絞り出せる.
ところが,今はいくら下腹部に力を入れても,膀胱に”ピタッ”と栓をしたまま.ウンでもスンでもない.全く無感覚で,たった一滴の「小」も出ない.
トイレを諦める.
そして,気晴らしに,自分のベッドに戻る途中,談話室に立ち寄って,備え付けの本などを斜め読みする.
談話室には先客が居る.どなたかの付き添いのオバサン2人である.
丁度そのとき,今日,私の面倒を見てくれている看護師KBさんが通りかかる.
付き添いのオバサンが,KBさんにお礼を言いながら話しかける.
「…この病院の看護師さんたちは,皆さん美人ばかりですね…」
KBさんは,”えへへ…”という感じで,聞き流している.そういえば,私もこの病院の看護師さんはKBさんを始めとして,美人揃いだなと何となく思っていた.
<2日目の夜>
■夕食
18時05分から夕食である.
夕食のメニューは,まあ,ざっと下の絵のような感じである.勿論,塩分が少なくて,歯応えのない食事なので,文字通り味気ない.
ネーベンは,一体,何を食べているのか,良く分からない.
外観は鶏の唐揚げに似ている.でも何か植物性のものに挽肉が混じっているような気がする.ベースは豆腐だろうか?
何はともあれ,健康食には違いないので,何とか完食する.
<3日目の夕食;お茶はテレビ台に置いてある>
■尿が出ないので導尿
20時頃,担当の看護師KBさんが,見回りに来る.
まずは,今日2回目の患部のガーゼ交換をする.
「ガスは出ていますか…」
「はい,出ています…でも「大」と「小」がどうも…」
看護師は私の下腹部を触診して,
「小水が随分堪っているようですよ…何時もはちゃんと出ていますか…?」
「はい…入院の日も,朝までは,チャンと出ました…」
「尿意はありますか?」
「それが無いんです…先ほどトイレに行ったんですが,1滴も出ないんです…」
「では,導尿しましょう…ちょっと待ってて下さい」
暫くして,KBさんと,もう一人の看護師さんのお二人が私の所に来る.そして私のパンツを下ろして,エロ部を露わにする.
いくら私が老齢とは言え,妙齢の女性に,下半身を露わにしてもらうのは,さすがにハズカシイ.でも事ここに及んでは仕方がない.任せるしかない.
私は覚悟する.私は”まな板の鯉”だ.広島カープではなく,八王子カープだ.
「では,消毒します…」
と言いながら,KBさんは私の愚息(エトバスシェーネス;以後,略してエトバスと呼ぶことにしよう)をしごいて,先端を思い切りむき出しにする.そして,エトバスの先端を冷たいもので拭く.消毒だ.
エトバスを握られて,私は,”アワワ…”とたじろぐ.
私がいくら予備役の枯山水老人でも,もとは生身の男の積もりである.現実はともかく…
地球に例えるならば,表面は乾いているが,心の中ではまだ熱いマグマが煮えたぎっているという訳である(本当にそうかな?).
何しろ,エトバスを握っているのは,さきほど待合室で付き添いの方に,美人ですねと誉められたKBさんである.もし私が若かったら,いきり立ちそうになるエトバスに手を焼いたに違いない.
管が「ズズズ…」と挿入される.横になっているので現場は見えないが,感覚で分かる.
ちょっと痛い.
やがて管がちょっと抵抗感がある場所を通過する.
これで管は膀胱の中に入ったようである.
もう一人の看護師が採尿ビン(溲瓶)を持っている.エトバスから溲瓶までチューブが橋渡しする.
KBさんが,私の下腹部を,何回も,何回も押す.すると膀胱に溜まっていた小水が大量に排出され,溲瓶に溜まる.
やがて排水が終わる.溲瓶を持った看護師が,
「こんなに出ましたよ…」
と溲瓶を見せてくれる.
溲瓶一杯に,黄色い液体が入っている.
KBさんが,
「…お腹を触ってみて下さい…ぺちゃんこになっているでしょう.」
という.
なるほど,尿を絞り出した後の下腹部は,ぺちゃんこになっている.同時に,気分も大分楽になる.
楽になったのは良いが…
私は大きな不安に襲われる.自分で排尿できない身体になってしまったのではないだろうか.
私の脳裏には,足に小便袋を下げている哀れな自分の姿が浮かんでくる.これでは塔ノ岳など夢のまた夢になってしまう.自宅の庭を眺めながら,静かに余生を送る哀れな自分の姿が脳裏に浮かぶ.
そういえば,膀胱癌を患った私の父も,晩年,小便袋を下げていた.
つい数年前,旅だった次女の実家の男親も,晩年,小便袋を下げていた.
”今度はオレの番か…!”
私は言いしれぬ不安感に襲われる.
■不安を抱えたまま就寝
19時30分,定例のアナウンスが流れる.付き添いの方々に面会時間が終わることと,駐車場の出入口が施錠されることなどがアナウンスの内容である.
大小の排泄が困難なものの,傷口の痛みは全くない.このまま排泄が上手く行かない廃人になるのではないかと不安に駆られるが,
”今,そんなことを思案してもどうにもならない.今日の所は寝てしまおう.不安なことは明日考えよう”
と割り切る.
そして,20時過ぎに就寝.
こうして,第3日目はなんとか終わった.
(第3日目終わり)
(第4日目に続く)
つづき(第4日目)の記事
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胆石症闘病記の目次
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「閑話休題」の前回の記事
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「閑話休題」の次回の記事
(なし)
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閑話休題;胆石症闘病記(8);第3日目;手術後の休息日
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