<塩尻峠展望台から諏訪湖を望む>
[改訂版]歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回);長久保から塩尻まで[概要編]
(五十三次洛遊会)
2010年9月11日(土)〜13日(月)
※本稿の初出は2010年9月14日である.
初稿の地図の改訂,本文の加除修正を行った.
<ルート地図>
2010年9月11日(土)から,2泊3日の予定で,中山道中六十九宿巡り(第9回)を実施した.
今回,第1日目は,JR上田駅に集合した.参加者は前回より少々少なく8名.
まずは,上田駅からタクシー相乗りで,前回(第8回)の終点,長久保まで移動する.長久保宿から歩き出す.長い単調な登り坂が連続する.和田宿を通過して観音橋まで歩行する.観音橋で,本日宿泊予定のペンション「サイレント・スノー」の自家用車の送迎を受ける.第1日目の水平歩行距離は13.7キロメートル,累積登攀高度471メートルであった.
第2日目,9月12日(日)は,ペンション・サイレントスノーの自家用車で,第1日目の終点,観音橋まで送って貰い,ここから歩き出す.今回の歳代の難所,和田峠を越えて下諏訪に向かう.下諏訪神社参拝後,JR下諏訪駅前のグリーンサンホテルに宿泊する.第2日目の水平歩行距離は15.7キロメートル,累積登攀高度594メートル,累積下降高度352メートルのプチ登山だった.
第3日目,9月13日(月).朝の内はあいにくの小雨.下諏訪から塩尻峠を越えて塩尻宿からJR塩尻駅まで.水平歩行距離13.6キロメートル,累積登攀高度303メートル,累積下降高度352メートルであった.塩尻峠は当初の予想に反して,自動車が通る舗装道路.やや急な登り坂があるもののハイキングコース程度の山越えであった.
3日間を通じて,自動車道路の脇を通るところも結構あったが,全体としては鄙びた街道と,適度な山道が適当にあって,大変趣のある散策を楽しむことができた.
東京では残暑が厳しかったようだが,信州の高原を歩く旅は,総じて涼しく,初秋の趣を満喫することができた.
(つづく)
[加除修正]
2013/8/2 地図の更新と本文の加除修正を行った.
「中山道六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1515684a23a94e0ca0f9eba2b014fc05
「中山道六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/31a6246c8debd54371c5091b18bccd18
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
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[編集後記]
2010年9月13日(月)
2泊3日の中山道の旅を終えて,夕方帰宅した.
冷涼で爽やかな信州の高原に比較して,鎌倉が暑いのなんのって・・・鎌倉がこんなに暑いところだとは,信州を旅するまで気がつかなかった.
旅行中閉めっぱなしにしてあった自室の窓を開ける.空気を入れ換えた後,めったに使うことのない冷房をONにする.机の上は,慌てて出掛けたときのまま,乱雑になっている.パソコンの電源を入れる.留守中に数十通の着信がある.その過半数がこちらから頼んだ覚えもない企業の広告など余計なメールである.そんな用もないメールは開かずに消去するが,それでも何らかの返事やアクションをしなければならないメールがかなり残ってしまう.
「・・ああ,マイッタナ〜ぁ・・・」
馬齢を重ねるほどに,着信するメールに返信をするのが,だんだんと億劫になる.それでも,パソコンのメールは,まだまだ有り難い.困るのが郵便である.平素,封書の買い置きもないし,わざわざ郵便局まで切手を買いに行かなければならない.さらには,折角書いた手紙の投函を忘れてしまい,何日も持ち歩いてしまう.
「・・・勘弁してくれい〜,どうぞ私に郵便を出す人は返信はないものと思って下さい・・」
とお願いしたくなる.
年を取るにつれて,極端な早寝早起きになってしまう.
折角,パソコンに電源を入れたのに,何もする気にならない.億劫なのである,そのまま電源をOFFにして,早々と就寝することにしよう.
(「ぼやき」も“おわり”)